■3//深淵からの呼び声?
校舎の中は、なるほど外観から受ける印象と変わらず、酷いものだった。
木造の床はどこもかしこも抜け放題で、のみならずやはり内外問わず不法侵入が多いのだろう、カップラーメンの容器などのゴミが散乱していたりもする。
「きったねェなオイ。これだからよォ、最近のガキどもは……」
「今も昔も心霊スポットなんてだいたいこんなもんッスよ。あんまりそういうこと言うとおじさんっぽくなるッス」
「ヤスてめェ、言うようになったじゃねェか……?」
やいのやいのと小競り合いをするバカ二人は置いておいて、東郷は後方をついてくる黒河たちに声をかけた。
「なあ。さすがにこの広さを全教室見回るってのも骨が折れると思うんだが……どっか幽霊が出やすいとか、そういう場所はねえのか?」
そんな東郷の質問に、答えたのは付き人君の方だった。
「確か……友達の話では、三年四組の教室がよく肝試しで使われるんだとか」
「なるほど。じゃ、とりあえずそこまで行ってみるか」
――頷いて東郷が歩き出した、その時だった。
「うおわぁ!?」
――そんな間の抜けたヤスの声が響くと同時、けたたましい音とともに彼の姿が沈み込む。
「どうしたヤス!」
「ゆ、床が抜けて……あいたたた」
「怪我はねえか」
「大丈夫ッス」
言いながら這い上がる彼を見てほっと胸をなでおろしつつ、ふと東郷は黒河の方に視線をやった。
「済まねえ、驚かせ、て……」
だがそこで東郷は言葉を失うことになる。というのも……あの付き人君が、後ろから手を回す格好で黒河の口を抑えていたからだ。
「むー、むー……」
抑えている方、抑えられている方ともに必死の形相。だが東郷が何か言おうとした瞬間にはすぐにぱっとその手を離し、二人とも――そう、二人ともである。何事もなかったかのようにあさっての方向を向いていた。
「……なあ、黒河さん? 今のは」
「どうかされましたか、東郷さん」
「ん、あ、いや……」
あの男子に何かされかけたのかと一瞬勘ぐったが、少なくとも黒河の方がそう言っている以上は何もないのだろう。
最近の若い子はよく分からんな……などと思いを馳せながら、東郷は再び踵を返して歩みを再開する。
「足元気をつけろよ、想像以上にボロくなってる」
ぎしり、ぎしりと床板の軋む音が妙に大きく反響する廊下。頼れるものは懐中電灯の照らす明かりのみ。
いかにも
それは、敵意の有無。
かつて訪れた死霊の館に廃校舎、呪術師たちの廃村――そのどれも例外なく、侵入者に対する刺すような敵意に満ちていた。
だがここには、それがない。霊感などは持ち合わせていないが、東郷にとってはこの直感こそがもっとも頼りになるものだった。
だが、だとすれば――なるほどあの付き人君の言う通り、ここには「何もない」のかもしれない。
久々に肩の力を抜けそうな気配を感じ、東郷は珍しくほんの少し気を緩める。……まあ、後ろの舎弟どもはどんな時でも緩みっぱなしなのだが。
――。
慎重に進んで、一行はやがて階段へとたどり着く。
踊り場の方に光を当てるが、さすがに姿見などは置かれていない。慎重に進んで、二階は飛ばしてそのまま三階へ。
さっさと問題の教室だけ見て撤収してしまおう。そう思っていた、その矢先のことである。
不意に、東郷たちの視界が一斉にブラックアウトしたのだ。
そして――異変は、それだけではなかった。
『ぐ、ギャアァアァアアァァアアァァアアァァア!!!!!!!』
瞬間聞こえたのは、地の底から響き渡るようなおぞましい絶叫。
「おおっ……?」
さすがの東郷も、今まで聞いたことのないほどのその声に思わず声を漏らす。
手元の懐中電灯のスイッチを何度か押すが、反応なし。廊下の窓はすべて木板で封じられているせいで外からの光もなく、ひたすら暗闇。
『ぎゃあぁ、ひぎゃあああァアアァァっ!! ヤダアァァアアァァァアアァァァア!!!!』
「なんだァ、このヤバそうな声はよォ……!?」
どこからともなく響き続けるその咆哮のような声に一転して緊迫感が走る中、いささか間の抜けた別の悲鳴も上がる。
「あ~~っ、やべぇッス!」
「どうした、ヤス」
静かに問うたのは声からしてリュウジ。するとヤスは足元の床をぎしぎし鳴らしながら、
「懐中電灯の電池、切れかけなの忘れてたッス!」
「「「お前のせいかよ!」」」
はからずも同時にそう突っ込む三人。するとなにやらごそごそとリュックサックを漁る音の後、ヘッドライトを装着したヤスの顔がぼうっと暗闇の中に照らし出された。
「安心して欲しいッス。替えの電池はちゃんと持ってきてるッス」
光の中でドヤ顔を浮かべるヤスだったが、そもそも道具の手入れは彼の仕事なので全く自慢できることではなかった。
後で殴ろう、と心に決めつつ電池を受け取り、各々が懐中電灯を点け直す。
一同が揃っているのを確認すると、そこで東郷は黒河へ視線を遣る。
「すまんな、驚かせて。大丈夫だったか」
「はい。特になにも」
顔色一つ変えずに余裕の笑みを浮かべて見せる彼女に、東郷は半ば感心する。自分たち極道が慌てふためいていたというのに、大した胆力ではないか。
美月といい、最近の女子高生というのはこんなに肝が据わっているものなのか。
「……あれ、そういやァ叫び声が止んでら」
「なんだったんスかね、あれ……あんな不気味なの、これまでだって聞いたことないッス」
口々に例の謎の絶叫に対する感想を言うコイカワとヤス。リュウジまでも珍しく、
「そうだな……アレはさすがに、俺もビビった」
「「リュウジさんが!?」」
相変わらず顔色一つ変えていないので分かりづらいが、かつて組同士の抗争の中ですら泣き言ひとつ言わなかった彼をしてそこまで言わせるとは相当のことである。
「こりゃあ間違いないッス……あのエグ汚い悲鳴、ここには絶対とんでもないバケモノがいるッス……!」
「…………別に、そんなに汚い悲鳴じゃなかったもん……」
なぜか黒河が唇を尖らせて小声でなにやら呟いていたが、よく聞こえなかった。
ひとまず周囲を懐中電灯で見回して、危険がないことを確認すると東郷は改めて三階の件の教室を目指すことにする。
ぎしぎしと床が鳴るたびに、怯えているのかヤスのヘッドライトが揺れる。まったく、ヤクザが情けない。
嘆息しながら足早にずいずいと進んでいくと、所詮それほど長いわけでもない廊下――あっさりと目的の三年四組の教室前にたどり着いた。
掲げられているプレートの文字はだいぶかすれているが、たしかに三年四組と書いてある。
「カシラ、先陣は俺が」
「おう」
そう名乗りを上げたリュウジに任せると、東郷は後ろの面々に振り返って確認する。
皆がおずおずと頷いたのを確認すると――リュウジは一息に引き戸を開け、中を懐中電灯で照らし出す。
その瞬間……あの怪物じみた絶叫が再び辺りに響き渡って、東郷たちはそれが聞こえた方向……自分たちの
するとそこではどうしたことか、気を失った黒河を付き人君が支えていた。
「おい、大丈夫か……!?」
「カシラ、あれ……」
黒河を気にかけつつも、教室の中に足を踏み入れていたリュウジの言葉に視線を向ける東郷。するとそこにあったものに、東郷は眉をひそめる。
教室前方の黒板……老朽化して固定が外れて傾いたそこには、おびただしい数の御札のようなものがびっしりと貼り付けられていたのだ。
それを見て、さらには気を失った黒河の方も見て、いよいよ半狂乱になったヤスが頭を抱えて叫びだす。
「ヤバいッス、絶対こんなの霊障ッスよぉ!!」
だが――
「ええと、違うと思います、多分」
そんな狂騒を鎮めたのは東郷……ではなく、静かに黒河を介抱していた付き人君だった。
「東郷さん。ここで起こってる霊現象は嘘っぱちなんです。だって」
彼は白目をむいている黒河を抱えたまま、妙に気苦労を感じさせるため息とともに続ける。
「さっきの悲鳴とか、全部こいつが原因なんで……」
……まあ、薄々そんな気はしていたが。どうやらそういうこと、らしかった。
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