■EX//幕間:悪夢

 その日も、普段と変わらぬ日常だと信じていた。

 その日が、「彼」の日常を決定的に変えてしまう日であったとも知らずに。


 その日はちょうど、警察学校で寮生活を送っていた彼が久々に実家に帰省した日であった。

 それほど家に思い入れがあるわけでもないが、それなりに両親への愛着はある。

 警官という進路を目指したのは、刑事として日々熱心に働く父の姿を見ていたからこそであったし、それを日々支え続ける母の姿も、口にこそ出したことはなかったが尊敬していた。

 だから、久々の帰省……こんな日くらいは何か恩返し、というわけでもないけれど。せっかく酒を飲める年齢なのだ、今夜は両親と盃を酌み交わしてみるのもよいだろう――なんて。

そんなことを考えながら、なけなしの給料で買った少し高いワインを片手に彼は実家への道を往く。

閑静な住宅街。白昼で、人の気配も少ない。

 足が覚えているがままにしばらく歩いていたところで、彼は己の家へとたどり着いた。

 玄関口で、チャイムを鳴らす。せっかくの息子の帰省ということで今日は両親とも、家にいるはずだ。

 しかし一向に、誰かが出てくる様子はなく。彼は不思議に思いながらももう一度チャイムを鳴らして――それでも同じなので、しびれを切らして玄関の扉に手をかける。

 すると意外にも、戸はあっさりと開いた。

 仕事柄、こういったことに神経質な父は家にいる時であっても常に戸締まりは欠かさないというのが信条だったはずだが。今日は自分が帰ってくるからだろうか? 怪訝に思いながらも彼は家へと足を踏み入れた。


「ただいま!」


 警察学校仕込みの声量でそう呼びかけてみるが、一向に返ってくる声はない。

 靴を見てみるも、外に出かけているという様子でもない。……なおさら妙なことだ。

 靴を脱いで上がり込み、廊下を進んでリビングへと向かおうとして――その時のことだった。


 ぱちん、ぱちん、と。


 リビングの方から聞こえてきたのはそんな、指を弾くような乾いた音だった。

 規則正しいリズムで、ただひたすら鳴らされ続けるその音。ともあれ、そこに人がいることに違いはない。

 ヘッドホンか何かで音楽でも聞いていて、挨拶が耳に届いていなかったのかもしれない。そんなふうに考えて少し安堵しながら、彼はリビングに足を踏み入れて声を発した。


「なんだよ、いるなら返事くらいしろ、よ…………」


 最初に目に入ったのは、清潔感のある白い壁紙に飛び散った、おびただしい量の赤。

 そして――

ぱちん、ぱちん、と。

 包丁を片手に指を鳴らしながらソファに座る見知らぬ男と……彼の足元に倒れている、ふたつの死体。

 首を斬られて絶命している……彼の、両親だったもの。


 それを見て、彼は絶叫する。

 あらんかぎりの大声で。喉がはちきれそうなほどに叫んで、叫んで、叫んで……そしていつも、決まってそこで、目を覚ます・・・・・のだ。


「――……!」


 目を開けて最初に視界に入ったのは、天井に向かって伸ばされた、小指だけない己の手。

 その手で己の顔を覆いながら……彼、東郷・・は深く息を吐く。

 どうやら昨晩はあのまま、応接間のソファで眠ってしまったらしい。軋む体を無理やり起こしながら、東郷は舌打ちをこぼす。


「……久々に、厭な夢を見たもんだ」


 最近は忙しくて、思い出すことも減っていたのだが。

 久々に墓参りなど行ったものだから、余計な記憶までぶり返してしまったのか。あるいは、立て続けに舎弟が殺されているこの状況に反応してしまったのかは、定かではないが。


「くだらねえ」


 そうぼやいて携帯電話を一瞥すると、メールの着信があったらしい。

 その内容を確認すると――東郷は雑念を振り払うように頭を振って、ソファから立ち上がった。


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