第8話 ありがたくない情報
お
医者の許可が出たので、まずは俺と母上とフランの3人のみでお祖母様の寝室に入る。
「お加減はいかがですか? お義母様」
「身体の節々が痛いねえ。いい年して無理をしちゃったかね」
母上の言葉に、お祖母様がバツが悪そうに応える。喋りも流暢だし顔色も悪くないようだ。少し安心する。
「おばあちゃん、身体痛いの? 大丈夫?」
フランも心配だったのだろう。お祖母様の手をとって、優しくさすりながら声をかける。
「大丈夫だよフラン。明日にはまた動けるようになるさね」
「ほんとに?」
「フランに嘘は言わないよ。じきに良くなる。レオナルドにも手間を掛けさせたね。そっちは大丈夫だったかい?」
「肘を擦りむいたくらいですね。唾つけとけば治ります」
昨夜のことが嘘みたいに穏やかな雰囲気だ。暴れまわって怒りが発散されたのだろうか。口調が俺の知る平常通りに戻っている。昨夜はまるで時代劇みたいだったからな。
「夢をね、見たんだよ。フィルミーノの夢を」
お祖母様が唐突に父上の話をし始めた。
「父上の夢ですか?」
フィルミーノとは俺とフランにとっての父親で、お祖母様にとっては長男だ。
お祖母様がふと遠くを見るように語りだす。
「フィルミーノにね、夢の中で叱られたんだよ。『馬鹿なことをするな』ってさ。不思議なもんだねぇ、あの子が生きているころは叱られたことなんて無かったのに。亡くした子供にお説教をされるなんて、難儀なものさ」
「あの人ならそう言いそうですね。槍も剣も得意だったのに荒事が嫌いでしたもの。『まあ落ち着け』っていうのが口癖でしたわ」
「そうだねぇ。フィルミーノはよくそう言ってアブラーモを宥めていたねえ。気持ちの優しい子だったよ」
しばし、亡き父上の思い出話に花が咲く。忘れ形見のフランは父のことを知らないから、初めて聞く父親の逸話に喜んでいる。俺も知らなかった話が多くて面白い。一番笑ったのが、幼少の父上が牛の喧嘩を仲裁した話だ。
『まあ落ち着け、牛たちよ。話せばわかる』
そんな感じで仲裁したらしい。牛だよ? 話なんて通じないよ!
『気が済んだかい?』
肋骨を折られてそのセリフが出たというのだから筋金入りだ。
まあこれも父上が子供の頃の話らしいので笑い話で済むが、それ以降もお人好しエピソードが満載だった。
「フィルミーノはね、優秀だったけどよく叱られる子だったのさ。本人は良かれと思って行動してもうまくいかないことも多かったからね。たくさん失敗して、たくさん後悔して。でもそのお陰でまともな領主になれたんだね。間違いは誰にだってあるけれど、ちゃんと反省できるかが大事なんだよ」
お祖母様は寂しげに笑った。俺たちにというよりも自分に言い聞かせているような口調だった。
病み上がりのところに長時間居座るわけにもいかないので、俺たちはそこそこで切り上げて部屋を出た。
◇◆◇◆◇
「若様、お客様がみえています」
談話室でフランと遊んでいると、セバスが来客を告げてきた。でも俺にお客? 廃嫡されて5日しか経ってないので、その件ではないだろうが、だとすればここに訪ねてくるのはおかしい。
「テルミナ子爵家のローガン様です。元々若様に会うべくシルバーグレイスに向かっていたそうなのですが」
わずかに記憶がある。確か子爵家の傍流の出で父上と同年代の人だ。
「母上ではなく、俺に用事があると?」
「はい、そうおっしゃいました。要件は直接お話するとのことです」
分からんな。さっぱり要件の見当がつかないけど、子爵家の使いなら会わねばならない。
「一応、お祖母様の許可をとってから応接室へ案内してくれ。母上はどうしますか?」
「とりあえずフランと一緒に挨拶するわ。その後は話の内容次第ね」
「ではそのように」
俺たちは連れ立って応接室に向かった。先生も当然一緒だ。
しばらくして、セバスの先導で応接室に騎士服に身をまとった中年の男性と、同じく騎士服を着た年若い女性が現れた。
「おお、大きくなられましたなレオナルド様。アデリーナ様はお変わりなく。そちらにおられるはフランセスカ様ですかな。子供の頃のアデリーナ様によく似ていらっしゃる。いやー懐かしい。そういえばアデリーナ様が幼少の頃に──」
ああ、思い出した。こういうよく喋る人だったな。風貌はいかにも古強者といった様子なのに、どこか愛嬌のある、前世の感覚で言えば気のいいおっちゃんだ。
「お久しぶりです。ローガン殿」
「お久しぶりね、ローガン」
「はじめましてローガンさん! フランセスカ、7歳です!」
「はっはっはっ。皆様がご健勝のようで
「はじめましてシルバードーン家の皆様方。ローガンの娘、モニカ=テルミナです。よろしくお願いします」
モニカという少女は年齢にしては堂に入った騎士礼をとった。ショートカットの明るい茶髪にキリッとした眉、女性にしては低めの声で、騎士服がよく似合うボーイッシュな少女だった。
この国では、女騎士というのはそれなりに知られた職業である。王女などの貴人女性を警護する必要性から、常に需要がある。そのため、一定以上の身元の保証と礼儀作法が要求されるのであるが、彼女はそのいずれも満たしているように見える。
「それで、俺たちを迎えに来たとのことですが理由を伺っても?」
しばし雑談をして、紅茶が運ばれてきた時点で訊いてみた。
「それがですな、妙な噂をクラリーノ様が耳に挟みまして」
「噂ですか?」
クラリーノというのは子爵家の当主で俺の伯父にあたる人だ。お祖母様の生家であるロッシーニ家と同じく武門の家系で、質実剛健なタイプ。噂ごときで動くような性格ではないはずだが。
「えーと、アブラーモ男爵の長男、名前をなんと言いましたかな……」
「カストですね」
「ああ、そのカスト殿にですな、嫁取りの話があるそうなんです。それ自体はどうということもないのですが、その相手というのがレムリア侯爵家の四女とのことで、家格的にどうも訝しい。もしやレオナルド様を排除しようと動いてるのではないかと」
なるほど、男爵家が侯爵家から嫁を取るなら、最低でも嫡子でなければ釣り合わない。それも長女は無理筋で、次女以降の娘か庶子で、というのが大体の相場だ。
つまり、そういった縁談が本当に進んでいるのであれば俺を排除する意図、あるいは見込みがあるということになる。
「なるほど、伯父上はお家騒動を懸念して……」
「はい。噂が本当だった場合、侯爵家の現当主ならば後ろ暗いやり方もためらわないだろうと。最悪の場合、暗殺もありうるというのがクラリーノ様の見立てです」
「その見立ては正しかったですね。実は──」
つい先日に廃嫡と追放を宣言されたことと、自分たちも今テルミナ領に向かっていることを伝えた。
俺自身、この話を聞いて合点がいった部分がある。なぜこのタイミングで俺を廃嫡したかといえば、それは後見人の王弟殿下の病気の情報を掴んだからだろう。
分からなかったのは、親戚筋の顔を潰したその後にどうやって貴族社会で生きていくのかということだ。
おそらく、侯爵家との交渉で好感触を得ているのだろう。侯爵という大貴族を後ろ盾にすれば、横紙破りも通用すると睨んだ。実際、レムリア侯爵家は王国西部派閥の
なお、シルバードーン領は王国中央の西寄りで、レムリア家の影響は受けるものの、派閥的には王都派とも言われる中央派閥に属している。テルミナ子爵家も同じ派閥だ。
「一足遅かったですか……、残念です」
「暗殺ではなく追放なのが、不幸中の幸いですかね。レムリア家のご当主の人となりは知りませんが、大貴族の当主ともなれば、後顧の憂いを立つためにもっと強引な手、それこそ暗殺だってあり得たのかもしれませんし」
いや、今からでも暗殺者を送り込んでくる可能性も十分あり得る。身内殺しを厭ったアブラーモと違って、他人のそれも小貴族の小僧一人を見逃すほど甘いとも思えない。
「そうですな、生きてお会いできただけでも良しと思うことにしましょう。しかし、安心はできませんぞ。テルミナ領であれば領兵が護衛につけますが、そこまでの道中で何が起きるか」
「まだそうと決まったわけではありませんが、気をつけなきゃいきませんね……」
正直、背筋が寒い。頭で考えるのとは違う、リアルな恐怖。取り乱さずにいられるのは、横にフランがいるからだ。
「兄さま、殺されちゃうの……?」
俺の袖口を握りしめたフランが声を震わせて目に涙をためていた。
「大丈夫だよフラン。先生もいるし、護衛の人もいるからな。ちょっと気をつけましょうってだけさ。心配はいらないよ」
「ほんとうに?」
「もちろんさ」
妹を残して先に逝く? そんなのは一度で十分だ。絶対に死なない、殺されない。今度こそ約束は守る。それは最優先の俺の願いであり、誓いだ。
「確認なんですが、ローガン殿もテルミナ領に同行してもらえるということでいいですか?」
今の話、十分にその可能性があると俺には思えたが、噂話が本当に噂話で、クラリーノ伯父上の懸念が杞憂である場合もありえる。だが、事が事だけに楽観的にはなれない。現時点でできる範囲のことはすべてやらなければならない。
「当然ですな。一命を賭して皆様をお守りいたします」
「ありがとうございます」
泣き止まないフランを宥めすかせてどうにか袖を放してもらい、母上と一緒に下がってもらう。
そのまま残りのメンバーで移動経路の確認や護衛を追加する方策等々の相談をする。母上には、あとから俺が説明しておけばいいだろう。
「皆様、夕食の準備ができました。ご休憩ください」
結局、ある程度の算段がついたのは、太陽が沈み始める頃になってからだった。
◇◆◇◆◇
「やだぁ! 一緒じゃなきゃイヤ!」
食事後、ご機嫌取りでフランと遊んでいたのだが、それだけではお気に召さなかったようで、一緒に寝たいと駄々をこね始めた。
「俺はまだやることがあるからな、また今度にしような?」
「兄さまも一緒じゃなきゃイヤなの!」
妹に好かれて兄冥利に尽きるし、7歳の妹と一緒に寝るのが絶対に無理だということもない。…ないのだが、お祖母様の屋敷は部屋が限られているので、母上とフランは一緒の部屋を宛てがわれている。そうなると必然的に母上とも一緒に寝る事になる。
それはちょっと恥ずかしいというか照れくさいのだ。
「いいじゃない。フランの我儘、きいてあげなさいな」
「いやいや、俺も13ですよ。フランはともかく、母上と一緒には……」
「構わないでしょ、親子なんだから。あ、もしかして恥ずかしがってる?」
「そういう訳では……、いやそういう訳なんですけど」
「理由が他にないなら決定ね。息子の恥ずかしさより娘のかわいいお願いの方が大事だわ」
前世ならば中学2年生の俺はなおも言い募ったが、押し切られてしまった。
「護衛としてはまとまっている方が守りやすいです」
という先生の言葉が決め手だった。
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