清の千年物語

みらいつりびと

第1話 人生は、いとをかし

 わたくし、名を、清、と申します。

 清原諾子や清少納言と呼ばれていたこともございます。

 その他たくさんの偽名を持っています。

 わたくしは、「枕草子」の作者でございます。

 年齢は千歳を超えております。

 不老不死なのです。

 二十歳になったころから老けなくなり、若々しい姿のまま生き永らえております。

 病を得ても重くなることはなく、たいていすぐ治ります。

 怪我をしても普通の方よりも早く治ります。

 戦乱の時代に右手首を斬り落とされたことがありました。出血もひどく、さすがにあのときは死ぬかと思いましたが、止血をしておとなしくしていたら、手首が生えてきて、半年ぐらいで元どおりになりました。

 わたくしは普通ではないのです。首を落とされたら、死ぬのでしょうか。試してみたことはありません。

 千年も生きていれば、さぞ生きることに倦んでいるのではないか、と思われる方もこざいましょう。

 いや、全然。

 生きていれば何かしら面白いことに出会えるものでございます。

 人生は、いとをかし。


 決め台詞を申し上げましたところで、ゆるゆると主題に入ってゆくことといたしましょう。

 千年も生きていると、世の中の移り変わりはとどまるところを知らないということが身に染みてきます。昨今はインターネット、というものが発明されまして、世の方々がブログというものにて文章を発信なさっていらっしゃいます。

 さまざまなお方のブログを読んでいるうちに、かつて「枕草子」を書いていた頃がなつかしく心によみがえってまいりました。わたくしもまた文章を書きたくなってきたのでございます。

 日本語の乱れを嘆いておられる方がいらっしゃいます。

 いや、全然乱れてなどおりません。

 言語というものは移り変わってゆくものでございます。千年を生きているわたくしが申し上げるのですから、まちがいはありません。

 変わってゆくところがまた、いとをかし。

 やまとことばがまだ残っていることが奇蹟だと感じます。

 ずいぶんと変化してはおりますが、日本語はやまとことばの直系の子孫でございます。

 かのアメリカ国との戦争に負けた折には、いよいよやまとことばもおしまいか。これからはわたくしもイングリッシュを話さなければならないのかしらと観念したものでございますが、日本語は残りました。

 さらに千年の後にもやまとことばは残っておりましょうか。

 みなさまの日本への愛がいつまでも消えませぬように。

 言語は変わりゆきますが、人の心はそう簡単に変わるものではありませぬ。

 感情、この変わり難きもの。

 千年の昔も、今も、人の喜怒哀楽は変わりませぬ。

 わたくしの中にもいまだ感情が渦巻いているのでございます。

 すり切れずに残っている心。

 みなさまがたの心の中となんら変わりはございません。

 喜び、怒り、哀しみ、楽しみ、いとをかし。

 わたくしは不老不死で、千年を超えて生きていると申しました。不老不死は特異体質としか説明のしようがございませんが、何も霞を食べて生きているわけではありません。空腹でも水さえ飲んでいれば、かなりの期間生き永らえることはできますが、お腹は減るし、痩せ衰えるし、苦しいものでございます。

 人並みに食事はしたいし、そのためにいろいろと生きる工夫をしてまいりました。幸いにもわたくしは天性の美貌を持っておりました。美貌は、生きるためにたいへん役に立ちました。天涯孤独の身でも、養女にしていただいたり、妻にしていただいたり、雇っていただけたりして、わたくしは長い年月を生き永らえてきたのでございます。

 清少納言は醜女であったという話が後世に流布されました。それは嘘であると、ここにきっぱりと記しておきます。

 わたくしはどのようにしてこの世に生まれてきたのでしょう。その記憶がありませぬ。京の都の片隅で、お腹をすかして泣いていたのが、最初の記憶でございます。

 ひょんなことから、私は清原元輔様に拾われ、養女にしていただいたのでごさいます。ひょんなことがどんなことか、もう忘れてしまいました。

 元輔様はお優しい方でした。痩せ衰えて泣く女を哀れに思われ、食事を与えてくださり、長逗留しているうちに養女にしてくださった。そんなところだったかもしれません。

 「枕草子」を書くに至った経緯は割合と有名ですので、ここに詳細を書く必要はありますまい。中宮定子様にお仕えし、宮中で見聞きしたことどもを書き綴りました。楽しく読んでいただくために、誇張や想像が混ざってしまったこともあるかもしれません。しかしだいたいのところは、わたくしが感じたことを素直に表現した随筆でございます。

 かの才女紫式部様が書かれた「源氏物語」。あのような絵空事を書く才能を私は持ち合わせておりませぬ。ここで念のため書いておきますが、わたくしは紫式部様と会ったことはございません。

 はい、全然。

 千年の後から見れば、わたくしと紫式部様が文章を綴った時期はほとんど同時代と見えるのでしょうが、事実は異なります。わたくしが都落ちした後に紫式部様は「源氏物語」を書かれました。

 ちなみに、わたくしはかの物語を夢中になって読みました。今に至るまで、あれほど何度も読み返した物語はほかにございません。紫式部様の創造と文筆の才は大したものであるとお褒めするしかありません。

 二十一世紀の今となっては、様々な恋愛物語が書かれておりますが、あの時代にあれほどの絢爛たる物語をお書きになられた。

「源氏物語」、いとをかし。

 素直に最大級の賛辞を捧げるものでございます。

 でも、わたくしの「枕草子」だって、大したものなのですよ。

「源氏物語」に比肩する文学とされております。

 ああ、自画自賛はするものではありませんね。

 やめておきます。

 わたくしが紫式部様を嫉妬していたと書いた方もいらっしゃいます。

 いや、全然。

 これっぽっちも。

 わたくしには随筆を書く才能があり、あの方には物語を書く才能があった。質の異なる才能であり、恋愛物語など書こうと思ったことはありませぬゆえ、嫉妬することもありません。

 ここにきっぱりと記しておきます。

 でも、ああ、枕を書いていた頃は、わたくしは多感でございました。

 さきほど、わたくしの中にも感情があり、すり切れぬ心が残っていると書きました。しかしながら、やはり長く生きていると、多少のことでは驚かぬようになってまいります。繊細な感性というのは、人生の一時期にしか持てぬものでございます。わたくしは多少の才能を持っておりましたから、あの頃はまだ感受性豊かに物事を描けました。しかし千年も生きると、さすがにもう、あのようなものは書けません。

 しかし今になって書けるようになったものがあるかもしれません。

 現代の清少納言がどのように生きているか書いてみることといたしましょう。

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