第11話 ホッピー
栗原教授と駅前で待ち合わせ。いつもはお店で落ち合うのですが、この日は違いました。
「今日行こうと思っているのは、予約なんて受け付けていない大衆的な店なんだよ。きみの舌には合わないかもしれないが、試しにつきあってくれ」
教授は先に立って歩き始め、わたくしは後に続きました。彼は雑然とした飲み屋街へと入って行き、大きな赤提灯をぶら下げたお店の前で立ち止まりました。
赤提灯に墨で「やきとん角ちゃん」と書いてありました。
中に入ると、狭い店内にカウンター席とテーブル席がぎっしりと詰まっていて、サラリーマンや学生でいっぱいになっていました。肉を焼く煙が立ち、注文をしたりおしゃべりしたりする声がにぎやかで、活気がありました。わたくしたちはなんとか空いていた二席のテーブル席に座りました。
「飲み物はどうする? 僕はホッピーを頼むけど」
「ホッピーって何ですか」
「焼酎をビール味の清涼飲料水で割った安い酒だよ」
「では同じものをお願いします」
教授は店員さんを呼びました。
「ホッピーセットを二つ。それから、かしらとレバーとタンを二つずつ。塩で」と注文しました。慣れたようすでした。
「このお店、よく来るんですか」
「ああ、よく来るよ。一人でも来るし、学生を連れて来ることもある。今まできみとは上品な店ばかり行っていたけれど、本当は僕はこういう店の方が好きなんだ。安いし、肩ひじ張らずにすむし、味だって悪くない」
「ふぅーん。要するに先生は、今までわたくしの前では格好つけてたってことでしょうか」
「まぁそういうことだな。最初からここに連れてきていたら、きみは引いていただろう」
「そうかもしれません」
ホッピーが運ばれてきました。「Hoppy」と書かれたびんと氷と透明な液体が入ったジョッキのセットでした。
「これがホッピーだよ」
教授はびんの中のビール色の液体をジョッキに注ぎ、マドラーでかき混ぜました。わたくしも同じようにしました。
乾杯し、教授はごくごくとホッピーを飲みました。わたくしもおそるおそる飲んでみました。
「どうだ?」
「味はビールに似ていますね。不味くはありませんが、特別美味しくもありません。わたくしは生ビールの方が好きですね」
「じゃあきみは生にすればいい。僕はこれで十分だ。生ビールより安い」
教授は機嫌よく飲んでいました。
肉が運ばれてきました。
「これはやきとん。豚の内臓の串焼きだよ。この店は炭で焼いている。塩味がついているが、さらにみそだれをつけるのがこの店の特徴だ」
教授はテーブルに置いてある小さな壺から刷毛で串焼きにみそだれを塗りました。わたくしの分にも塗ってくれました。
「熱いうちに食おう。冷えたら味が落ちる。まずはかしらからいただくかな」
教授は串を手に取って、食べ始めました。わたくしもかしらをいただきました。
「どうかな?」
「とても美味しいです」
「これで一本百四十円だよ。金のことはまったく気にせずに食える」
教授はガツガツとやきとんを食べ、ホッピーをぐいぐい飲みました。たちまち飲み干して、おかわりをしました。
わたくしも飲みました。教授につきあって、今日はホッピーで行こうと決めました。
安酒を飲んで、わたくしたちはたわいもない話をしました。教授の本当の顔が見られたようで楽しいです。
「僕は最近よくさくら自給自足の会のことを思い出すんだ」
わたくしは黙って聞きました。
「僕は広範な人々に役立つ研究をしようと思って経済学者を志した。でも実際には僕の研究なんて何の役にも立っていない。それよりも少数の人だけど、確実に助けていた父の方が立派だったんじゃないかと考えることがある」
「さくら自給自足の会のことは知りません。どのようなところだったのですか」わたくしはもちろん嘘をつきました。
「美味しい農作物を作っていたよ。小規模だけど畜産もやっていた。父と僕も含めて三十人ばかりの人が宿舎で暮らしていて、食事なんかも当番制で、肩を寄せ合って生きていたんだ。楽しかったんだけど、僕は父とけんかして飛び出してしまった。いや、追放されたんだったかな。どっちでもいい。同じようなものだ」
「どうしてけんかしたのですか」
「そのままそこで一生を過ごす気にはなれなかったんだね。僕は若かったし、勉強が好きだったから、学者になろうと思った。好運にも、実際になることができた」
「いいんじゃないですか」
「でも僕が出て行ったことで、父はひどく気落ちして、さくらの会は潰れちゃったんだ。母はすでに亡くなっていたし、父も生きがいを失くし、病気になって死んでしまった」
「悲しい顛末ですね」
「ああ。僕がよく話すきみにそっくりな清川真美子さんも行方不明になった」
ここにいます、とわたくしは心の中で言いました。
「さくらの会の土地は父が所有していた農地で、僕が相続している。何にも使っていないけれど、まだ僕の持ち物だよ。手放してはいない。あんな土地、買い手もつかないだろうがね」
わたくしは軽く驚きました。なつかしいあの場所を思い出しました。
「ちょっと気になりますね。その土地に行ってみたいです」
「興味があるのなら、案内してあげるよ。車を二時間も走らせれば着くよ。つまらん場所だけどね」
「今度連れて行ってください」と頼みました。
「いいよ。たまにはドライブもいいだろう」
教授とわたくしはやきとんをお腹いっぱい食べ、ホッピーを六杯ずつ飲みました。二次会はカラオケで、教授が歌がお上手なことを知りました。
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