こじらせ師弟の恋愛事情

有沢真尋

プロローグ

第1話 拾って育てた弟子に襲われています。(1)

 子どもを拾った。


 小雨の降る生暖かい夜のこと。

 家路を急いで通り過ぎた道の、建物と建物の壁が作る細い隙間に何かがいたのだ。

 一度急ぎ足で通り過ぎてから、立ち止まって、考えて、結局引き返してしまった。


(たしかこの辺。目が合った……)


 大きな瞳の印象的な痩せた顔。警戒心を込めて行き交う人の足元を見つめていた。

 声をかける義理などない。

 ただ、その日ラナンはたまたま一人では持て余す量のパンを持っていた。かまどの修繕を引き受けたパン屋で、謝礼ついでに渡されたものだ。時間をかければ食べられないこともなかったが、この気候ではすぐにいたんでしまうのは目に見えていた。

 つまりそれは、誰かに分け与えても、まったく困らないものだった。


 雨のせいでもともと人通りは少なかったが、ラナンは扉を閉ざした店の軒先で待った。

 いくらもしないうちに、見渡す範囲から人影がなくなる。頃合いと見て、先程生き物らしきものを目にした鋳物屋と道具屋の間の隙間をそっとのぞきこんだ。

 強い光を放つ翡翠色の瞳に、睨みつけられる。


「大丈夫、何もしないよ。その、おなかが空いていないかと思って」


 万が一、飛び掛かられても対処できるよう、距離は十分に置きながら声をかける。

 魔石灯の弱い光の下、向けられた顔は薄汚れていたし、すっぽりとかぶったフードからこぼれた金髪もどことなくくすんで見えた。

 しかし、それを差し引いても、凛として涼やかな目鼻立ちをしたうつくしい子どもであることがわかった。


(子ども……、いや、十四、五歳くらい? 綺麗な女の子……だよね?)


 長い睫毛、通った鼻梁、形の良い唇。そのどれもが甘さと凛々しさの奇跡的なバランスで、男とも女とも判じ難いうつくしさである。


「事情に立ち入るつもりはないんだけど。僕、今たくさんパンを持っていて。お腹空いていたらどうぞ。えーと……ここに置いて、すぐにいなくなる」


 自分から声をかけた割に、おどおどとしてしまって情けないのだが、それだけ少女の眼光は鋭かったのだ。


「それ、変なもの入ってない?」


 硬質に澄んだ声は、研ぎ澄まされた刃物の切れ味を思わせた。


「へ、変なもの……?」

「食べたら眠くなるようなものとか」

「そんなことはないと思う! 通り向こうのパン屋さんで焼き立てをもらってきたんだ。普通にお店で売っているもので……」


 瞬きもせずに、見て来る。

 正直、射殺されるかと。


「食べるかどうかは君に任せる。僕には少し多いから。それに、すぐいなくなるから、食べて寝てしまっても、手を出したりなんかしない」


 少女は無言のまま、何かを抱きかかえて立ち上がり、隙間から通りへと出て来た。

 腕の中にいたのは、少女よりも一回りも二回りも小さな子どもだった。


「熱がある。宿のあてはない。食べ物はありがたいが、もっと必要なのは屋根とベッドだ。そのパン、持て余しているなら受け取ってあげてもいいが、この雨だ。あなたの家へ行く」


 恐ろしくぶっきらぼうかつ高飛車に、少女は宣言する。


「ええと? 熱があるのはその子?」


 少女の手の中で、蜂蜜色の髪を乱してくったりとしているのは、見るも可憐な美少女だ。顔立ちはやや似ているようにも見えるので、姉妹かもしれない。


「そう。この子だけでも助けて欲しいと言いたいところだが、知らない人間に預けるわけにはいかないので、私も当然ついていく。あなたの家はどこだ」

「家……?」


(あれ……? 何か知らないうちに決定事項になっています?)


「濡れたら熱が悪化する。早く」

「あの、君たちの家は?」


 急かされたので聞き返したら、少女はすうっと目を細めて冷ややかに言って来た。


「どう見ても訳ありに、そんなこと聞いてどうする。答えるわけがない」

「な……、なるほど?」


(いや、ここ納得している場合じゃない。何か言い返さないと)


 思ったそのとき、少女の腕の中で、小さな子どもが呻き声を上げた。目を閉ざしたまま、はあ、ともらした息がいかにも熱そうだ。耳を澄ますと、ぜぇぜぇという苦しそうな呼吸も聞こえる。


「わかった。たしかに、その子の容態は仮病じゃなさそうだ。家はそんなに遠くない。とりあえずの雨宿りにおいで。後のことはまた後で考えよう」


(男の家に、美少女が二人か。案外明日の朝になったら出て行っているかもしれないし。貴重品だけ隠しておけば)


 このとき。

 ラナンは二人の事情に特に立ち入る気はなかった。自分のような冴えない人間はいかにも利用しやすそうに見えただろうか、とは思ったが。


 取り急ぎの対応がその後、年単位の付き合いになるとは。

 この時点では一切、考えていなかった。

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