私の姉は神様かもしれない
大規模災害による被災者のメンタルケアを目的として試験的に導入された人型アンドロイドが一般家庭にも浸透したのは、姉の多々ある偉業のうちの一つに過ぎない。
多くの人が姉を表する時に使う“個性的”という言葉は、“変人”という言葉と同義だった。確かに個性的な人ではあるなと感じるけれど、私は時折「うちの姉さんはもしかして神様なんじゃないか」とも思う。
私が産まれるより前、歪な我が家を支配していたのは他でもない姉その人だった。穏やかで模範的だが性機能に問題のある父。そんな父と家庭を持つも、かつての離婚がきっかけか、依存心が強い割に他人の愛情を信用できない母、そんな二人をうまくコントロールして、絵に描いたように幸な家庭を演出した連れ子の姉。
再婚家庭に産まれる子供はセメントベビーと呼ばれるらしい。別々だった二つの家庭をつなぎ合わせるような存在。私が担うはずだったその役は姉が充分に果たしていたし、私はずっとよそ者のような気持ちで過ごしていた気がする。そんな私の心のケアをしてくれたのも、やっぱり他でもない姉だった。
一九も年の離れた姉妹だったが、私と姉の仲は良好だった。姉がもうある程度自立した大人であるのをいいことに、産まれたばかりで日常生活に難のある私の世話を姉に任せ、以前からの趣味である一人旅にかまけて家で過ごす時間より外で過ごす時間の方が長くなりつつあった母。そんな母に何も言わず、毎日仕事から帰れば疲れた顔をしながらもそれなりに家庭的な人間らしい振る舞いをしてみせる父。そして、実の娘のように私を溺愛する姉。鬱陶しいなと感じながらも、その気遣いを嬉しく思う自分。
何もかもが歪だった。歪だったけれど悪くはなかった。皆が皆好き勝手に振る舞いながらも、互いに線引きができていた。絵に描いたように幸せな家庭からは遠のいてしまったかもしれないけれど、共生という点では理想的だった。
そんなある日、父が急死した。父が仕事を辞めた翌日だった。その日は私の一歳の誕生日でもあった。
「貴女のお父さんはアンドロイドだったの、作ったのは当時十五歳の私」
驚く私に淡々と告げる姉。父がアンドロイドだったという事実を飲み込むことも難しかったのに、作ったのが姉だというのは明らかに私が理解できるキャパシティーを超えていた。けれど同時に、なるほど、と納得する自分もいた。この姉ならそう不思議な事でもないと思えたのだ。
人が死ぬと様々な手続きに忙殺されて故人を偲ぶ時間すらないと聞く。けれど、我が家の場合は全てが滞りなく進んでいった。父は可能な限りの生前整理を済ませていたのだ。当然だ、父は己の寿命があと僅かだと知っていたのだから。何故って、姉の作ったアンドロイドが、自分の耐用年数を知らない筈もない。
父の廃棄処分が行われる工場まで足を運んだのは、私にも幾許かの情があったからなのだろう。共に過ごした時間は一年にも満たなかったが、確かに彼は私の父として振舞っていたし、歪ながらも家族ではあったのだ。
母は来なかった。愛着がなかったのか、はたまた夫が鉄くずになるのを見たくなかったからなのか。
父の身体は分解され、再利用可能な部品の選別が行われる。荼毘に付されることもなく、血色のいい人形が作業台に横たわっている姿はなんだか滑稽だ。
父の皮膚が剝がされ、中の金属パーツが露出する。出来の悪い悪夢みたいだ。
外皮は基本的に再利用不可な部品として扱われる。希望者の要望通りの容姿で作られるからだ。故人に似せる人、手の届かない有名俳優に似せる人、自分好みの理想の相手を作る人。たくさんいるのだと姉が横で解説してくれた。解体業者の扱いも雑だった。床に乱雑に捨てられた父の皮膚は萎びた風船のようだ。その(おそらく)背中だった部位にバーコードのような刻印が見える。なるほど一応の見分けはつくのかと、つい先日まで姉の作ったアンドロイドを人間だと思っていた私は少し安心した。
「生産ラインはそれ程多くはないけれど、数年後には希望者が一人一体貰えるような仕組みを作るつもり。数年前の大災害で大幅に減った労働力の補填は成功。メンタルケアの点においてはまだ改善点がいくつもあるけれど、お義父さんは少なくとも私にとって理想的な父親だったわ。お母さんの為に作った筈だったんだけどね」
苦笑いを浮かべる姉に、「そうなんだ、姉さんは凄いね」と間の抜けた言葉を返すので精いっぱいだった。
こちらの気も知らず、姉は私の頭を抱き寄せ頬ずりなんぞしてみせる。鬱陶しいことこの上ないが、抵抗は無意味だと知っているので受け入れるほかない。
そのまま二人で解体作業を見届けた。遺骨代わりに、再利用不可パーツを溶かして作った三人分の指輪を持って帰った。
その晩、浴室の鏡で背中を見るのが怖かった。そこにバーコードが刻まれていないことは知っている、何度も見ているからだ。それに私は自分の耐用年数も知らない。姉がそんなミスをするはずはない。けれど、知識として知っている。人間の一歳児は自分でシャワーを浴びたりできないことを。
私には血が通っている。父と同じように。ケガをすれば血も出るし、悲しければ涙も出る。父と同じように。父と同じように。父と同じように。
不安を払拭するかのごとく、浴室の鏡に自分の背中を映してみる。傷一つないきめ細やかな、血色の良い肌がそこにある。同じ部位にバーコードがある保証なんてどこにもないのに、ほんの少し安堵した。
お風呂から上がって、早々にベッドに入った。
姉は父の死をどう思っているのだろう。自分の作ったアンドロイドが活動を停止して、何を思ったのだろう。そしてもし、私の活動が停止したら。彼女は何を想うのだろう。
様々な思考が泡のように湧いては消え、ため息だけが残った。
部屋の扉をノックする音。「何」とだけ返す。両親不在の家だ、来訪者の察しはつく。
「入ってもいい?」
「……いいよ」
扉が開く。私はベッドライトを点けて、身体を起こす。
「眠れないの?」
「まあ……思うことがあって」
姉はベッドに腰かけた。普段は超然とした風なのに、今の表情はどこか沈んだようにも見える。アンドロイドとはいえ家族が減れば落ち込むのだろうか。
「お義父さんとお母さんはね、最初はうまくいっていたの。私がどうこうしなくても仲睦まじい夫婦みたいで、こっちがうんざりするくらいだった」
私が何を思っているかの察しはついているらしい。
「けど、次第にお母さんはお義父さんを避けるようになった。“私を最優先に思って動く人なんて、なんだか気味が悪い”って」
「夫婦ってそういうものなんじゃないの。……形によると思うけど」
「そうね。でもお母さんが思った夫婦は、お義父さんには作れなかった。可笑しいの、アンドロイドだって分かっているのに、“人間味がなくて怖い”んですって」
「そう……」
母があまり私と関わろうとしなかったのも、そういうことなんだろう。
「最優先事項が決まっている人なんてそうそういないわよね。やりたい事とやるべき事が一致している事なんてそう多くはない」
けれど父にとっては──。
「だから今度は不安定な人を作った。手のかかる妹が欲しかったっていうのもあるんだけど──ともかく、お義父さんの失敗は最優先事項を家庭の保善に向けていた事。貴女には何も課していない、お母さんの可愛い娘で、私にとっては手のかかる可愛い妹でいてくれればそれでいい」
「それ、私に言っちゃっていいの?」
「もちろん駄目。だけど大丈夫、こうなることは想定していたし対策もしてあるから。貴女が寝て起きる頃には、今日得た懸念も不安もすべて消えているわ」
「…………」
姉が顔を近づける。耳元で何かを囁く。音声認識による命令コードの入力だ、多分。
「大丈夫、今日のことは悪い夢。目が覚めたらすべて忘れているわ」
その声が耳朶を震わせて、間もなく強烈な睡魔がやってきた。薄れる意識の中で思う。
──ああ、やっぱり、私の姉は神様だ。
短編書いたやつたち 熾火灯 @tomoshi_okibi
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。短編書いたやつたちの最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます