DAY0-<2>

 天川てんかわ組系列指定暴力団、経極きょうごく組。

 関東で一大勢力を形成している天川組傘下でも最近とみに勢いが増しつつある新進気鋭の組織――繁華街の雑居ビル群の中に紛れたその事務所で、一人の男が煙草をくゆらせていた。

 白スーツに角刈り、ギラつく三白眼で左こめかみには大きな傷跡。両手には室内だというのに黒の革手袋――見るからに強面、見るからにその筋の男。

 普通の人間であれば声をかけるのすら躊躇われるような佇まい。そんな彼に――事務所の扉を開けて入ってきた人物が頭を下げた。


「ッス! ご苦労さまッス、東郷のアニキ!」


 スカジャンに金髪の、まだ若い男である。頭を下げたまま微動だにしない彼に、「東郷」と呼ばれた白スーツは深く紫煙を吐いた後、大きな舌打ちをこぼした。


「アニキじゃねえ。若頭カシラと呼べっつってんだろ。ぶっ殺すぞ」


「あぁっ、すんませんっした、カシラ!」


 そう、この男こそ経極組の若頭。「経極の白虎」として極道界隈にて恐れられし東郷兵市とうごうへいいち、その人である。


「ったくヤス、テメェはいつまで経ってもヌケサクでよォ~……。テメェに任せてたクスリの件、しくじってねえだろうな。その調子でトチったら指の一本や二本じゃ済まねえぞ」


 その二つ名に相応しい猛獣のような顔で凄む東郷に、金髪のスカジャン――ヤスは慌てた表情でこくこくと頷く。


「あっ、大丈夫っス! 半グレ使って運ばせてますから、この界隈じゃガキからジジイまで、どいつもこいつもキメてますよ……へへへ。流石はカシラ、あれだけの量のヤクをこの短期間で調達できるのなんてカシラくらいのもんでさぁ」


「ったりめぇだ。本格的にシーズンが来る前に新型インフルエンザのワクチンを市内の病院に回せってのは組長おやじ殿直々の言いつけだからな。しくじったら極道失格よ」


「あ、そう言えばリュウジさんからさっきカシラにって伝言頼まれてたんスけど、リュウジさんの経営してる『風呂屋』に営業停止命令が来たとかで」


「まあ今の時期じゃ感染のリスクもあるからな。銭湯は厳しいだろ」


「ッスねぇ」


 とある調査によれば、経極組の収入源シノギは「ヤク」が4割、「金貸し」が3割、その他に「風呂経営」「賭博」「詐欺」「武器製造」が並ぶと言われている。

 ……その内訳の詳細を言うと、「ヤク」――つまり病院や薬局への薬品の流通補助、「金貸し」は合法金利でのホワイト金融、「風呂経営」は文字通り銭湯やサウナ経営、「賭博」はソーシャルゲームの開発運営、「詐欺」は不審電話詐欺などに引っかからないための講習開催、そして「武器製造」がコスプレ用品やモデルガンなどの製造。

 多彩な人材と人脈、そして任侠特有の団結性――それによって幅広い事業を展開するコングロマリット。

それが天川組であり、その系列組織である経極組の正体である。


 とはいえ昔からこの稼業であったわけではなく、かつては他の多くの指定暴力団同様に威力による非合法の商売を行っていたのだが……元締めである天川組の代替わりから方針を転換。

 これまでに培われた裏表さまざまな繋がりを利用して、こういった商売に転進した――という経緯である。

 ……無論、皆様言いたいことはたくさんあるだろうが、ここは「そういうもの」としてご理解頂きたい。ぶっちゃけ本題にはあまり関係がないので。


 ともあれ、閑話休題。


「そだそだ、カシラ。今日来たのはそのことじゃないんスよ。実はひとつ、お耳に入れておきたいことがありまして」


「何だよ。しょーもねぇことだったら殺すぞ」


「大事大事、めっちゃ大事なことッス!」


 本当かよ、と訝しみながらも、ひとまず東郷は腕を組み、ヤスに向かって首で促す。

 するとヤスはひどく深刻げな表情で、こう話し始めた。


「実はですね、コイカワの奴が取り立てをしくじったらしいんです」


「んだと? あいつは頭は悪いしこズルい小悪党だが、取り立てだけは上手かったはずだろ。……逃げられたのか?」


「いやぁ、それが――取り立て中に鼻の骨折って、尻尾巻いて逃げてきたらしくて」


「んだと?」


 眉間のしわを深くする東郷。場合によっては労災の手続きをしないと、などと勘定を始めながら彼は問う。


「まさか債務者に返り討ちに遭ったのか」


「いえ、それがどうも違うらしくて……コイカワが言うには、『ちゃぶ台が勝手に動いた』とか」


 真剣そのものの顔で言うヤスに、東郷は「なるほど」と頷いて。

 それから机の引き出しを開けると、中に入っていた拳銃を取り出して無言で突きつけた。


「…………いい度胸だなヤス、下らねえ冗談言いに来たならデコで煙草吸うコツでも教えてやろうか」


「ちょちょちょ、違います! 違いますって! 本当にそう言ってたんです、ちゃぶ台が飛び回ってぶつかってきたって!」


 そう言うヤスの表情には、嘘をついている様子はなかった。ひとまず拳銃を収めて、けれど怪訝な顔のまま東郷は腕を組む。


「あいつ、まさかシャブでもやってんじゃねえだろうな。そういうのは天川の親父殿がご法度にしてるだろ」


「俺も最初はそうかと思ったんスけど、どうやら違うみたいで。コイカワに付き添ってた他の若衆もそれで怪我してるんスよ」


 そんなヤスの話に、いよいよもって東郷は押し黙る。

 どうにも要領を得ない話ではあるが、とはいえ彼の話が事実だとすれば「経極組の者が取り立てをしくじった」ということになる。

 そんなことが、許されるはずもない。


「おい、ヤス。コイカワの奴を呼べ」


「え、あ、はい。……まさか、詰めさせるんスか?」


 青ざめるヤスに、しかし東郷は首を横に振って返す。


「いんや。カタギ相手に取り立てしくじるなんてことがあっちゃあ末代までの恥、親父殿に顔向けできねえ――俺も一緒に行って、片を付ける」

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