『5、美少女二人に連行されて』


 翌日──


 土曜日なので吉川歯科クリニックは休診日だった。


 吉川先生に話を聞こうと言ってはみたものの、休診日に吉川先生に連絡がつくかどうか分からないではないか。もしも吉川先生が休日を満喫まんきつする為にお出掛けなんぞをしていたら、そもそも会えないんだから、話なんか聞けないぞ。


 自分の計画性の無さを呪ったが、芽衣と美波ちゃんは、午前八時半には我が家のリビングで「いつでも出発できるよ」とやる気満々でスタンバイしていた。


 勘弁かんべんしてくれ……俺は、つい最近バイトを始めたばかりの基本ひきこもり人間で、そのバイトも午後二時から七時までという夜型人間に超優しい時間帯のシフトなんだ。午前中に起きているとか、しかも、それが早朝の八時半だとか、拷問ごうもん以外のナニモノでもないんだよっ!


 心ではそんな事を思っていたが口に出せるわけもなく、芽衣に叩き起こされ、ゾンビのように顔を洗って歯を磨き、食欲も無いのでミネラルウォーターを飲んで誤魔化し、芽衣の用意した服を着て、半分意識が無いまま、芽衣と美波ちゃんに引き摺られるようにして家を出た。呆然としたままスマホで時刻を確認したら、信じられない事に、午前九時だった……


「お兄ちゃん、顔死んでるけど大丈夫?」


「いや、大丈夫に見えるとしたら、おまえが大丈夫じゃない」


「あ、なんか大丈夫そうだね」


 軽くいなされ、俺はうめきながら吉川歯科クリニックまで辿り着いた。


 きっと吉川先生は居ないだろうと思っていたら、なぜかクリニックの玄関先に吉川先生が困った様子で立っている姿が見えた。


 私服しふくは初めて見るが、淡い若草色わかくさいろのフリルブラウスと白いタイトスカートが良く似合っている。相変わらず美人だ。ほんわりした気分で吉川先生のとなりに視線を滑らせると、気分をえさせることに私服の野村女史までいた。私服のセンスも彼女らしくて感心してしまった。ショッキングピンクのどこで買えるのか分からない珍妙ちんみょうがらのニットワンピースを着ていたのだ。


 まあ、それはどうでもいいとして、気になったのは、もう一人だ。


 誰だか分からない黒いパンツスーツの女性──三十歳前後に見える黒髪ショートでメイクは薄めのキリッとしたクール系美人だ──がいて、野村女史と口論こうろんをしていた。


「なんなのよ、あんたはーっ!」


「ですから、少しお話をうかがいたいだけだと申し上げているでしょう?」


「話す事なんか無いって言ってんのよっ!」


「落ち着いて、野村さん」


「とにかくしょまで同行してください」


任意にんいだって言うなら行くもんですかっ。逮捕状たいほじょうでも何でも取って来なさいよっ!」


「野村さん、お願いだから穏便おんびんに……」


 言いかけて、吉川先生は俺と芽衣と美波ちゃんの姿に気付いて、ハッと目を見開いた。


「真之くん……」


「あっ、ええと、お邪魔なら出直でなおしてきます……」


   ◆◆◆


 数分後、俺たち六人は、そろって吉川歯科クリニックのスタッフルームにいた。


 外では落ち着かないでしょう、と吉川先生が言い、先生自身も、キレていた野村女史も、正体不明の黒いパンツスーツの女性も、俺と芽衣と美波ちゃんも、こぞってクリニックの中に入ったのだ。


 野村女史は憤懣ふんまんやるかたなしという顔をしていたが、誰が見ているか分からない外で言い争いをしているのは体裁ていさいが悪いという事は理解できたようで、怒りをあらわにしながらも、吉川先生の無難ぶなん提案ていあんにはしたがった。


 吉川先生と野村女史、正体不明の黒いパンツスーツの女性は四人掛けのダイニングテーブルに対峙して座り、俺と芽衣と美波ちゃんは、その横に、おまけのように突っ立っていた。


「野村さん、とりあえず警察でお話だけでもしてきたら?」


「嫌ですよ。任意同行って逮捕でしょう?」


「逮捕ではありません。あくまでも、任意での情報提供ていきょうをお願いしているだけです」


「嘘よ。ドラマを見て知ってるんだから。任意同行って自白をさせる為にするんでしょう。私は犯人じゃないから、絶対に行きませんっ!」


 あっ、なるほど、話が見えた。


 この見知らぬパンツスーツの女性は刑事けいじだ。しかも、神奈川かながわ県警けんけい捜査そうさ一課いっかの──


 ちなみに、捜査一課は殺人事件などの凶悪きょうあく事件を担当する課で、ドラマに登場する刑事はたいてい捜査一課だ。俺はひきこもり系なので無駄な知識だけはあるのだ。役には立たないが……


 意識して見ると、確かに彼女のジャケットの衿にはドラマで見た事のある金色のバッジがめられていた。


「野村さん、あなたは以前いぜん交通こうつう違反いはん指紋しもん採取さいしゅされていますよね。その情報が県警のデータベースに保存されていまして、被害者の所有するスポーツカーの助手席から検出けんしゅつされた指紋と一致いっちしています。鑑識かんしきによると、その指紋は一週間内外ないがい付着ふちゃくしたものだそうです。あなた、その時期じきに出水さんの車に乗っていませんか?」


「だから何だって言うの? 確かに、私は、先週の金曜、出水さんに自宅まで送ってもらったわよ。でも事件とはなんの関係も無いわよっ! 出水さんが亡くなって私がどれだけ悲しんでいるのか、あんたには分からないのっ?」


「……どうしても任意では署に来て頂けませんか?」


 ズシリ──と、重力さえ感じさせる声音こわねでパンツスーツの女性は言った。


 数秒、場が静まり返る。


「あの……どうしても必要なら、私が説得して彼女に協力させます……」


 吉川先生がかすれた声で控えめに言うと、野村女史は惨めな調子で泣き出した。


「先生、そんなこと言わないでください。私は出水さんを殺してなんかいません」


「大丈夫よ、野村さん、……」


 とんだ愁嘆場しゅうたんばである。


 しかし、意外だ。凪砂なぎささんだけが容疑者だと思っていたが、野村女史にも嫌疑けんぎが懸かっているという事だろうか……状況がよく飲み込めない。


 とにかく野村女史は任意では警察の事情聴取には応じないと言い張り、任意での事情聴取は逮捕ではなく、あくまでも捜査に協力して欲しいのだと女性刑事は説得しようとし、野村女史が泣き喚き、何度も同じ内容のやり取りを繰り返した挙句、とうとう女性刑事が折れた。


「分かりました。あくまでも『今の時点では』捜査に協力して頂けないという事ですね。こちらの状況が進展しんてんしてからあらためて参ります」


 射殺いころすような鋭い眼差しで女性刑事は告げると、野村女史を真っ向から睨み付けながら立ち上がった。すっげえ恐かった。


「君たちも、何か知っている事や気付いた事があったら、ここに連絡してちょうだい」


 帰りしな、女性刑事は俺に名刺めいしをくれた。ドラマなどだと警察けいさつ手帳てちょうをチラッと見せるだけだが、リアルでは名刺をくれるパターンもあるのか……


 なんだか奇妙な気分になりながらももらった名刺をあらためると、


『神奈川県警捜査一課 巡査じゅんさ部長ぶちょう 剣崎けんざき千尋ちひろ


 とクッキリした文字で記されていた。おそらく神奈川県警捜査一課の固定電話の番号と、メールアドレスと、090から始まる携帯端末たんまつの電話番号もある。


 一瞬ぼんやりしてしまったが、芽衣にシャツのすそを引かれて、慌てて剣崎刑事の後を追いかけた。もちろん、見付からないようにコッソリと、だ。


 剣崎刑事はクリニックから駅に向かう道の途中でカバンからスマホを取り出し、どこかに通話の発信をしたようで、立ち止まって話を始めた。


 俺と芽衣と美波ちゃんは電柱でんちゅうかげひそんで聞き耳を立てる。


 少しのり取りの後、剣崎刑事は通話の相手に向かって驚くべき事をうったえ始めた。


「確かに容疑者ようぎしゃは一人しかいないのですが、犯行はんこう時刻じこくに二人きりだったという状況じょうきょう証拠しょうこのみで、容疑者は犯行を否認ひにんしていますし、犯行に使用された毒を入れた容器などの物的ぶってき証拠は何ひとつ見つかっていないんです。毒物を入手した方法も未解明みかいめいですし、そもそも容疑者には犯行に使われた毒物を入手する事は不可能に近いと思われます。この事件、冤罪えんざいの可能性も……」


 ──?


 あの人、今、凪砂さんは冤罪かもしれないと言ったのか?


 剣崎刑事の言葉を聞いた美波ちゃんは、声を出さずに歓喜した。


 しかし、剣崎刑事の通話の相手は彼女の考えには反対のようで、剣崎刑事は目に見えて不機嫌になり、感情を押し殺した声で「分かりました。すぐに次の参考人のとこへ向かいます」とうめいて通話を終えた。


 三者三様さんしゃさんようの気持ちで見詰めていた俺たちを置き去りに、剣崎刑事はすたすたと歩み去る。通話の相手に言っていた通り、次の参考人なる人物の下へ向かうのだろう。


 その人物は、凪砂さんの無実を証明したい俺たちに取っても、重要な手がかりをくれるかも知れない貴重きちょうな人物であるに違いない。


 女性刑事のりんとした姿が少し先の角を曲がって見えなくなった時、ようやく美波ちゃんが声を上げた。


「やっぱりお姉ちゃんは犯人じゃない! 無実の罪は晴らさないと!」


   ◆◆◆

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