silver doll.

ちゃちゃ

第1話

 昔々、ある所に。

 とても大きな国がありました。

 その国の名前はセント・リリィ。

 青き星の神『レーン』に愛され、とても豊かで、とても美しく、魔法が生まれた場所だと言われています。

 そこに行けば、どんな願いごとも叶う。どんな苦しみも忘れられる。永遠の命だって手に入る。そんなうわさがまことしやかに語られましたが……残念ながら、その国が何処にあるのかは、誰も知りません。知らぬが故に、全ては御伽おとぎ。伝説の都とさえ、言われていました。

 ある詩人が、ある王国で、それを詩にして歌いました。

 すると、それを聴いたその国の若き王様は、いたく感動したそうです。


『永遠の命とな? それは正しく、大国を統べる余の為にあるようではないか!』


 王様はそう言って、総力を挙げて聖・リリィを探すことにしました。

 多くの褒美を用意し、優秀な兵士と冒険家を何千人と集めたのです。

 彼らは森へ、山へ、海へ、再び森へ。

 何人の兵士が死んでも、何人の冒険家を嘘吐きにしても、王様は諦めませんでした。

 やがて若かった王様も杖を突き始めた頃、ついに彼らは聖・リリィを見つけます。そこは一人、二人では、到底探しきれない深い森の果て。広大な樹海の中心にあったのです。誰も見つけられなかったのは当然でしょう。

 屍の山を築いても、決して諦めなかった王様だからこそ、辿り着けたのです。

 早速聖・リリィへ向かった王様は、そこの住人に言いました。


『この国にある永遠に生きられる宝物を渡しなさい。そうすれば、国を滅ぼさないであげよう』


 その言葉を聞いた聖・リリィの住人は、呆れたように笑います。


『そんなものがある訳無いだろう。あるのは永遠に生きるものだ』


 そしてそう言いました。

 すると王様は、彼等が宝物を隠しているのだと思い、怒ってしまいます。あろうことか、生き残った兵士達を、聖・リリィへ差し向けたのです。

 これには聖・リリィの住人も困りました。

 確かに彼等は魔法の文化に富んでいましたが、それは戦う為のものではなかったのです。必死に抵抗しましたが、彼等が築き上げた一二の領は順に滅ぼされ、やがて中央にあった首都までもが火の海になってしまいました。

 それを前にして、王様がどうだ見たことかと笑います。永遠に生きられる宝物を出さないと、生き残った住民全てを皆殺しにするぞと、尚も脅しかけました。

 生き残った聖・リリィの住人は、涙を流して、怒りに震えました。

 安穏と暮らしていた日々を、突如身勝手な理由でぶち壊された彼等の憤りは、きっと奇跡も起こせる程だったのです。

 不思議なことが起こりました。

 突然、空から光が降ってきたかと思えば、聖・リリィと広大な森を覆ってしまったのです。

 青き星の神『レーン』が、聖・リリィの住人を哀れに思ったのでしょう。光は彼等を助け出す為のものでした。それと同時に、あまりに身勝手な王様に罰を与える光でもあったのです。

 光にびっくりして目を瞑った王様達が、次に目を開いた時には、聖・リリィはすっかり無くなっていました。あるのはとても広い樹海だけ……そう、踏み入れたら最後。死ぬまで出られないと言われている死の樹海になってしまったのです。

 日の光さえ射し込まない樹海を彷徨い続け、やがて王様と兵隊は、苦しみながら死んでしまいました。今でも彼等の魂は解放されず、不意に迷い込んだ旅人を惑わし、死の樹海を彷徨っていると言われています。


「そして、今は無き魔法大国、聖・リリィは、天上へと移ったと言われています」


 薄暗い地下の広間。その最奥で、唯一スポットライトを当てられた場所。木造の張りぼてを背に、恭しく礼をするのは、眉目秀麗な優男。緑色の羽帽子を手に、優雅に一礼をする姿は、実に様になっていた。

 半刻にも及ぶ長いはなしだったが、終始よく通る澄んだ声色を維持しており、実に聞きやすかった。

 とても腕の良い吟遊詩人だ。

 しかし、その一礼に対して与えられた褒美は、わたしの拍手だけだった。

 木造の円卓が幾つも並ぶ観客席。

 お客は沢山いるけれど、彼等の目当ては羽帽子の男がする御伽噺おとぎばなしではない。次々と運ばれてくる油臭い料理なのだ。

 食べる手を止め、彼の話に耳を傾けていた人なんて、わたし以外にきっといない。

 いや、それも無理からぬ話か。

 『聖・リリィの悲劇』なんて話は、ここにいる誰もが子供の頃に聞き飽きたに違いない。それ程までに有名すぎる御伽噺だった。そんな話より、同じ卓を囲う友と語らう事の方が、余程良い肴になるだろう。

 それはおそらくあの吟遊詩人も分かっている。酒場の舞台なんてガラの悪い仕事を引き受けるという事は、即ち地に落ちたという事。いや、彼が元々名のある詩人なのかは兎も角として。何せ、称賛されるような仕事場ではないだろう。

 男は羽帽子を再度被り直し、唯一拍手を送ったわたしをちらりと見やってくる。

 青い長髪の下にうかがえる顔付きは、何か奇抜なものを見るようだった。わたしが薄く微笑み返せば、彼は取りつくろったように笑顔を浮かべて、一礼。そのまま舞台裏へと下がっていく。

 去りゆく詩人の横顔は、どこか自嘲しているようにも見えた。


「なんだ。舞台を観てたのか」


 わたしの横顔に掛けられる声。

 先の拍手や、料理を食べる手が止まっていたことに対してだろう。得心いった風なその声へ、頷きながら振り返る。


「ええ。好きなんです。この話」

「へえ? お前にしちゃ意外だな」

「勝手な偏見ですね」


 何の変哲もない濃げ茶色の円卓の向かい。わたしと対に当たる場所で肉を片手にしている男は、「そりゃすまんな」なんて零しながら、肉にかぶりついた。金色の瞳も手元へと動き、特に話を掘り下げようという様子はない。

 毛の一本すらない褐色の頭に、汗が光るその姿。黒い肌着の上からでも分かる程に筋骨隆々きんこつりゅうりゅうとしていて、取り立てて小さい訳では無い筈の円卓が、小さく思えてしまう程の巨漢。身に纏う白銀のボディアーマーや、脇に立て掛けてあるわたしの身の丈以上の大きさを誇る戦斧せんぷから、一目に分かる屈強な戦士だった。

 薄暗い中という事も相まって、随分と暑苦しく映る。

 偏見の塊を人に押し付けておいて、真っ当な謝罪も無し。肉をむさぼる姿だって野蛮そのもので、女性であるわたしと相席していることに何の配慮も無い様子だ。しかし彼に何を言っても、先程と同じ言葉が返って来るだろうとすぐに察した。まあ、つまるところ、ある意味それぐらいに気の知れた仲ではある訳だ。

 わたしは溜め息混じりに、目の前の肉へナイフを入れ、小さく切った。それを口に運んで、ゆっくりと咀嚼する。

 固い。脂身ばっか。

 控え目に言っても不味い。

 まあ、仕方無いことか……。

 わたしが僅かに顔をしかめた丁度その頃、見計らったように周囲からわあと声が上がった。ふと視線を上げれば、目前の男も「おっ」だなんて声を上げて、先程は見向きもしなかったステージの上へ視線を向けている。その先を追えば、そこには妖艶ようえんな雰囲気を醸し出す深紅のドレスを纏った女性。スポットライトを浴びるや否や、腰をくねらせ、魅惑的な動きで自らの胸元を大きくはだけさせていた。

 薄暗い食堂。つまるところ酒場。

 辺りは目前の男と似たような輩が多い。当然、詩人よりも美女の方がうけが良いだろう。先の詩人には同情するが……まあ、料理が不味いのと同じで、仕方が無いこと。ここはそういう場所だ。

 何処かで荒っぽい声が上がれば、美女は更に衣装をはだけさせていく。深紅のドレスという印象が、剥き出しの肌色に乗っ取られるのは、そう時間が掛からなかった。


「はあ……」


 わたしはあからさまな溜め息を吐いて、目前の皿へ視線を戻す。

 半分程残っている皿を手でそっと押し出し、目前の男に促した。


「なんだ? もういいのか?」


 視界の端で気が付いたらしい男がこちらを振り向く。

 わたしはすまし顔で目線を逸らした。


「食欲が失せました。でも、折角の食事を残すのは嫌なので、アレロさんが良ければどうぞ」

「おお、それはそれは。有り難く頂戴するとしよう」


 そう言って、掘りの深い顔立ちに子供のような笑顔を浮かべ、皿を受け取るアレロさん。本名はもっと長い筈だが、随分前に聞いたその時は、あまりにどうでも良い情報だったので、すっかり忘れてしまった。覚えているのは、『アレロ』は愛称で、本名は凄く言い辛いことぐらい。まあ、改まって聞くと傷付きそうなので、必要に差し迫られない限り聞き直すこともない。

 彼が食事を再開すれば、わたしは手持ち無沙汰になる。ステージを見たい筈も無いので、地べたに置いた茶色いバッグを取り上げた。膝の上で口を開いて、中から書物を取り上げる。薄暗いけれど、活字を読むぐらいなら問題は無いだろう。


「おっ! おい。そこの姉ちゃんも舞台あがらねえか?」


 と、すれば、何処からかそんな声を掛けられる。

 不意の声に思わずアレロさんへ改まれば、彼は苦虫を潰したような表情で、近場の円卓をにらんでいた。その視線を追えば、安っぽい灰色のアーマーを着たモヒカン頭の男が一人。

 アレロさんよりは小柄で、わたしよりは大柄。脇に掛けてあるのは両刃の剣。暗がりなので確かではないが、意匠が凝っていないところを見るに、如何にも量産品っぽい安物だろう。

 戦士であるのは確かだが、有り体に言って雑魚だ。

 彼は正しくわたしを指差していた。下卑げびた嫌らしい笑みを浮かべるその頬は赤らんでいて、手には発泡している飲み物。どうやら随分と悪酔いしているらしい。明らかに自分より強者であるアレロさんの姿なんて、まるで見えていない様子。

 彼はわたしと目が合うなり、下品な顔を更に大きく歪めて笑う。


「ひゃー、別嬪べっぴんじゃねえかぁ」

「…………」

「ユクシール。止めとけ」


 剣士をジッと睨み返せば、アレロさんが横からそう言ってくる。

 彼を横目でちらりと見てみれば、残った肉を口一杯に放り込んでいた。

 どうやら急いで食事を終えようとしてくれているらしい。


「おいおい。美女だぜぇ? そこに美女がいるぜぇ?」


 が、そんなアレロさんの気遣いを知った様子もなく、剣士が騒ぎ立てる。一人、二人と下賤げせんな輩がわたしを認めて、一様に下品な表情を浮かべていた。

 ぱたん。

 読もうとした本を閉じる。それをバッグに仕舞って、円卓に片手を突いて立ち上がった。辺り一体から向けられる視線に、思わず空いた手で拳を握る。


「ユクシール! 止めろつってんだろ!」


 と、すれば、今度こそと言わんばかりに、アレロさんが立ち上がった。

 肉を飲み込みきれていないまでも、腹の底から出てきたような声が、辺りに響く。

 賑やかだった酒場が、瓶を落としたようにしんと静まった。

 どうやらアレロさんの声で、この場に居る全員が気付いたらしい。一様にわたしの背後を見て、唖然あぜんとした表情を浮かべていた。


「別に、本気じゃないですよ」


 そう言って、わたしは拳を解く。

 同時に体内で練り上げていた魔力を解放し、きびすを返した。

 そこに何時の間にか浮かんでいた赤色の円と直線で出来た図形を手で払ってかき消し、足許のバッグを拾い上げる。「行くぞ」と、先に踵を返していたアレロさんを追って、酒場を後にした。


「ま、魔導士かよ。珍しい」

「何でこんな田舎に……」


 後ろから聞こえてきた声は、戦士達が上げたとは思えない程、震えたものだった。


 空には巨大な深紅の星が映える。遠めに見えるどの山よりも大きなそれは、今日も今日とてクレーターさえもが拝める程に鮮明だった。それに照らされて、赤みを帯びた薄暗い道路を歩く。

 辺りは閑散かんさんとしていた。民家は少なく、洒落っ気も無い。木造の平屋造りの建物が点在していると言えば、目に見えるもののほとんどに近いだろう。先程後にした酒場ぐらいしか大きな建物がない田舎町だった。近場に山や湖があり、資源こそ豊富なのだが、大陸北部に当たるここいらは如何せん気温が低い。

 ふうと吐き出すわたしの吐息は白く染まっていた。隣を歩くアレロさんも、寒いとごちながら灰色のマントを羽織ろうとしている。

 地図で見れば、大陸の中央を陣取る『死の樹海』より、随分と北に行った所。海を渡った先の『未知の大陸』に最も近く、荒くれをはじめとする冒険者は多いのだが、やはり住み心地は悪い。先の酒場のように地下で火を起こさない限りは、屋内に居ても凍えてしまうだろう。故に元々定住者が少ない町で、ずっと昔に来た時も、廃れたような印象を覚えた記憶がある。

 この時もまた、同じ印象だった。


「しかしまあ、あんな安っぽいことでキレてたら、幾ら俺でも胃がもたんぞ」


 この町で一番大きいらしい道を歩きながら、アレロさんが愚痴ぐちっぽく零す。

 まあ、何をと言われずとも、先程の悶着もんちゃくのことだと分かる。確かにあそこで魔法をぶっ放していれば、良くて酒場ごと崩壊。わたしがその気なら、この町は地図から消えていたことだろう。言わんとすることはもっともだ。

 しかしわたしは唇を尖らせて、横目に彼を見上げ、睨みつけた。


「分かってると思いますけど、単なる脅しですよ。実際、祝詞のりとなり、詠唱なりをしなければ、普通の魔法は発動しませんし」

「それは知ってるが、魔導士がどれ程希少なのかは、お前自身が良く知ってるだろう? 俺が言いたいのは、この後のことだ」

「まあ、ええ。それはごめんなさいと言っておきます」

「お前なあ……」


 飄々ひょうひょうと返せば、アレロさんはうんざりした風に肩を落とす。

 魔導士の身売り相場は大金貨が五枚。平民が簡単に貴族へと成り上がれる金額だ。当然、魔導士が魔導士ですと自己主張するのは、自殺行為以外の何物でもない。こんなくたびれた田舎町なら尚更だろう。

 魔導士一人で一騎当千と言われる世だが、それはあくまでも戦争でのお話。些細な魔法にも詠唱を用いるその性質上、近接戦闘に弱いと言われるのもこれまた常識だ。

 少し歩けば、その気配は獲物を狙う蛇のように静かに現れた。

 先に気が付いたアレロさんが足を止め、続いてわたしも停止すれば、気取られたと察したらしい荒くれたちが一人、また一人と、物陰から姿を現す。


「いいか。山分けだぞ!」

「おう。死ななきゃ大金持ちだ。気合い入れろや」


 足早につけてきたにしても中々に早い。

 ちらりと見渡せば、その数は一〇や二〇で済まない。付近の建物の屋根に登っている者もいるあたり、随分と手慣れた様子が窺える。成る程、魔導士を襲撃するのは初めてではないらしい。

 わたしがそう悟った瞬間、背後から甲高い爆発音が一つ。

 不意に違和感を覚えて、ちらりと視線を落とせば、わたしの左足首が小さく光を放っている。それ自体は今しがたの音がもたらした被害ではないが……やはり、直感は正しかった。彼等は魔導士であるわたしが行動を起こす前に、銃で足を撃ったのだ。

 わたしが普通の魔導士なら、痛みで詠唱どころではないだろう。

 普通なら。


 気高い輝きは不浄を断つ。

 豊穣の恵みへの誓い。

 陽光は祝福となる。


 短い詠唱の中、わたしの身体を幾つもの弾丸が穿ち抜いていく。中には生け捕りという事を失念しているように、胸をぶち抜いたものもあった。

 しかし、わたしの詠唱は淀みなく完遂される。

 背に広がる赤い色の魔法陣も、追って完成している事だろう。

 それを裏付けるように、わたしの前に立ち塞がる悪漢達は、その表情を濁らせていく。まるで化け物を見たような顔をして、じりじり、と後退っていた。

 そんな様子を他所に、わたしは隣で深い溜め息をついているアレロさんに片手を向ける。

 発動した魔法は一筋の光となって彼の足許へ落ち、雛を守る卵の殻のように彼の身体を覆った。


「ば、化け物……」


 銃撃に対してビクともせず魔法を行使するわたしに、悪漢の一人が怯えた声を向けた。

 いやまあ、それも仕方ないか。

 わたしは本当に化け物なのだから。

 怯えた悪漢が、震えた手で銃の引き金を引く。甲高い音と共に放たれた弾丸は、わたしの脳天を抉り、頭部の中を通って貫通した。が、その傷はみるみる塞がり、血の一滴流れ出ぬ間に完治する。

 難なら、わたしの身体には人間と同じ赤い血なんて流れちゃいない。

 胸でドクンドクンと音を立てる心臓が流しているのは、体内の無限器官が生成した魔力そのもの。その密度は生身の人間が血と共に流すそれの数千倍と言われ、その副作用として身体の形状記憶が徹底して行われる。些細な汚れから、人間にとっては致命的な傷まで、例え斧で顔面を抉られようと、無限器官が動く限りは不死身の如く復元し続ける。

 それが、古の魔法都市『聖・リリィ』が生み出した永遠に生きるモノ――銀の人形だ。


「おう。お前ら。見逃してやるから逃げとけ。こいつが怒ると、この田舎町ごと消し飛ぶぞ」


 図ったようなタイミングでアレロさんが溜め息交じりの声を漏らす。

 そこで悪漢共も漸くハッとした。

 傷一つつかない魔導士の傍ら、見知った様子の大男。これを拿獲だかくすれば、或いはわたしを脅す事も出来ると思ったのだろう。

 やぶれかぶれな様子で、悪漢の一人がアレロさんへ突っ込んだ。


「はあ。やっぱそうなんのか」


 が、正面から襲い掛かってきた悪漢の顔面を、アレロさんの大きな手が鷲掴みにする。汚い声を上げて悶絶したその男を軽々と持ち上げて、明後日の方向へとぶん投げた。

 おお、流石に良く飛ぶ。

 民家の屋根で銃を構えていた別の悪漢に、狙ったかのように直撃していた。

 すぐに別の悪漢が銃をぶっ放したが、しかしこれも今しがたわたしが掛けた魔法の壁に阻まれ、明後日の方向へ跳弾する。あんな安物の銃で撃たれた弾丸なら、わたしが防御魔法を施したプレートアーマーすら貫けないだろう。むしろ常時掛かっている弱めの防御魔法だけで、生身の部分すら些細な痛みを感じるだけで済むかもしれない。

 まあ、アレロさんはこう見えて大袈裟だから、こういう時は怪我の一つもさせない方が良いのだけれど。

 あまりに非常識な状況に、ついに悪漢の一人が悲鳴を上げた。


「な、何なんだお前等!」

「それはこっちの台詞だろ。お前等がいきなり襲ってきたんじゃねえか」


 やや呆れ気味に、アレロさんが溜め息をつく。

 予想はしていたとはいえ、彼の言う事はごもっともだ。別に名乗りを上げて欲しい訳じゃないが、まあ彼は小言の多い気質をしているから、悪漢の揚げ足取りをしたに過ぎないだろう。実に嫌味な男だ。

 とはいえ、彼が命を尊ぶ気質をしているからこそ、この悪漢達は未だ息をしていられるのだが……そんな事は知ったこっちゃないか。


「ほら、散れ散れ」


 群がる野良犬を追い払うように、アレロさんは手を振る。

 その足が再び歩き出したのを見て、わたしも後に続いた。

 怯えきった様子で道を譲る悪漢達を、すれ違い様にちらりと見れば、「ヒィッ」なんて声を上げられた。一つも実害は加えちゃいないと言うのに、なんて失礼な奴だ。

 少しばかり腹が立ったので、軽く足を蹴飛ばしておいた。

 大袈裟な悲鳴を上げてすっ転ぶ悪漢を後目に、わたしはぷいと顔を逸らす。横でアレロさんが「おいこら」と声を上げているけど、これぐらいは許して欲しい。魔導士と見せびらかしたのはわたしだけれど、見た目一七、八歳の娘に徒党を組んで襲い掛かってくるわ、わたしの感性なんて知ったこっちゃない様子で化け物扱いするわ。わたしのピュアなハートが傷付いちゃうったら、ありゃしない。

 まあ、純真無垢さなんて一〇〇〇年も前に捨てたけど。


「ほんと、厄介な婆さんだよ」

「誰が婆ですか、誰が。わたしは一七歳です」

「へえへえ」

「殴りますよ?」


 ムッとした顔で横目に睨みつければ、つい今しがたの悶着なんて無かったかのようなにやけ顔で肩を竦めるアレロさん。

 かれこれ一〇年の付き合いだ。

 一緒に旅をし始めてからも三年になるか。

 この少年のような悪戯っぽい顔につい絆されてしまうのも、何度目になるか分からない。仕方ない男だと苦笑して、遠慮も配慮も無い足取りに何とかついていくだけだ。

 たった一〇年。

 されど一〇年。

 わたしにとっては取るに足らない時間の長さではあるけれど、その濃さはわたしの唯一の主人だったアイーシャが生きていた頃と引けを取らない。何もかもが楽しかった当時とは物の感じ方こそ異なるものの、それを差し引いてもこの男と過ごす時間は価値の高いものだった。

 聖・リリィが滅びて一〇〇〇年。

 故郷を失くしたわたしは、自らの還る場所を見失い彷徨い続ける迷子だった。今もそうかもしれない。

 アイーシャの面影を探して流浪の日々を送る日々があれば、何も考える事なく廃屋の片隅で眠りについた日々もある。一番長く身を寄せた生き方は、心優しい主人が絶対に望まないであろう殺戮兵器としての生き方だったりもした。そんな真っ暗な余生に差し出されたのが、今、隣で地図と睨めっこをして、次の行き先を考えている男の褐色の太い腕だった。

 この先何があろうと、わたしはこの手を放すつもりはない。

 この男が死ぬまで、ずっと。

 それだけは確かだ。

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