第21話 クラウス・アルヴォード

 俺はアルヴォード家の双子の弟として生まれた。

 最初に生まれた兄のクライスは跡取りとして大事に育てられ、俺は同じ日に生まれたが後から出てきたというだけで何をしても下に見られ決して一番になることはなかった。

 ただ兄の邪魔にならないよう、兄の支えとなるようにと言われ育った。


 それに不満はない。


 実際兄は、クライスは、俺よりも遥かに勉強が出来て運動も出来た。

 そのことを自慢することも冷たく当たることもなくて、いつも優しくしてくれた。


 大好きな自慢の兄だった。


「クラウスの字は綺麗だな、俺より上手いんじゃないか」

「そうか? でも字が上手いだけじゃ何の意味もないだろう」

「そんなことないさ。それにここ、この計算のやり方。俺より早く、より正確に答えに辿り着いている」

「そこだけだ。点数は兄さんの方が上じゃないか」

「父上は求めすぎだ、それに結果しか見ていない。自信を持て。お前は、俺よりずっと優秀だよ」


 そう言って頭を撫でてくれる兄の手はとても優しくて、暖かかった。


 その頃には俺は屋敷の中でいない者のような扱いを受けていて、まともに相手をしてくれるのは兄だけだった。

 母上は兄しか見ておらず、屋敷にいる連中も全員俺などいないように振る舞う。


 勉強こそ同じ部屋で受けていたが、兄は時々父上に呼ばれ食事の時間になるまで姿を消してしまうことがあった。


 仕方ないのでその時はずっと魔法鍛錬場か射撃場のどちらかで時間を過ごしていた。

 おかげで魔法と射撃には少し自信が持てた。


 この二つなら、もしかしたら兄より上かもしれないなどと、そんな呑気な事を考えながら。


 あの日もいつものように射撃場で時間を過ごし、屋敷に戻った時だった。


 屋敷に入るや響いてきた父上の怒鳴り声に思わずそちらへと走った。

 場所は父上の部屋の前で、既に屋敷のメイドや人達で集まっておりその中心には兄が、父上に怒鳴られながら蹴られ血まみれになっていた。


「兄さん!! 父上! 何故こんな事をするのですか!!」


 思わず兄を庇うように前に出たが、父上は怒鳴りながら俺の胸ぐらを掴み上げそのまま壁ヘと投げつけた。

 そこにいた者達がサッと避けたので俺は壁に背中を強く打って一瞬息が出来なかったが、それを気にする余裕はなかった。


 父上が再び兄に向かって足を上げているのが見えたからだ。

 しかも兄は気絶しているのかピクリとも動かない。


「兄さんっ!」


 このままでは死んでしまうと思い這うようにして兄の元へ近づくと、父上が再び俺を掴み上げようとしたので必死で兄にしがみついて抵抗した。

 父上はずっと怒鳴り続けていたが、何を言っているのかは分からなかった。


 ただ兄の身分剥奪、勘当、と言った事だけはハッキリと聞こえた。


 気がつくと朝になっていて、俺は自室のベッドで寝ていた。

 一瞬あれは夢だったのかと思ったが、身体の痛みが現実だと教えてくれた。


 兄を探そうと部屋から出るといつもは俺を無視するメイドが頭を下げて媚びるように挨拶をしてきた。


 ただただ気持ち悪かった。


 しかし昨日の記憶が曖昧で、そもそも何故父上はあんなにも怒り兄は蹴られていたのかを知る為にはこいつらに聞かなくてはいけない。


 そして知ったのは、兄には魔法の才能が全くないことだった。

 指先に小さな火を灯す程の魔力すらなく、魔法は一切使えないらしい。


 だから?


 まさか、それだけで?


 たったそれだけで、兄はあんなに蹴られたのか?


 あんなに優しくて勉強が出来て運動も出来る兄が、魔法が使えないただそれだけで?


 そんなのおかしいじゃないか。


 兄は今何処にいる。

 兄に会いたい。


 屋敷の何処を探しても兄には会えず、誰に聞いても知らないと言われた。


 勉強の時間になっても兄は現れず、代わりに父上がやってきた。

 父上がこれからはクライスではなく俺を跡取りにすると言うと、手を引き違う部屋へ連れて行こうとした。


 あの部屋だと思った。

 そう思った瞬間、本能的に父上の手を振り払い暴れて抵抗した。


 正直あの時自分が何を言ったかはあまり覚えていないが、泣きわめいたと思う。

 ひたすら兄がいないことと、魔法が使えないぐらいであの仕打ちはおかしいと訴えていた気がする。


 父上は昨日と同じように怒鳴って殴ったり蹴ったりしてきたが、俺も負けじとやり返し気づいたら医務室のベッドにいた。


「クラウス、ごめん……俺のせいで……」


 ベッドの側には兄がいて泣いていた。


「兄さん、良かった……やっと会えた」


 嬉しくて、俺も泣いていたら兄がポツポツと話してくれた。


 周りの言う通り、兄は魔法が全く使えないこと。

 それが分かったのは七つの時で、それからずっと今まで誰にも言わず、周りや親を騙してきたと言っていた。


「ごめんなクラウス。俺はお前が言うような完璧な兄じゃないんだ。ずっと周りを騙して、嘘をついていた最低な奴なんだ」


 そう言って何度も兄は謝っていた。


「こんな何も出来ないダメな兄で、ごめん」


 違う。

 兄さんは何一つ悪くなんてない。


「何でっ、何で魔法が使えないだけで全部ダメになるんだよ……! 今だって兄さんは、俺の自慢の兄さんだ……」


 そう言って泣いている俺に、兄は少し困ったように笑いながら頭を撫でてくれた。


「お前は優しいな、クラウス。少し寝たらいい。大丈夫、母上には俺から話すから。きっと分かってくれる。……ありがとう」


 兄の優しく撫でてくれる手に俺は安心してまた眠ってしまった。


 次に起きた時、今は何時なのか分からなかった。

 もう明日になっているのだろうか。

 窓の外は暗かったのでまだ夜なのかもしれない。


 身体の痛みはほとんどなく、俺はベッドから降りると部屋を出た。


「あらクラウス、起きてしまったの」


 聞き慣れない声にそちらを向くと、珍しく母上がいた。

 しっかりとこちらを見て話しかけているその目には、ハッキリとした憎悪と殺意が込められている。


 それが間違っていないという証拠に、右手にはしっかりと斧が握られている。


「ヘンドリックはもういないわ、今頃は野盗に身包み剥がされて土の中かしら。後は貴方さえいなくなれば元通りよ」


 そう言って母上はニッコリと笑いながらこちらへと歩いてくる。


「忌々しい。お前さえいなければクライスはあんな目にあわずに済んだのに。ああ、可哀想なクライス」


 母上が目の前まで来るのを俺はただ黙って見ていた。


 母上の言う通りだ。

 俺がいなくなれば兄はここから追い出されずに済む。


 そう思って母上が斧を振り上げるのをジッと見ていたら、大きな破裂音と共に母上の頭が吹っ飛んだ。


「え……?」


 母上だったものは斧を振り上げた体勢のままビチャリと汚い音を出しながらゆっくり倒れていく。


「……兄さん?」


 完全に倒れたのを見届けてから前を見直すと、そこにはショットガンを構えている兄の姿があった。


「ごめん、クラウス……何とか説得しようとしたんだけど……ごめん」

「何で、何で兄さんが謝るんだよ……何で、俺なんかを守るんだよ……母上は、兄さんの味方だったのに……」


 そう言って泣き出した俺を兄は銃を捨てるとこちらに駆け寄って抱きしめてくれた。


「……父上は完璧主義者で、一つのミスも許せない厳しい人だった。だから、俺に魔法の才能がないことが許せなかったんだ。俺は、魔法適性がないと知られたら追い出されると思うと怖くて言えなくて……クラウスが誰からも相手にされていないのを知っていて、何も言わなかったんだ」


 兄はそんな事を言っていたがそれは嘘だ。


「違う……そんなの俺は信じない」

「本当だ、嘘じゃない。俺は我が身可愛さに弟を見捨てたんだ」

「嘘じゃないなら!! その腕の傷はなんなんだよ!!」


 兄がハッとしたように腕を見て隠そうとしたのを咄嗟に捕まえた。


 俺を抱きしめた時に捲れた袖の下に見えた傷。袖を更に捲れば現れたのはおびただしい傷跡だった。切り傷打撲だけでなく、火傷跡さえある。


「この傷、昨日今日のじゃないのは明らかだ。それに、こんなにあって腕だけな筈がない。他にも、いや全身あるんじゃないのか」


 兄は何も言わず俯いてしまったが、それは肯定しているも同然だった。


 いつから、どれぐらいの頃からなのか聞こうとして気づいた。


 兄は時々父上に部屋へ来るよう呼ばれていた事を。


 もっとよく思い出せば、父上が兄を呼ぶのはいつもテストの後だった。

 兄は俺より成績も点数も上で満点を取っていたけど、いつも全部が満点ではなかった。

 満点でないといっても間違いは一、二問だけだったが。


 しかし父上は完璧主義者。


「っ全部! 全部俺を守る為じゃないか……!!」


 気づいたら大声で泣き叫んでいた。


 兄に魔法適性がないのを知れば、父上は必ず俺を跡取りにしようと考えたはずだ。

 兄の成績でさえ満足出来ず暴力を振るう父上が、兄より劣る成績の俺をどうするかなんて考えるまでもない。


 兄が父上に呼ばれていた時、自分は何もは知らず呑気に魔法の訓練をしていたと思うと情けなくて、ひたすら泣いた。


「魔法なんか、魔法なんかなくたって兄さんは十分立派じゃないか!! 何でだよ!! 何で出来ない事しか、どうしようもない事しか見ないんだよ……」


 悔しくて、悔しくて、ひたすら泣いているのを兄はずっと抱きしめてあやすように頭を撫でてくれていた。


「お前は優しいな、それに優秀だ。だからお前ならちゃんとやっていけるよ」


 しばらくして俺が落ち着くと、そう言い出した兄に疑問を持った。


「兄さん……なんでそんな出て行くような事を言うんだ?」

「……俺の今の身分は平民なんだ。父上が言っていただろう、既に手続きは済んでいる。そして俺は貴族を、しかも親を殺した重犯罪者だ。死刑は免れない」


 兄が掴んでいる俺の手を離そうとするのを、更に力を込めて握り返した。

 多分、この手を離したら二度と兄に会えなくなる。


「……嫌だ、絶対離さない。兄さんはただ俺を助けようとしただけだ」

「お前はそう言ってくれても、周りはそう見ない。こんな兄はいない方がお前の為だ」

「だったら俺が兄になる!!」

「クラウス?」

「父上も母上ももういない! ならここの当主は俺だ! その俺が決めた! 俺は当主の座を力ずくで奪っただけだ! だから兄さんには、クライスには何の罪もない!!」

「ダメだ、クラウス」

「嫌だ!! 兄さんは今までずっと俺を守ってきてくれた。だから、今度は俺が守りたい……守るから、だから、いなくならないで……」


 ******


 ガクッと落ちる感覚にクラウスは驚いて頭を上げた。

 いつの間にか机で寝ていたらしい。


 念願のヘンドリックを殺せたが、喜びよりもクライスを罵倒した怒りの方が強く苛つきは収まるどころか増していく。


 明日も早いがどうにも眠れそうになくワインでも飲もうと席を立とうとした時、丁度部屋のドアが開いた。


「ああ、やっぱり起きていたか」

「クライスもか」

「まあな、少し飲もう」


 そう言ってクライスは持っていたマグカップを机に置き、クラウスは湯気の立つマグカップの中身を見て眉をしかめた。


「こういう時は普通酒じゃないのか。ホットワインならまだ分かるが……」

「寝酒は身体に悪い。それに今のお前に酒なんか飲ませられない」

「だからと言って三十近い男がホットミルク……」

「蜂蜜入りと砂糖入り、どっちがいい」

「せめてウイスキーを……いや、砂糖で」


 ぶつくさ言いながらも一応飲むが、深夜に三十路近い男二人が無言でホットミルクを飲むのは周りからどう見えるのかと思ったところでクラウスは考えるのを止めた。


「……ヘンドリックを殺せたのに嬉しそうじゃないな」

「まあな。さっさと舌を撃ち抜けば良かった、そうすればお前が罵倒されることはなかったのに。中身は全く変わっていないのも苛つく、改心したところで許す気はないがとにかく存在自体が腹立たしい」


 そう話すクラウスにクライスは何も言わずただ笑っている。

 その表情を見ているとクラウスの苛つきも少し和らいだ。


「……なあ、俺は今酔っている」

「は? ああ、酔ったのか」

「そうだ。だから普段聞けないこととか、聞きにくいこととか、とにかくデリカシーのないことだって躊躇なく聞ける」

「早く言え」

「……魔法は好きか?」

「……ああ、好きだな。使えるのなら使いたいし、使える者が羨ましくて仕方ない」

「どうやってもダメなのか?」

「ダメだな。魔法の才能がないと分かった時から色々調べたが、どうしようもないらしい」

「そうか。……その割にはあまり悔しそうじゃないよな」

「そうか? そう見えるのは多分……お前が、俺以上に泣いて悔しがってくれたから、もう十分だと思ったんだ」

「何だそれ」

「自分以上に自分を思ってくれる人がいるのはいいものだという事だ。ほら、飲み終わったのなら早くベッドに入れ。カップは俺が片付けておく」

「……たまに思うがお前、俺の事を時々子供扱いしていないか?」

「まさか、兄だと思っているよ。俺の自慢の、優しい兄だ」

「……」


 そう言うとクライスは二人分のマグカップを持って部屋を出て行った。

 パタリと閉められたドアを見ながらクラウスは目を閉じる。

 いつの間にか、先程まで強く感じていた苛つきは綺麗サッパリなくなっていた。


 尚クライスの『片付ける』は流しに置いておくだけで、水すらはらなかった為翌日エルとアールは苦労する事になる。

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