第22話 満天の星空
夜風にあたろうと、窓から抜け出して屋根にのぼったら、先客がいた。
傾斜に横たわり、頭の下で腕を組んで支え、持て余したように足も組んでいる。
そうしてみると、細身で小柄ながら足が長く、バランスのよい体つきをしているのがよくわかる。
(背中。冷たくないかな)
体温が全部屋根に持っていかれてないかなと心配になり、毛布を持って出直してこようか、いやいっそ自分がマットになってもいい、とあれこれ思案し。
その結果(いやそれは気持ち悪い)と思い直して大いに落ち込んだ。
先客であるラナンは目を瞑ったままで、起きているのか寝ているのかも判然としない。寝ているなら風邪ひかないか心配、とまた考え始めてジュリアは(いい加減にしないと)と自分に言い聞かせた。
(お師匠様のことになると、変。歯止めがきかないっていうか。近寄らない方がいい)
考えすぎるし。すぐに触りたくなるし。気持ち悪いし。やばい。
気づかれる前に立ち去らないと。
そう思って、音を立てないように踵を返したというのに。
「どこ行くの」
冷ややかな夜気にしみる声は甘く澄んでいて、ジュリアは万感の思いを込めて目を閉ざした。
「出直します」
「僕が邪魔?」
「まさか。俺が余計なんです」
背中に投げかけられる言葉は、絡みつくほど誘ってないくせに、置いて行かれるのを拒むかのような響きを帯びていて、ジュリアを惑わせる。
(~~~~惑わせてるつもりはないのかもしれないけど。俺が勝手にそう思ってるだけというか)
一緒にいたい。
本当に嫌われていたり、迷惑だと思われているならもちろん身を引くつもりはあるのだけど。
もし少しでも居場所があるなら、どんな形でもそばにいたい。
そんな考えが読まれたわけではないだろうに。
「野良猫かな。こんな夜に屋根の上に来るなんて、身軽な野良猫に違いない。そうだよね?」
念押しのように確認されて、ジュリアは肩越しに振り返る。
目と目が合った。
ラナンが肘をついて頭を支えるようにわずかに身体を起こし、淡い笑みを浮かべて見ている。
ジュリアは息を吸い込んで、吐き出して、小さな声で言った。
「にゃーん……」
「ほら、やっぱり。僕は猫は好きだよ。こっちにおいで。何もしないから」
くす、とラナンが笑い声をもらした。
ジュリアは(戻ろう)と心の中では強く思いながらも、ラナンが片手を差し出してきたのを見たら完全に思考力を奪われて近づいてしまった。
寝そべったままのラナンのそばで片膝をつく。
ラナンは面白そうに笑みを湛え、囁き声で言った。
「顎を撫ぜられてみる? 猫は好きだよね」
「お師匠様」
「返事はにゃーんだよ。僕はいま猫と話しているんだ」
もう何がどうあっても今晩は「そう」と決めてしまったらしいラナンに対し、ジュリアは目を閉ざして鳴いた。
「にゃーん」
「いい子だ」
自分もそれでいい、と諦めの境地に至り、ジュリアはその場に腰を下ろした。
(何をしていたんですかとか。寒くないですかとか。そういうの、俺からは聞いちゃだめってことだよな)
何しろ、発言は猫語しか許されていない。
それでも、避けられるよりはマシだと思ってしまうのだった。
空気は澄み渡っており、視線を上向ければ満天の星空であった。
綺麗だなと思いながら見ていると、自分がいまどこで何をしているのかも忘れそうになる。
「大昔、洞窟に描かれた壁画のいくつかには、付加魔法が確認されている。痕跡が微かだから正確には追えないんだけど……、今日はそこまで話そうとしていたのにいけなかったなぁ」
星々を瞳に映しながら、ラナンが穏やかに言った。
相槌は打てない。今は猫なのだった。
ジュリアは膝を抱えて座り直し、ぼんやりと通り向こうの金物屋の屋根を見る。
(大昔の絵が現代まで残っていることが、「魔法」なんだろうか……? それとも、絵そのものに何か特効があるんだろうか)
風雨にさらされたものは、簡単に風化していく。
言葉もないほどの昔に描かれた絵が、遥かなるときを越えて存在し続けるなんて、それは魔法以外にありえないように思う。
(あ、でも洞窟の中って何かものすごく条件がいいのかな。そういう話?)
「しかし物に魔法を付与するというのは、長い歴史を見てもあまり例がないんだ。だから、僕みたいに魔石を使ったり護符や魔法を帯びた道具を作る魔導士は新しいタイプの魔導士だと言われている。確かにこっちの魔法が実用化に至ったのは本当に最近だ。それ以前はヴァレリーみたいな攻撃系に需要があったし……。それよりもっと昔は重々しい儀式を偏重していたしね」
魔法講義の続きかな、と視線を向けたときには、ラナンは腹の上で指を組み合わせて目を閉じていた。
「たとえば、
ラナンの話は思い思いに好きなところに飛んでいるように思える。
歴史なのか手法なのか追いかけて耳を澄ませて聞いているうちに、もはや内容はともかくラナンの声が心地よ過ぎてふわふわしてきてしまった。
(それはそれとして、冷えてるし。お師匠様本当に大丈夫かな)
そんな自分を反省して目を向けると、ちょうど見上げてきていたラナンと目が合ってしまった。
息を止めたジュリアに構わず、ラナンはほうっと小さく息を吐き出す。
「ジュリアの向こう側に宇宙が見える。幾千幾万の星々が散らばる宇宙……。僕はね、魔法の力は宇宙から降りてきているような気がするんだ」
「はい。あ、いえ、にゃー」
返事をしたら軽く睨まれて、鳴き声でごまかす。
(ジュリアって、自分は言ったくせに……!)
野良猫設定どこいったよ!? とよほどつっこんでやりたい心境であったが、耐えた。
温厚篤実で、責任感は強いけど気弱なところがあるラナンであるが、ごくたまに手に負えないほどの頑固さを発揮する。
最近であれば、家が強盗に襲撃されたときに何がなんでも自分が時間を稼ごうとしていたあの妙な度胸であったり、怪我はしていないとつっぱねる頑なさであったり。
もともと、本来はする必要がないであろう一人暮らしをしていたところからも、人当たりの柔らかさとは裏腹に、一筋縄ではいかない部分があるのはわかっていたつもりであるが。
これまでは、年下で保護対象であるジュリアにここまで「わがまま」を言ったことはないように思う。
野良猫呼ばわりなんて、下手をしたらプライドを捻じ曲げるようなこと、普段のラナンなら絶対に言わない気がする。
(ま……、べつに傷ついてなんかないけど。というかお師匠様、俺が女じゃないと知って、遠慮がなくなった感じなのかな……。この間の指の傷のこと? 飼い主の手を噛んでいいと思ってんのかって。すげープレッシャーかけられてる感じがするし)
立場わきまえろよ、猫。
って言ってます?
猫なので、聞きたいことも聞けずに抱えた膝に顎を埋めようとしたところで。
「寒い」
身体を起こしたラナンがぼそりと呟いた。
(引き揚げるつもりかな)
自分はどうしよう、もう少し頭冷やそうかな、と横に座り込んだラナンを見ていると、正面を見たままのラナンが今一度ぼやいた。
「冷えた」
(そりゃ、屋根に寝転がっていたら全身の体温持ってかれただろうな)
ジュリアと同じように膝を抱えて座り込んだラナンは、ちんまりと小さくて微かに震えているように見える。
「すっごく冷たい」
まだ言ってるし。
「にゃ……にゃあ?」
何言ってるんですか、という意味を込めて一応聞いてみる。
一瞥もくれないまま、ラナンは聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った。
「猫でも抱っこしてあったまりたい……もふもふの」
ジュリアはその場で速やかに立ち上がり、ラナンの背後に回り込むと後ろから両腕をまわして抱きしめた。
うわっとラナンが小さな悲鳴を上げ、瞬間的に身体を強張らせたのは伝わってきたが、なおさら腕に力を込める。
「にゃーん」
耳に唇を寄せて鳴いた。
「だ……抱っこしたいって言ったのであって、しろとは言ってないっ。こらっ」
無言のまま耳を甘噛みをしたら、さすがに怒られた。
「背中が寒そうだったから」
「猫はしゃべらないっ」
理由を説明したら、再び頑なな態度をとられてしまったのでジュリアは口をつぐむ。
肩に顎をのせるようにして、目を閉じると、ラナンの早い鼓動が伝わって来た。
「ジュリアって……、いっつも背中からくるよね……」
少し間を置いてから、ラナンがひそやかに呟く。
猫語では答えづらい問いかけだなと思案していると、答えは特に求めていなかったようにラナンが続けた。
「僕が怒ってるのはわかっていたよね」
(それはもう。無視されると生きた心地がしなくて)
「別に、ジュリアの事情を全部話して欲しいとお願いしたこともないし、何か隠していても別にいいんだけど……。治癒魔法はあんな風に気軽に使わないでよね」
ラナンを抱きしめるジュリアの腕から一瞬力が抜けた。引き止めるように、ラナンの手がジュリアの腕にかけられる。
「治癒魔法は一番寿命を削るって言われている。大怪我ならまだしも、あんな舐めれば治るような傷には使わないで。すごく怒ってるんだから、もう簡単に使わないって約束しなさい」
ラナンに抱き着いたまま、息を止めていたジュリアは、ややしてほーっと長い吐息をもらした。
「怒ってるってのって、そっちなんですか。舐めたことじゃなくて」
「舐め……っ。そ、それはもういいから」
覗き込むと、頬から耳にかけて染まっているようにも見える。
「重要なところです。舐めるのはいいんですね?」
「だめっ。あと猫はもうしゃべらなくていいっ」
答える代わりに頬に唇を寄せて軽く触れてから、以降は猫になろう、とジュリアは決めた。
びくっと逃げようとしたラナンを二本の腕で力強く押さえ込んだまま。
抵抗が通じないと悟ったらしいラナンはやがて大人しくなる。
それから、ふと思い出したように言った。
「そういえば、ジュリアはお祭りは誰と行くの?」
また猫語で答えにくい質問をしてきたな、と思いながらも、ジュリアとしてもそこは話すことがあったので人の言葉で連絡事項を告げることにした。
「警備員を募集していたので申し込んできました。多少腕には自信がありますし、日当も良かったので。当日は割り当てられた場所で警備にあたります。まだ詳しいことはわからないんですけど」
「……ん?」
「今まで食客していた分、働きたいので。ああ、ロザリアはヴァレリーに任せていくつもりです。あんまり興味なさそうなふりしているけど、ロザリア実は結構楽しみにしていると思うんですよね。もし三人で行くならよろしくお願いしますね」
「え、ジュリアいっぱい誘われてなかった? 女の子と遊んでくるんじゃないの!?」
なぜか驚き一杯の様子で振り返られ、額と額ががつんと派手にぶつかった。
互いにその痛みに耐え、しばし無言となる。
腕から力が抜けて、気づいたときにはラナンに抜け出されていた。
「ジュリアお祭り行かないの……!?」
額をおさえながら、立ち上がったラナンに念押しをされて、ジュリアはなんの確認だろうと思いながら素直に答える。
「行かないというか、働いてます。あ、え、……まさかお師匠様、どなたかに誘われてます!? 相手は男ですか女ですか!? 誰ですか!? もしかしてヴァレリー!? あれ、ヴァレリーにロザリアお願いしたときにはそんな話言ってなかったですけど!?」
「……僕が誰と出かけようがジュリアには関係ないんじゃない!? しっかり働いてきなよ!! 警備大事だよね!!」
勢いよく言いながら、ラナンは屋根の端まで進んで、ひらりと姿を消した。
二階にある自分の部屋に飛び込んだのであろう。
つい先ほどまで抱きしめ合っていたとは思えないほど、温もりはあっさりと夜風にさらわれてしまった。
今の反応はなんだったのだ、と。
寒空の下でジュリアは一人、そのまましばらく考え込んだ。
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