第12話 戸惑い (8)
二階に上がると妹の花音のドアはまだ開いていた。我家は、起きている間は、みんなドアを閉めない。
妹の部屋を“ちらり”と見ると机に向かって勉強している。そのまま自分の部屋に入ると机の前の椅子には座らず、三人掛けは出来るソファに座ると遠くを見るような感覚になった。
明らかに自分の心の中に植村美佐子がいる。はっきりした目、“スッ”とした鼻筋、細面の顔に背中の中ほどまである長い髪の毛。今日会った美佐子の姿が目に浮かんでいた。
自分は、明らかに三咲より今日会ったばかりの美佐子に惹かれている。そう感じた優一は、心の中で何か重いものがあるのを感じた。
“どうすればいいんだろう。三咲の事を考えると美佐子との事は進めなれらない”三咲が自分を好きでいることは明らかに分かっている。
勉強する気にもなれず、そのままパジャマに着替えるとベッドに入った。
翌朝、渋谷で降りると宮益坂の信号で待っている三咲を見つけた。少し躊躇したが三咲が自分を見つけたのが分かるとそのままそばに歩いた。
「優一、おはよう」
「おはよう」
そう言って目を合わすと三咲は嬉しそうに“にこっ”として
「行こう」
と言うと信号が青になるのを待った。
“どうしよう、はっきり言った方がいいのかな。でも”そんな事を考えながら信号を待っていると
「あっ、青になった。渡ろう」
と言って三咲は優一の手を握る。“温かいな”そう感じながら左をちらりと見ると嬉しそうな顔をして信号の向こうを見ていた。そのまま、黙って歩いていると
「優一、今日の最初の講義はなに」
「・・・・・・」
「優一」
「数学原論」
「あっ、私も一緒だ。嬉しいな」
「三咲、将来の希望は」
何となく聞くと
「うーん、あまりはっきりしていない。うち、お父さんは公務員だし、お母さんは高校で数学を教えている。数学を専攻にしたのもそんなところから。将来は、まだはっきり決めていない。大学四年の間に決めればいいかなと思っている。優一は」
「えっ、僕。僕は・・・」
言葉が止まった。
“親の後を継ぐ。なんて言ったら、どんなお仕事とか聞かれそう。でもなんでこの子には、黙っていようと思っているのだろう”そう思うと自分の頭の中が分からなかった。“美佐子は自分の事を知っている”分からないままに黙っていると
「なぜ、優一はそんなに私に話してくれないの」
自分の顔を見ながら歩く三咲に“どうしよう”と思っていると
「いいわ。でも必ずいつか教えて」
そう言って少し寂しそうな顔をした。
“いつかって言われても。そうか僕がいつかって言ったんだ。でもいつ”自分の頭の中でまたまた整理できないでいるといつの間にか坂上に来ていた。もうすぐ学校の門が見えてくる。
「じゃあ、手をつなぐのはここまで」
“にこっ”として手を離すと
「うれしいな。一限目一緒に入れる」
と言ってまたほほ笑んだ。“可愛いな”そう思いながら美佐子の顔がスライドすると
「三咲」
「えっ」
「いや、なんでもない」
言いきれない優柔不断さを思いながら三咲の顔を見た。顔に“なあに”と言う文字をいっぱい浮かばせながら
「優一は、ほんと口数が少ないのね」
「そんなことない。でも言う前に考えてしまって」
「なにを」
「なにをって。話すこと」
「ふーん、私は頭に浮かんだことすぐに口にする。でもちょっとは考えるかな」
「あっ、優一、今度の土曜日空いている」
「えっ」
「“えっ”は言わない約束でしょ」
“えーっ、そんな約束したっけ。空いてはいるけど”そう思いながら
「うーん。ちょっと用事がある」
「そう」
寂しそうな顔をすると
“この子すぐに顔に出るな。確かに頭に浮かんだことすぐ口にしそうだ”そう思うと少し目元が緩んだ。
「全然時間ないの」
三咲はもう一度聞くと
「何かあるの」
「優一、何か用事がないと会えないの」
“まいったなあ、こういう状況にがて、今日は一限目一緒だし”そう思っているともう正門がすぐそばだった。
「朝から、二人とも仲いいわね。渋谷から手をつないだりして」
いきなり声をかけられて振り向くと植村美佐子が後ろから歩いてきた。
「あっ、美佐子見てたの」
「うん、今日は天気いいし、気持ちよさそうだから宮益坂から歩こうとしたら、目の前にお二人さんがいるんだもの。“声をかけちゃ悪いな”と思って少し離れて後ろから歩いていた」
“えーっ、声をかけてくれればよかったのに”そう思いながら美佐子の目を見るとこの前とは少し違ったやさしい目をしていた。一瞬心が“ドキッ”とくると“どうしたんだろう。これ”
「美佐子は、一限目なあに」
「英語。お二人は」
「うん、優一と一緒に数学原論」
「まっ、よろしいこと。じゃあね」
と言って意味ありげな目を優一に流しながらそそくさと歩いていく。後ろ姿を見ながら何か“胸に詰まる思い”を抱きながらいると心配そうな目で三咲が自分を見ていた。
“うん”という感じで見返すと笑顔に戻して
「行こう」
と言って二号館に向かった。
“今の目、優一、まさか”女性の感と言うのは、特に恋愛関係の直感はまずはずさない。自分の想像を打ち消そうとしながら“どうしよう。でも美佐子は友達”そう思いながら頭の中は、数学原論ではなくなっていた。
「美佐子」
「なあに、急に話があるなんていうから。彼のこと」
頷くと
「美佐子、彼の事どう思っているの」
「えっ、彼の事って」
頭にクエスチョンマークがいっぱいになりながら考えていると
「三咲、私まだ彼いないよ」
「優一の事」
真面目な顔をして言う友達に
「ちょっと待って、何を言っているの。彼は“三咲の彼”でしょ。何を言っているの」
「・・・・・」
「ねえ、なんか有ったの」
首を横に振る三咲は、下を向きながら今日の朝、自分が感じたことを言った。
「まさかー。それに私、あの人、好みじゃないもの」
三咲が急に目がきつくなってまるで怒った顔をしている。
「どうしたのよ」
「だって、“好みじゃない”なんて、まるで彼の事馬鹿にするから」
空いた口が塞がらなくなった美佐子は、泣き笑い顔になりながら
「みさきー。熱上げすぎー」
声を我慢して笑うと目元に涙が出てきた。
「ごめん、ごめん、別に馬鹿にしていない。それに接点ないでしょう」
「いっぱいあるじゃない。ギリシャ語の講義だって一緒だし」
「あっはっはっは。だめー。三咲それ以上笑わせないで」
そう言ってお腹を抱えると声が大きくなってしまった。周りの目が自分に注がれたのが分かると、やっと収まって
「分かった、分かった。誓います。三咲の彼の事は一切干渉しません。って言うか。はっきり言っといてあげる」
そう言って三咲を見ると
「ほんと」
「ほんと、ほんと」
「ならいいんだけど」
三咲の言葉を聞きながら“あいつ何考えてるんだ。全くこんな可愛い子がいるのに”そう思うと
「三咲、次の講義あいつと一緒だからきっちり言っておいてあげる」
心配そうな顔になった友達をよそに少し“カチン”ときた美佐子は、しっかり言うつもりでいた。
次の講義が終わった美佐子は
「葉月さん、少しお話があるのですが」
「えっ」
「三咲の言っている通りですね。いつも人に声をかけられると“えっ”って言うんですか」
「いや」
優一の態度に少しほほ笑むと
「どこかで話せませんか」
「この前のところでは」
目を鋭くさせた美佐子は、少しだけ考えると
「いいですよ」
そう言ってまた微笑んだ。優一は、胸の中が少し“きつく”なりながら“はにかんだ顔”すると
“なに、こいつ”と思いながらほんの少し心が揺らいだ。
ドアを開けると優一の顔を見たボーイが深々と頭を下げた。
「葉月様、こちらへ」
そう言って、ボーイは先に歩き始めた。優一と美佐子が付いて行くとこの前と同じテーブルに案内された。
美佐子が、ボーイに引かれた椅子座ると優一は、ボーイに目配せをして下がらせた。
“何なの。この雰囲気。その辺の喫茶店には、入れないのというの”そんな気持ちを抱きながら、テーブルの反対側に座る人の顔を見ていると
「美佐子さん、どの様なお話でしょう」
言葉を切りだしながら“なんの話だろう。彼女から声を掛けてくるなんて”そう思いながら相手の目を見ていると
「三咲の事です」
そう言って優一の目をみた。透き通るように吸い込まれそうに目だった。一瞬何か心に躊躇するような感情が走ったが、それを打ち消すように
「あの子は、あなたが本当に好きです。大切な人と思っています。あの子は、あんなに可愛い顔をしていますが、好きになった人はいません。あなたが初めてです。もっと三咲に目を向いてもらえないでしょうか」
暗に“横目を振らずに三咲を大切にしろ”と言ったつもりだが、優一は何も言わずに自分の目を見ていた。
“なに、こいつ”そう思いながら負けずに目を見ていると、何か心に引っかかるものが有った。
「美佐子さん、安西さんが僕を好きなのは、知っています。でも僕の気持の中では、まだ友達なのです」
「キスをした相手でも」
言葉に無理を感じながら言うと相手の言葉が続かなかった。ただ“じっ”と自分を見ている。
「僕は、美佐子さんを見た時、心に何かが生まれました」
言葉を続けようとした優一を止めるように
「葉月さん、今日は、三咲の事で話をしているのです。横に逸らさないでください」
「しかし、僕は・・」
「もうやめて下さい。とにかく私は、葉月さんは、もっと三咲に目を向いてほしいのです。よそ見などせずに」
そう言って、我慢に自分の心が近くなると
「私の話したい事は、これだけです。お誘いして申し訳ないですが、用事が有りますのでこれで失礼します」
相手に失礼だとは、分かっていた。でもこれ以上の会話は、自分の心に有る弱みを掘り起こされるだけだと思うと
「では」
そう言って一方的に席を立って、出口に向かった。
優一は、美佐子の後ろ姿を見ながら“なにを言いたいんだ。三咲の事は自分の心の中で整理するしかない”少しだけ三咲の顔が頭に浮かんだ。
美佐子は、店を出て表参道の地下鉄入口へ向かった。“なんなのこれ、あいつの顔を見ただけで。私の趣味じゃない、趣味じゃない”自分の心の中に何か芽生えた戸惑いを打ち消そうとしながら小走りに歩いた。
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