短編書いたやつたち
熾火灯
海に花束を捨てる
有給消化を終えて保険証を突き返しに行く日。つまりは私の退職日、職場には“
それを渡してきたのが唯一社内で信用のおける人間──
「何かの嫌味かこれは」
小声で訊ねる。外瀬は私の会社への──ひいてはこの田舎町への感情をよく理解しているはずだ。
「有坂は色紙と花束、どっちが良かった?」
冗談好きの同僚が苦笑を返す。
色紙なんて最悪だ。
頬を引きつらせる私を、外瀬が呆れたように笑う。
「そんな顔しないで。ほら、良い香りのする花選んだんだからちょっとは嗅いでみてよ」
「……今、鼻詰まってるから後でね」
社屋を後にして、車を走らせる。
仕事というよりはこの町が嫌だった。なんたってコンビニが一軒と寂れたスーパーが一軒しかない。どちらも仕事終わりに立ち寄れば同じ会社の人間たちの井戸端会議に鉢合わせる最悪な店。主要都市の中継地点、観光資源は自然のみという典型的な田舎町。けれどそんなウンザリする町での暮らしも今日までだ。社宅の荷物は全部実家に送ったし、あとは身一つで帰るのみ。
だというのに。
……助手席に我が物顔で鎮座する花束が、退職の解放感を濁らせる。
海岸線沿いの道に出た。晩夏の空は青く澄んで、海は静かに凪いでいる。
おもむろに窓を開けた。欺瞞によって彩られた花束を思いっきりぶん投げる。青に溶けた花弁はほんの少し綺麗に見えた。正直滅茶苦茶スカッとした。
でも、今になって思う、香りくらいは嗅いでおけばよかったと。
それから三か月くらい経って、外瀬から連絡があった。私も仕事を辞めることにしたよ、なんたって冬はボーナスの額がデカいから。ところでそっちは最近どう? よかったら私の退職日に迎えに来てほしいんだ、私が車持ってないの知ってるだろ? とかなんとか。あの会社に勤めて唯一良かったと思えた事は、外瀬という気の合う友人ができた事くらいだろう。
「いやうん、迎えに行くのはいいよ。正直あの社屋を見るだけで嫌な記憶がこみ上げてきて吐きそうだけど、まあ外瀬より早く辞めてしまった負い目もあり……」
「ありがと、助かるよ。そういえば、花ちゃんと飾ってる? 会社憎さに枯らしてないよね」
ぎくりとする。多分今は日本海の荒波を彩っていると思います。
「もちろん飾ってるよ。良い香りだよね、なんて花なのこれ」
再び、外瀬の笑い声。
「やっぱり捨ててたか。有坂、その花は“造花”って言うんだよ」
「あっぶな……あの場で匂いなんて嗅いでたら笑いものにされるところだった。なんて意地の悪い」
「ギスギスした人間関係の職場なんて、形だけ取り繕った造花と同じでしょ。嘘で固めた笑顔を並べて無機質に隣り合ってる」
「言うねぇ……私も同じ考えだけどさ」
「有坂の時は私が提案したから花束だったけど、私の時は何が貰えるのかな。ちょっと楽しみだよ」
嘘で固めた表面的な人間関係が造花なら──。
「外瀬は上手くやってたんだから、本物の花束でも貰えるんじゃないの」
「私たちの笑顔は本物ですってか? 絶対実家に持ち込まない、帰り道で海にでも捨てるよ」
外瀬の言葉に、今度は私が笑いを返した。
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