水を、渇きを癒す水を・・・!

みらいつりびと

第1話 水道事業民営化

 おれが子どものころ、水道法が改正され、水道事業の民営化への道が開かれた。従来は地方自治体が運営していた水道事業は次々に民営化され、おれが成人になったときには、ごくわずかな例外を残して、日本国中の水道が民間企業の事業となった。巨大多国籍企業が進出し、日本企業のシェアは低い。

 水道代は高騰した。老朽化していた水道管の更新工事費に加え、人件費、利潤などが上乗せされたため、民営化直後におよそ2倍になり、その後も値上げは続けた。

 今では命の水が高額商品となり、一般市民が風呂に入る習慣は消え去った。極度に節水型の洗濯機が普及した。トイレも同様だ。ウォシュレットは廃れ、トイレットペーパーで拭く習慣が復活した。水道水をたっぷりと飲んで、喉の渇きを完全に癒すのは贅沢なこととなった。

 地下水の利用を規制する法律も制定された。民間水道事業体に有利な法律であり、地下水の入ったペットボトルは高級品となった。一部の富裕層にしか手が出ない。

 おれは多国籍水道企業で働いている。派遣社員で、時給は最低賃金に近い。水道事業に従事しているにもかかわらず、たっぷりと水を飲むことは夢のまた夢だ。

 成人してから、風呂には一度も入っていない。毎日タオルをたらいに浸して、よく絞って体を拭く。貧困者は水を極度に節約しなければ生きていけない。水道代を滞納すれば、民間企業は容赦なく停水する。

 水道料金の請求や停水がおれの仕事だ。以前行われていた水道メーターの検針業務はリモート水道メーターの導入により消滅した。おれは水道料金システムを操作する。高額の請求に心が痛む。クレームも多い。メンタルが削られる仕事だ。正社員よりきついと思う。

 水道料金の滞納があれば、システムが教えてくれる。おれは実地に赴き、バルブを閉め、停水ピンを抜く。これにより、素人では給水再開ができなくなる。水道工事の専門技術があれば、水を盗ることができるが、停水業務マニュアルに従い、おれは警察に盗水犯罪の通報をすることになる。警察官は法律に従い、滞納者を逮捕する。

 停水作業中に「やめてくれ」と懇願されたり、脅迫されたりするのは日常茶飯事だ。抵抗が度を超していたら、やはりマニュアルに従い、警察に通報する。おれは仕事をしているだけだが、停水された人が肩を落としたり、泣き出したりするのを見ると罪悪感に苛まれる。

 貧困者が給水を再開させるのは容易なことではない。滞納料金を利子をつけて支払うしかないが、停水は命にかかわるので、金があれば最初から滞納などしていない。セーフティネットの生活保護制度は年々審査がきびしくなっていて、支援可能な親戚や土地や建物を持っている人が受けることはできない。

 水道代を支払うために長年住んだ家を売る人は少なくない。日本の人口減少により不動産価格は下落しており、売れない家は多い。

 貧困者に高額な水道代がのしかかる。悪質な借金に手を出して水道代を払う人は後を絶たない。刑務所に入って、生存に必要な水が保証され、ほっとする人がいると聞く。

 水道企業の管理職の給料はかなりの高額らしい。彼らの家族は風呂に入ることができる。社長ともなれば、世界有数の大富豪である。

 にもかかわらず、水道の水質は低下し続けている。老朽水道管の更新工事費を企業が出し惜しんでいるためだ。

 水道水に赤錆が混じり、赤く濁った水が蛇口から出る頻度は増えている。そのクレームはやはり派遣社員が受ける。正社員が前面に出ることはない。彼らは低賃金労働者が怠けていないか監視するのが仕事だ。上級管理職は個室で仕事をしていて、何をしているのかおれは知らない。

 震災等により水道管等がダメージを負ったとき、復旧工事や市民への給水活動を行うのは、契約により地方自治体とされている。しかし自治体は何もノウハウを持っていない。震災時対応などできない。

 別の契約により、莫大な報酬を受けて、民間水道事業体が震災復旧と非常時給水を行うことになる。震災が起こると、企業は潤う。

 水道料金の値上げは常に検討されている。おれはコップ一杯の水を飲むたびに、身を削られる想いをしている。

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