第15話 決意の朝に

 朝の冴え冴えとした光の中で、ジュリアは淡々と身支度をした。


 男性用に仕立てられた衣服に袖を通すのは久しぶりだが、特に違和感はない。

 長い髪は切ってしまいたいところだったが、しばらくは女装と行ったり来たりもあるだろう。短いよりは長い方が女装にはしっくりくるので、今は結ぶだけにする。

 姉妹が使っている二階の一部屋は、屋根裏部屋のような中途半端な作りで天井が低い。

 立ち上がると首を折り曲げる形になるので、口に紐をくわえ、膝をついて鏡を覗き込みながら髪を結び終えて鏡を覗き込む。


(男に見える……だろうか)


 つるりとした顎を手で撫でてみせる。特に化粧をしなくても「女性」に見える顔立ちだけに、果たして服装を変えただけで「男性」に見えるのか、自分だけでは判別しようもなかった。

 ロザリアはすやすやと安らかな寝息を立てていまだ夢の中。


 ジュリアは意を決して階段を下りた。 


 * * *


 髭面のヴァレリーは、昨日使っていた椅子にそのままの姿勢で座って目を閉ざしていた。

 一瞥してからキッチンに向かう。

 昨晩使った食器類でも片づけようと思っていたが、すべて洗い終わって水切り籠に伏せてあった。


(この家には俺もロザリアもいるんだぞ。こんな雑用は弟子にやらせるのが普通じゃないのか?)


 ラナンには偉ぶったところはないが、共同生活を送るにあたり、仕事の分担は当たり前という考え方はある。外に出る必要がないのと、失敗してもよその人には迷惑をかけないという理由で、日常の家事類は姉妹に割り振られていた。

 とはいえ、夕食後に出たたくさんの洗い物なんてイレギュラーは、放っておけばラナンが片付けかねないので先回りして洗ってしまおうと思っていたのに。

 まだかなり早い時間だし、昨日眠り薬を渡されていたラナンは起きてきている気配はないし、だとすればこんなことをした人物は一人しかいないわけで。


「おっす。おはようさん」


 のんびりとした声は、すぐ背後から。

 弾かれたように身体を反転させて、ジュリアは声の主と向き合う。


「おはようございます」


 わずかに視線を上向けて見つめると、ヴァレリーは「水……」と手をさまよわせた。その手を、眉をひくつかせて睨みながらジュリアはぼそりと言う。


「今持っていきますよ。座っていたらどうですか? というか、寝たんですか?」

「姉さんが兄さんになっているように見えるんだけど、寝ぼけてるのかな俺は」


 ぼそぼそと言いながら、ジュリアに追い立てられるままに戻っていく。

 他人の寝ぼけ具合なんか知らんわ、と胸中で毒づきつつ、ジュリアは水の入った水差しと木製のカップを木盆にのせた。居間に戻ろうとしてから、ふとキッチンの小窓に飾られていたラナンキュラスの花瓶に気付き、盆にのせる。


 椅子に座ったヴァレリーは、大きな掌で顔をぬぐうようにこすってから、眉間を指で摘まんでいる。

 水を注いだカップを差し出してから円テーブルに花瓶を置き、真向いに座ったジュリアはやや固い口調で言った。


「片付けなんか、やらなくてもいいのに」

「気になってな……。うちのお師匠さん、水回りが散らかっているのが駄目なひとで。ラナンは一人暮らししてから、そのへん緩くなったのかな」


 自分の知らないラナンの昔話をされた気がして、ジュリアは目を細める。


「俺が知り合った頃はその辺、もう少ししっかりしていたと思います。今は、緩くなったというより、他人に任せるようになったっていうか。本当はきちんとした人なんだとは思っています。俺やロザリアがうまくできなかったとき、口出ししないように我慢している雰囲気は多少ありますね」


 ヴァレリーが知らないであろう最近のラナンの話。

 カップの水を一息で飲み干し、空のカップをテーブルにカツンと音を立てて置いて、ヴァレリーはようやくジュリアをじっと見つめた。


「強盗をぶちのめしたとは聞いているけど、鍛えているのか」

「剣術と格闘術ですね。お相手願えますか」

「いや、昨日の動きで大体わかった。こう見えても俺は傭兵稼業にも足つっこんでるからね」


 ごくごく自然な受け答えが続き、ジュリアがたまりかねて言った。


「もう少し何かないんですか……!? 姉さんが兄さんになっている件、それだけ!? それだけなんですか!?」


 口調は激しいが、声量は極力絞られている。

 それが、まだ起きてこないラナンに配慮したものなのは当然ヴァレリーには気付かれているだろう。

 なぜなら、彼もまた囁くような掠れ声で話しているからだ。


「俺が見ていた限りで、侵入者はなかったからな。同一人物なんだろ」

「同一人物だったら性別が変わっていても気にしないんですか?」

「具体的にどう……、俺は何を気にすればいいんだ?」


 世の中の人間はみんなこんなものなんだろうか?

 ある朝起きたら姉さんが兄さんになっていても気にしないものなんだろうか。

 自分はこのまま街に出ても「あらジュリア。今日は男なの?」程度で終わるのだろうか。

 今までそれなりに大きな秘密だと思って隠してきた意味、とは。


 ジュリアはヴァレリーの圧倒的鈍感に流されかけていたが、そんな場合ではないと気を取り直す。

 すっと姿勢を正して、真正面から視線を叩き込んだ。


「何を気にするかと言われれば……、あなたの旧知のラナンが、ここ二年ほどずっと男と一緒に暮らしていたというあたりですかね」


 ヴァレリーは口の端ににやりと笑みを浮かべて小さく頷いた。


「なるほど」


 そのとき、小さな音ともに隣の部屋のドアが開いた。


「おはよ……。ん!? あれ!? ジュリア!? どうしたのその格好……」

「おはようございます、お師匠様。よく眠れましたか」


 ヴァレリーよりも先に声をかけられた。

 ジュリアはその事実に、健やかな笑みを浮かべて寝起きのラナンを見つめた。

 しかし、ラナンはヴァレリーに向き直った。


「すごい効果だねあの薬。ものすごく気持ちよく眠れたよ。誰が作ったの? 病気でうなされて、寝るに寝られないで体力消耗してるひととかに良さそうじゃない? 副作用もないんでしょ」


 矢継ぎ早に話し始めたラナンに対し、ヴァレリーが「そうそう、ギアナ作だよ。結構需要は見込めるみたいだ」などと嬉しそうに請け合う。

 そのまま魔法製品談義に花が咲き、ジュリアは笑顔のまま行儀よく待っていた。

 ラナンはジュリアの装いに驚いたことも忘れたように、適当に話を切り上げると「水でも……」と言いながらキッチンに向かう。


 すぐに「ヴァレリー、片づけてくれたの?」という声が聞こえてきた。

 何やら全身の力が抜けるような敗北感に襲われて、ジュリアは両手で顔を覆った。

 くっくっく、というヴァレリーの押し殺したような笑い声が鬱陶しい。


「悪いな。ラナンとの付き合いの長さはどうにもならん。お前の二年がなんだって?」 


 ジュリアは遠慮なく殺気を放ったが、ヴァレリーはそれ相応に応えてくる。実力があるのをひしひしと感じるだけに、迂闊に動けない。

 悔しさを噛みしめているところに、何も気づいていないらしいラナンが戻ってきた。


「それにしてもジュリア、驚いちゃった。ずっと綺麗だとは思っていたし、半信半疑だったんだけど……。そういう服装も似合っちゃうんだね。確かに、男の子に見えるよ」


 男の子。

 絶対また笑っていると思ってみたら、ヴァレリーは声を殺しつつ腹を抱えていた。

 少し恨みがましい気持ちをこめて、ジュリアは立ったままのラナンを見上げる。


「男と暮らしていることにした方が、危険は減るって。俺もそういう提案をした覚えがあったので……、お師匠様?」


 ぼんやりとしているラナンに声をかけると、はっとしたように息を呑んでよろめきながら一歩後退した。


「ん!? ああ、うん、そうだよね。なんかすっごく男の子でびっくりしてじっくり見ちゃった。ごめん、ベッド片づけてくる。起き抜けできたからぐちゃぐちゃで!!」


 妙に焦った調子で、ばたばたとラナンは部屋に引き返していった。


「よく……わからない」


 思わず本音で呟きながらヴァレリーを見ると、むさくるしく髭が伸びた顔を可憐なラナンキュラスの花弁に寄せていた。


「何してるんですか。熊面と花を一緒に視界におさめたくないんですが。花も嫌がっていますよ」


 遠慮なく言い切ったジュリアに対し、ヴァレリーは深く息を吸い込んでから背を伸ばした。


「ラナンキュラスか。花言葉知っているか?」

「何、似合わないこと言っているんですか?」


 反射で問い返してから、花言葉など知らない、と気付く。

 表情から察したのだろう、ヴァレリーはひどく穏やかな笑みを浮かべて余裕いっぱいに言った。


「俺は知っているよ。ラナンキュラスは、一番好きな花だから」


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