第21話 思いと現実の中で (1)

前半は、優一の妹花音と三井かおるの娘あおいとのお話です。


           § § §


あおいは、花音と会うために表参道の駅から明治通り方向に歩いていた。大学に入学してすでに半年が立っていた。


反対側から来る男たちの視線が嫌でも自分に注がれているのが分かる。肩から少し長く伸びた光ほどに手入れされた髪の毛、母親譲りの大きな切れ長の目にすっとした鼻筋、吸い込まれるように潤った唇が、男でなくても視線を注いでしまう。


いつもなら“お付の者”が運転する車に乗って行くのだが、母と花音の母が良く利用したという表参道は穏やかで、少し歩いて見たくなった。


「うんっ、なに」


何か自分の世界にはいない生き物を見たような・・・。


あれ、もういない。人並みの中で紛れてしまったのかな。


そんな事を記憶にとどめながら、約束の場所に近くなると人の流れが緩やかになっている所を見つけた。

自分もそちらの方と思って近くに行くと見知った顔が急に笑顔になった。

いつ見てもたまらないくらい素敵な笑顔だ。回りの人の流れが一瞬止まっている。いつもの事だと思って


「花音」


と声をかけて手を挙げると、花音も「あおい」と言って手を上げた。


“爽やかな春風が吹いたような気持ち”にさせる母親譲りの素敵な笑顔が、

「あおい、どうしたの、歩いて来るなんて。お母様に叱られるわよ」

「花音だって」

そう言われると花音は、少し“ふふっ“と笑って


「だって、お母様たちが若い頃遊んだと言っていた原宿を歩いて見たかったの。こんな穏やか日に車はねっ。北川にも内緒にしておいてって頼んでおいた」

「なーんだ、同じだね。私も」

と言ってあおいは、微笑むと


「でも北川は、多分お母様に言うわよ」

「そうかなあ」

いつもの人を疑うことを知らない“天然の純真無垢“な顔で言うと


「花音」

そう言ってあおいは、目元がほころんだ。


花音二〇才、“葉月コンツェルン”の頂点に立つ葉月家の長女として生まれた。

あおい一八才、三井の総帥を母に持つ。二人の母親が中学時代からの親友。それが縁で物心ついた時から知っていた。姉妹のような関係だ。


「でも、あおいも同じでしょ」

「私は、大丈夫。だって駅までは車で来たから」


“えーっ“て、顔をすると


「実を言うと私も」

と言って花音は、“ぺろっ“と舌をだした。


「花音、ところで何かオーダーしたの」

首を横に振ると

「あおいが来るまで待っていた。でも五分位」


そんな話をしていると店員がオーダーを取りに来た。嬉しさでいっぱいの顔をしている。奥で他の店員も二人を見ているところを見るとあおいは、花音の顔を見て“いつものことね“という顔をした。


二人とも母親譲りで小さい頃から人目を引いていた。


「あおい、学校はどう」


大好きな“フォローズン・スカッシュ”のストローを遊びながらこの春入学したばかりのあおいは、


「う~ん、何とも言えない。あまり良く分からない。お話をする人は出来ましたが、まだお友達と呼べるほどには。美緒が別の大学行かれたので」

「ところで花音は」


言葉に少しだけ寂しそうな顔を笑顔に戻して、切れ長の美しい目を花音にしっかりと向けると、回りの人が一瞬“はっ“としたのが分かった。


“美しいという言葉は自分の為にある“そんな素敵な顔になる。


花音は、回りに気づくと

「あおい」そう言って苦笑した。


花音とあおいがいると回りの時間が止まっているように、ゆっくりと流れる気持ちになる。

容姿もそうだが、服装やアクセサリ、靴までもが一目で周りと違うことがわかる。

これだけ人目を引く二人だけに声をかけようとする男も多い。だが、少しでもへたなそぶりを見せた男がいたら、二人が気づく前に消える。だから二人とも何故かどこに行っても何も起こらないでいた。


「私は、勉強に一生懸命って言うところ。お母様から“大学にいる間に身につける事のできる学問、教養をしっかりと学びなさい”って厳しく言われている」

花音の話を聞きながらあおいは、


「ふーん、花音も同じね」

そう言って、“ふふっ”笑った。


「ねえ、竹下通りに行って見ない」


かおるに言われると“大丈夫かな”と思いながら


「いいよ」と言うとお店を出た。

「あおい、なんか歩きづらくない」

「うーん。私も」


前に二人、後ろに二人、花音とあおいを囲むように黒いスーツにブルーの細いネクタイをしてサングラスをかけた男が歩いている。


花音とあおいは、二人で目を合わせると左にあるマンションの横道に走った。

男たちが「あっ」と思った瞬間、花音とあおいは必死に路地を走りどういったか分らないところから、広いところに出ると二人で顔を合わせると思いっきり笑った。


花音が

「ふふっ、これで今日は二人ともお母様のお叱り覚悟ね」

そう言うと二人して思いっきりまた笑った。


「でもここどこだろう」

「たぶん、明治通り」

「そう、じゃあもう少しあっちに歩いて見よう」


花音は、淡いピンクのワンピースに白い縁広の帽子にヒールの低い白い靴。あおいは、こちらも淡いマリンブルーのワンピースを着てやはり縁広の帽子に花音より少しヒールの高めの靴を履いていた。

 二人で日頃の話をしながら歩いていると、あおいは表参道駅から歩いている時に、あきらかに“自分の世界にいない生き物“と思っていたものをもう一度見た。


「花音、あれ」

「えっ」

花音はあおいの指差す方を見ると


「えーっ、なに」


小さな帽子をかぶり、キャンバスのような、それで無いような汚い四角い板を持ち、汚れたジーンズをはいている。それが、何か道路にあるものを書いているような気がした。


「あおい、近づくの、止めよう」


自分たちの行く方にいるそれを遠巻きに歩こうとした時、“お付の者”に見つかってしまった。

逃げようとする二人は一瞬で捕まると、瞬間的にあおいは


「痛い」と叫んだ。


その瞬間、“その物”は、なんと“お付の者”に飛びかかろうとしている。


が、世の中そのものが思うほど甘くは無かった。“お付の者”が簡単に体を翻すと一瞬で膝をあげ、その男の腹にカウンターで入った。


「げほっ」と言うとそのものが道路に崩れ落ちた。


「お嬢様、ご冗談はお辞め下さい。お嬢様にもしもの事があったら、この体いくつ捧げても足りません」

深々と頭を下げる“お付の者“に


「あーっ、もう終わりか、初めてだったのになー」

花音の方を見ると同じ光景があった。


「あおい、仕方ないよ。また今度ね」

「うん」というとあおいは、道路にうずくまっていた“それ”が動き出した。


仕方なく、“お付の者“が手を貸した途端、”お付の者”の体が宙に舞った。

花音もあおいも一瞬目を見開いた。初めての光景だった。幼い頃から自分の側に居た男が宙に浮くなど見たこともなかった。

しかし、投げ飛ばされたと思った瞬間、軽く体を逆えびにして反るとそのまま相手の手を取り腕の脇に手刀を入れた。“その物”がまた、「ぐえっ」と言うと膝を着いた。


「そこまでにしろ、石崎」


いつもの口調に戻ったあおいは、「はっ」と言って“お付きの者”が頭を下げながら“すっ”と下がった。


あおいは、膝を折って、“その物”を見るとくやしそうな顔をして痛みを堪えていた。


「ごめんさない。でも貴方も悪いわ。いきなり殴ってくるんですもの」

「お前が、・・」息をするのも苦しそうな顔をしながら

「お前が、・・あの男に襲われると思ったから」

そう言ってもう一度苦味虫を潰したような顔になるとあおいは“はっ”とした。


「ごめんなさい。病院に行きましょう」

「おれにそんな金はない」

と言いながら、右手で左脇を押さえながら汚いキャンパスのようなものと道具だろう入ったバッグを肩に下げて自分達が来たほうに歩いていった。


「お嬢様、そろそろお車にお乗りを」

そう言って頭を下げる“お付の者”にその男の後姿を見ながらドアが開かれている車の後部座席のドアに来ると


「花音、またね。今日は少し遊びが過ぎたみたい。また連絡する」

そう言って、少しだけ寂しそうに車に入った。


花音はその姿を見ながら

「あおい」

そう言って自分も“お付の者“が開けている車の後部座席に乗った。


助手席に座る北川が

「お嬢様お戯れはお止めください。この北川、命が縮む思いです」

父親を若い頃から世話をしている男は、そう言ってフロントガラスを見ながら言うと花音は、

「わかったわ」

それだけ言って、せっかく久々にあおいと会いながら遊びが過ぎた自分に少しだけ腹を立てた。


“あおい、お母様に叱られるだろうな。かおる小母様は怖いからな。怒ると”そう思っている花音自身も家に着くと相当に母親から叱られた。


あおいは、連絡を受けて娘を待っている母親の美しいまでの切れ長の大きな目で突き刺すように見られるとしっかりと叱られた。


「三井の跡取りの自覚を持ちなさい。一八歳も過ぎて小学生みたいな事をするとは」

そう言って厳しく言うと少しだけ優しい目になって


「あおい、私を心配させないで。貴方だけなのよ。この家を守れるのは」

そう言って優しく抱いた。

「お母様」そう思うとあおいは、少し後ろに下がって腰を折って頭を下げ深く謝った。


昼間見た“あれ”が心に残った。“何なんだあいつ。石崎が手を取られるなんて始めて見た”

そう思いながらもベッドの中にいるあおいは睡魔のとりこになった。


優一は、東京エレクトロンに入社して半年が経っていた。既にオリエンテーションも終わり情報システム部門に配属されていた。

情報システム部門と言っても別にプログラムを作成すると言う訳ではなく、社内のシステム運用全体を統括する立場であった。


「葉月君、この資料を社長室の菅野さんに持って行ってくれ」

「分かりました」


入社したての新人である優一は、いわゆるまだ使い走りだ。榊原部長から渡されたディスクには“社外秘”と書かれていた。


ディスクを手にエレベーターで五階上のフロアに行くと右に曲がって、三つ目のドアの壁に着いているプレートに自分のIDをタッチすると、ドアの鍵が“ガチャッ”という音がしてロックが外れた。


ドアを引いて中にはいると四人ほどのデスクから少し離れた所に室長の菅野が座っている。全員の目が優一を見ている。すぐに菅野を見つけるととデスクまで行って


「榊原部長からの資料です」

と言って“社外秘”と書かれたディスクを渡すと

「葉月君、御苦労様」

言葉だけの礼を言うと優一から視線をすぐに外した。


帰ろうとドアのほうへ振り向くとやはり今年入社したばかりの同期の女の子、石原美奈が優一の顔を見て“ぺこん”と頭を下げた。優一も目線で挨拶すると石原の後ろを通ってドアへ向かった。


ドアを開けて出る時もう一度振り返ると、石原がまだ優一の姿を見ていた。同期だからと思ってまた“にこっ”と笑って頭を下げて外に出た。


自分の部署に戻ろうとしてエレベーターまで歩いている時、ポケットに入れてあったスマホが震えた。


スマホを取り出して見ると“三咲”と表示されていた。優一は、左右を見た後、スクリーンにタップして耳にスマホを持ってくると


「優一、三咲、今日会えない」

「うん、いいけど」

「じゃあ、いつものところで七時でいい」

「わかった」


三咲とは、大学を卒業した後も会っている。もちろん植村美佐子とも。

自分の体に流れている血が祖父と父の流れものであることを感じていた。ただ、母親は、植村美佐子がよいようだが。


 三咲との話を終わらせ、部署に戻ると情報部長が、何か言いたそうな顔をしていた。

“何だろう”と思いながら自分の席に戻ると


「葉月君、今日、何か予定入っているかね」

一瞬、考えた後、

「今日は、ちょっと」

と言うと

「そうか」

と言って、また下を向いた。

榊原部長は、優一の素性を知っている。それだけに周りに気付かれないように気を使っている。理由は保身しかないが。


 六時を過ぎて、渋谷までは三〇分もかからないが、特にやることもない優一は、「お先に失礼します」と言って席を立った。


 エレベータに乗り、一階に下りると同期の石原美奈がいた。優一は“だれか待っているのかな”と思いながら、頭をちょっと下げて通り過ぎようとすると


「葉月君」

と声をかけた。優一が振り向きながら立ち止まると


「葉月君、少し時間ない」

優一は、まだ三〇分以上時間の余裕があることを考えると

「いいですよ」と言って“にこっ”と笑った。

瞬間、美奈がはにかんだように見えたが気のせいだと思うと一緒にビルの出口の方へ歩いた。


「葉月君、ここでいい」

“上島コーヒー”と書かれていた。優一は入ったことはないが、コーヒー専門の会社であることは知っていたので

「いいよ」と言うと自分から先に入った。


入口でコーヒーをオーダーしようとすると

「お客様、先にお席をお取り下さい」

と言われたので

「石原さん、お願いします。オーダー何にします」

「じゃ、ブレンドをお願い」


二階に上がっていくのを見て

「ブレンド二つお願いします」と言った。


トレイに乗っているコーヒーをこぼさないように二階に上がると石原が右奥のテーブルにいる。

よく見ると肩先まで伸びたきれいな髪の毛、透き通るような素敵な瞳にすっと通った鼻に可愛い唇、色白の肌に少し大きめの胸が目立っていた。

優一は、一瞬だけ立ち止まると石原を捜すような振りをしてその姿を目に入れてからカップからコーヒーをこぼさないように歩くと


「お待たせ」


静かに置くと

「ありがとう」

と耳に心地よい声が返ってきた。

よく考えると石原の声まともに聞いたのは初めてのような気がする。


美奈は、優一の顔を見た後、自分が用意したのだろうグラスに入った水を少し飲むとコーヒーを口にした。手先がなぜか妙に抵抗なく見ていれる。


「葉月君、いきなり呼びとめてごめんね」

優一は何か用事があるのかと思い、そのまま黙っていると


「噂どおりね。自分からは何も話さない」

「えっ」

て言うと“ふふっ”と笑って


「“えっ”て言うのも噂どおりだわ」

と言ってまた“ふふっ”と笑った。


“石原さん、何か用事があったじゃないのかな。でも僕噂になっているの。なんで”

そんなことを思いながら瞳を見ていると


「葉月さん、私の顔に何か書いてあるの。さっきから何も言わないし、コーヒーも飲まないで顔ばかり見ている」

「あっ、いや、あの」

言葉にならない事を口にしながらコーヒーカップを持つとやっと一口飲んだ。


「石原さん、何か僕に用事があったのかと思って」


優一の瞳を見つめながら

「なにもない。ただ、一緒に少しお話をしたかっただけ」


優一は、前に三咲や美佐子が言ったことを思い出すと少し納得したような気がした。

「石原さんはどちらから通っているの」


なぜか優一は、相手の住まいを聞いてしまう。昔からそうだった。美奈は少しだけ間を置いて優一の目を見ながら


「弦巻というところ。田園都市線で桜新町という駅で降りて結構歩くけど一〇分位かな。葉月君は」

「えっ」

と言うと前に美佐子から指摘されたことを思い出して


「田園ライン沿い」

美奈はなぜ駅名を言わないのかわからなかったが、あえて聞こうとしなかった。


「そう。ねえ、これから用事ある。ご飯一緒に食べない」

言われて困った顔をする優一に


「わかった。明日は」

明日は用事がないことを頭の中で確かめると


「いいよ」

と言って、時計を見ると七時一五分位前になっていた。


「あっ、ごめん。もう出ないと」

「わかった。もう出ましょう」


お店を出ると優一は小走りに駅に向かった。美奈は後ろ姿を見ながら“難しいかな”そんな思いがあった。


美奈は、決して持てない子ではない。高校、大学と彼もいたが、長続きがしなかった。特に体が目的の男たちは生理的に嫌いだった。


同期でオリエンテーションした時も優一は、自分に何も気にせず接してくれた。他の同期の子は明らかに自分を意識しているのがわかった。


オリエンテーション最後の日の打ち上げの時も周りが色々話しかけてくるのにあいつは、ウイスキーロックグラスを持ちながら景色ばかり見ていた。

 だからといって美奈が優一に惹かれた訳ではない。ただ興味を持っただけだ。どんな人なのかと。

 “まあ、いいや、明日も話しできるし”そう思うと自分も地下鉄駅に向かった。


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