DAY1-<1>
翌日の昼下がり。閑静な住宅街にいささか場違いな黒塗りの高級車が、法定速度で走っていた。
運転席にはヤス、後部座席には東郷と、さらに二人。
一人は鼻にガーゼを貼ったパンチパーマにアロハシャツの男……コイカワ。
そしてもう一人が、スキンヘッドにサングラス、黒スーツの筋骨隆々の男性。
名をリュウジという、若頭補佐の男である。
ガタイの良いリュウジと東郷に両脇を固められる形で後部座席の中央に押し込められて、コイカワは追い詰められた草食動物のように縮こまっていた。
そんな彼をじろりと見つめて、東郷が重々しく口を開く。
「おい、コイカワ」
「ひっ、は、はいっ!」
「鼻、大丈夫か」
「えっ、あっ、はあ……。折れたっつってもこのままにしておけば2週間くらいで治るって“
「そりゃあ良かった」
にこりと、その凶相に笑顔を浮かべた後――東郷はそのままの顔で続ける。
「で、何だっけか。ちゃぶ台が空飛んで、てめぇらの鼻っ柱をへし折ったと……本気で、天地神明に誓ってそう言いたいわけだな?」
「ほ、本当なんですよカシラぁ! 確かにオレも馬鹿みてぇな話だとは思いますけど!」
向かい側のリュウジが、無言で東郷を見る。「どうするか」と暗に訊ねる彼に東郷は、首を横に振って返す。
弁明するコイカワは涙目で、嘘をついているような雰囲気はない。裏の業界を渡ってきた東郷には、それを嗅ぎ分けられるだけの嗅覚は十分に備わっている。
だからこそ、余計に困惑するのも事実ではあった。コイカワが自分の力不足を雑な嘘で隠そうとしているならば相応のケジメをつけてもらうつもりであったが、どうにもあてが外れた。
そんなことを考えていると、車が一軒の屋敷の前で停まった。
「カシラ、ここです」
車を降りて、門構えを観察する。住宅地から少し離れた場所に位置する、庭付きの塀で囲まれた立派な邸宅だ。
「ふん、借金しといてずいぶんといい家住んでるじゃねえか」
「端っことはいえ都内でこの敷地なら、けっこうな額ッスよね」
「住んでるのは、どういう奴なんだ」
東郷の問いに、コイカワが答える。
「ええと……八幡和夫っつーうちの組の傘下の子会社の元社長で、高校生の娘と二人暮らしみたいです」
「元?」
「ええ。なんでもつい最近倒産したとかで……それでうちに金借りに来たんです」
「ほぉ……」
そんなことを話していると、さっきからじっと門を見ていたヤスが、何やら青ざめた顔で呟いた。
「あの、カシラ……なんか俺、急に気分が悪くなってきたんスけど……」
「……またいつもの霊感か。今どき流行らんぞ、霊感商法は」
「うちの親父、除霊師やってるんスよ。だからこういう良くないの、なんとなく分かるんッス! 絶対ヤバいッスよここ!」
「うるせえ。いいから行くぞ」
それだけ言って青い顔をするヤスを無視しながら、東郷は開けっ放しの門を無遠慮にくぐって玄関口まで行くと、木戸を叩く。
「八幡さん。八幡さん、いるか」
「ああ、はい、今行きます……」
するとしばらくして木戸が開いて――出てきたのはくたびれた顔の男。八幡和夫、その人であった。
「――ひぃ!?」
夜逃げなどされても困るので、事前連絡なしで来たのだが……案の定、鳩が豆鉄砲を食ったような顔で腰を抜かす八幡氏。
そんな彼に、にこりと凄惨な笑顔を浮かべながら東郷は告げる。
「俺は経極組の若頭をしている、東郷っつーもんだ。……ちょいと話がしたいんだが、いいよな?」
――。
居間に通されると、東郷たちは我が物顔で座布団に座り、ぐるりと周りを見回す。
敷かれた畳は長らく放置されているのか傷んでいて、桐箪笥やちゃぶ台などの家具も年季が入っている。外観こそ立派だが、なるほどあまり金回りが良いようには見えない。
茶を淹れに行こうとする八幡氏に「必要ない」と手で指図し、正面に座らせると――東郷は腕を組んで口を開いた。
「さて、八幡さん。俺たちが今日来た目的、分かるよな」
「……」
怯えた表情で視線を逸らす八幡氏に、東郷は大仰にため息を吐いて――次の瞬間、力強くちゃぶ台を叩く。
「ひっ……」
「だんまり決め込まれてもさぁ、こっちも困るんだよ。借りたもの返さないのは犯罪だって、小学生でも分かることだよなぁ?」
「あ、う……」
「どうしても返せねえってんなら、こっちも色々と考えなきゃいけないわけでさ――おたくも娘さんがいるって話だ、あんまり妙なことにはなりたくないだろ?」
怒気は見せず、ただ静かにそう告げながら顔を近づけ睨みつける東郷。
と、その時――玄関が開く音がして、声が聞こえてきた。
「ただいまー、お父さん。……あれ、お客さん?」
「き、来ちゃあダメだ、美月!」
どたどたと足音がして、居間に入ってきたのは買い物袋と学生鞄を下げた制服姿の少女だった。
両サイドでまとめられた綺麗な長い黒髪に、ぱっちりと整った目鼻立ち。
彼女は東郷たちを見るや、その表情に戸惑いを顕にする。
「ああ、君が娘さんかい。邪魔してるぜ」
「お父さんっ――あんたたち、何なの!」
「君のお父さんにお金を貸しててね。待てども待てども返してくれないから、こうして頼みに来てるのさ」
そんな東郷の言葉に、美月というらしい少女は驚きの表情で父親を見る。
「借金って……お父さん、そんなこと一言もっ――会社だって大丈夫だって、言ってたじゃないっ……!」
「……ごめん、美月……」
うなだれる八幡氏と、鞄を取り落して呆然とする美月。二人の様子を見て、東郷は内心でため息をつく。
組の方針が変わって以来、道理を外れるような商売からはほとんど足を洗ったが――金貸しの場ではやはり、こういった場面も少なくはない。
今さら痛む心もないが、とはいえ見ていて快感と思えるほどに人の道を踏み外してもいない。
押し黙る二人に、話を進めようと東郷が口を開きかけて――けれど先に言葉を挟んだのは、娘の美月の方だった。
「……待って下さい。お父さんは、会社が倒産して――それからというものお母さんとは離婚するし、病気で入院したり、新しい事業も失敗したり、あとはオレオレ詐欺にも引っかかったりして、良くないことばっかり続いているんです!」
「オレオレ詐欺は関係ない気がするッス……」
微妙な顔でぼやくヤスを無視して、美月は続ける。
「……そうよ、この家に住みはじめてから。この家に引っ越してから、何もかも悪い方に転ぶようになったのよ。父さん、やっぱり――」
「美月……いや、そんなはずはないだろう。たまたま運が悪かっただけなんだ……」
「でも、それじゃ説明がつかないよ! この家に来てから、変なことだっていっぱい起きてるし……」
何やら変な方向に話が転がり始めて、東郷は眉根を寄せた。
「変なこと? なんだ、そりゃあ」
そんな問いに、八幡氏は少し逡巡しながらも、ぽつぽつと話し始めた。
「……私たちがこの家を買って越してきたのが、およそ半年ほど前なのですが。丁度その頃から、家の中で……その、ものが勝手に動いたり、妙な物音が聞こえてきたりといったことがありまして。先日も、その……そちらの方が来た時にも、同じようなことが」
コイカワを指差してそう告げる八幡氏。東郷がコイカワを見ると、彼はこくこくと何度も頷いて返した。
「だから言ったじゃないですか、本当に、このちゃぶ台が動いてぶつかってきたんですって!」
……八幡氏の方からも証言が出ている以上、どうやらコイカワの作り話ではないらしい。
東郷が言葉に窮していると、今度はヤスまで喋り始めた。
「なるほど、やっぱりカシラ、この家、なんかおかしいんスよ! ……あのう、ちなみに不動産では事故物件とかは言われてなかったッスか?」
「それは、特には……。値段はたしかに、都内でこの広さの割には格安だなとは思いましたけど……」
「あー、そりゃあご愁傷さまッスね。たまに隠して事故物件売りつける悪どいのがいますから」
「……あなたたちみたいなヤクザには言われたくないと思いますけど」
ぼそりとそう言うと、美月は父親を守るようにして庇いたち、東郷たちを睨んだ。
「……お父さんが借金してるのは、分かりました。けど、うちには今、返せるお金なんてないんです。だから――」
ぎゅっと唇を噛んで、かすかに足を震わせながら、彼女は続ける。
「私が、なんでもしますからっ……お父さんにこれ以上、ひどいことはしないで下さいっ……!」
「美月!?」
「「なんでも!?」」
何やら目を輝かせるヤスとコイカワを無言で殴りつけると、東郷は立ち上がって美月の正面ににじり立ち、
「お嬢ちゃん。お嬢ちゃんの言う通り、俺らはヤクザもんだ。そういう連中に『なんでも』なんて言ったら――どういう目に遭うか分かるよな」
そう言うや彼女の制服のブラウスの襟元を乱暴に引っ張って、胸元を無理やりはだけさせる。
年齢にしては豊満な膨らみ、その谷間があらわにされて――しかし美月は顔を真っ赤にしながらも気丈な顔で東郷を睨み返した。
そんな彼女としばらくそのまま睨み合った後、東郷はその口元に小さな笑みを浮かべる。
「……はっ、ガキが一丁前なことを言いやがって。俺たちは風営法に違反するような商売はやってねえんだ、売りに来られてもこっちからお断りだ。それよりも」
そう言って家の中を見回しながら、東郷は鼻を鳴らす。
「おたくらが言うことが本当なら、どうも妙な物件らしいじゃねえか、こいつは。もしもそのせいで八幡さん、おたくが大損ぶっこいて俺たちに金を返せなくなったってのが真実なら――俺たちも鬼じゃねえ。借金の返済は、無期限で待ってやるよ」
「ええと……それは一体、どういう――」
戸惑いながら訊き返す八幡氏に、東郷は指先を向けてこう続けた。
「だから今日から三日、俺たちをこの家に泊まらせろ。この家で本当に『何か』が起きるのか、それを確かめさせてもらう。『何か』が起きるならおたくの勝ち、借金の取り立てはしねえ。何も起きないなら――そうだな、娘さんにも借金の返済を手伝ってもらうことにしようか」
「俺たちって、俺らもッスかカシラ!?」
「当たり前だろう。お前、カシラだけこの家に置いていくつもりか」
後ろで騒ぐヤスと、淡々と返すリュウジ。一方八幡親子はというと、顔を見合わせてしばらく困惑した後――
「……分かりました。どうか、お願いいたします――」
観念したようにそう言って、頭を下げる。
……娘の方は、目元に涙を浮かべたまま東郷を睨み続けていたが。
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