キミは最愛の人

@yamakoki

キミは最愛の人

 ちょうど学校を出たときだった。

 俺の隣を歩く彼女――高橋里香が笑いながら、自分のスマホを眺め出したのは。


「明日だね。航のスマホケースを買いに行くの」

「そうだな。思い返してみれば、なんて激動な一ヶ月だったのやら」


 思わず苦笑いする。

 俺が里香に告白され、付き合い始めたのがちょうど一ヶ月前のことであった。

 いや、正確にいえば明日でちょうど一ヶ月か。

 

 その時、俺はもはや絶滅危惧種になりかけているガラケー愛用者だったのである。

 重要な連絡は全て親友がメールで送ってくれていたから、やっていけていた。

 だが、これからはそうもいかない。

 

 彼女という存在ができた以上、頻繁に連絡を取り合うことになるのは火を見るよりも明らかだ。


 だから俺は両親に頼んでスマホを購入。

 予想以上に説得に手こずり、ようやく念願がかなったのが一週間前のこと。

 新品の、しかも里香のものと色違いのスマホを見た里香の第一声はこれだった。


「それ、傷つかない?」


 すっかり失念していた。

 俺のスマホはカバーも何もない剥き出し状態であり、寒々しさすら漂っている。

 さらに、このままだと確実に傷つくし汚れる。

 スマホケースの購入は目下の至上命題であった。


 しかし俺にはスマホケースの良し悪しは分からないので、助っ人に同行を依頼。

 何を隠そう、彼女の里香である。


「全然いいよ! むしろ嬉しいかな。これからもどんどん頼ってよ!」


 里香は嬉しそうにこう言ってくれたが、本当は俺が頼られる存在になりたい。

 むしろ、このセリフを俺が言いたいくらいだ。

 まあ、今回はこれまでデートなんかを出来なかったことに対する罪滅ぼしだな。

 原因は間違いなく俺のスマホ購入騒動だから。



 翌日、待ち合わせ場所に現れた里香は、とてつもなく可愛らしい服を着ていた。

 清楚な白いワンピースに淡いピンク色のカバンが、とてもよく似合っている。

 物語から飛び出してきた妖精かと思った。


「お待たせ。待った?」

「いや、俺も今来たとこだ……ってお約束のやり取りだな、おい」

「やっぱりこのやり取りは外せないよね」


 何がおかしいのか、クスリと笑う里香。

 一方の俺はこの後の会話をどうやって繋いでいくか、気が気ではなかった。


「あの……えっと……」

「どうしたの? 早くケース買いに行こ?」

「あぁ……そのー。今日の服、里香にめっちゃ似合ってるって伝えたくて……」


 俺が目線を微妙に逸らしつつそう言うと、里香が動きを硬直させた。

 同時に、顔がポンという擬音が聞こえてきそうな勢いで真っ赤に染まる。


「うー……航もかっこいいよぉ……」

「あ、ありがとう」


 薄い茶色のパーカーに黒いズボンという、華やかさの欠片もない服装だけどな。

 お互い真っ赤になりながら、どちらからともなく顔を見合わせる。

 しばらく無言の時間が流れた。


「……行こうか」

「うん」


 最初はぎこちなかったものの、歩いていくうちに普段の雰囲気を取り戻していく。

 気づけば会話も弾んでいた。


「出かけるとき、親に何か言われたりした?」

「“せっかくだから楽しんできなさい“って言われた。そっちは何か言われたのか?」

「“心の準備は大丈夫?”って言われた。どういう意味だと思う?」

「俺……というか彼氏に会う準備はいいのかってことかな?」


 何か嫌な予感がする。

 二人で首を傾げつつ、スマホケースが売っているという店に到着した。


「この店はいいケースがたくさん売っているのよ」

「そうなんだ。まったく知らないや。何ならこの店の存在すら知らなかった」

「航っぽいっていえば航っぽいけど」


 里香が苦笑しながらも、俺のスマホの機種に対応しているケースの売り場へ誘導してくれたのだが、その売り場には実にたくさんのケースが所狭しと並べられていた。


「うわっ、めっちゃあるじゃねぇか」

「そうなんだよ。航が個人的に『これ気になるな』って感じるもの、ない?」


 ケースをさらっと眺める。

 出来るだけ派手過ぎないもので、なおかつ落ち着いた方が俺は好きだから……。


「これとかどうだ?」

「うーん……私としてはこっちの方が似合うと思うんだけどなー」

「ちょっと派手過ぎやしないか?」


 こんな感じで話し合いながら検討すること三十分。

 濃い緑の迷彩柄のスマホケースを購入した俺たちは、街をぶらぶらと歩いていた。

 さすがにこのまま解散では味気ない。

 それに今日、付き合ってくれたお礼としてカフェにでも行こうと提案したのだ。


 里香は気にしていないみたいだったが、それでは俺の気が済まない。

 我ながら面倒な性格をしていると思うが、まあ里香には諦めてもらうしかないな。


「ねえねえ、このケーキ美味しそうじゃない?」

「確かにな。よし、ここにすっか」


 足を止めたのは、スマホケースを購入した店から徒歩三分のカフェだ。

 店内に入ると、シックな内装に優雅なクラシックが流れている。

 ひそかに冷や汗を流す俺たち。

 もしかして、とんでもなく高級なカフェに入ってしまったのではないのだろうか。


「いらっしゃいませ、お二人でしょうか」

「あ、はい」

「分かりました。ご案内させていただきます」


 髪をオールバックに固めた、ダンディーな店員が近づいてきた。

 こうなってしまっては退店するのも躊躇われ、結局は案内されるまま席に座る。

 内心ビビりながらメニューを開くと、別の意味で驚く。


「意外と良心的な値段だな」

「ええ、高いところに入っちゃったのかと思ったわ」


 里香も安堵のため息をついている。

 そこからしばらく悩んだ末、俺はブラックコーヒーとショートケーキのセットを。

 里香はエスプレッソとイチゴケーキを頼んだ。


「はー、いいお店ですね」

「ああ。値段も良心的だし、内装とか雰囲気も俺好みだ」

「ふふっ。良かったわね、里香」


 横から、どこかこちらを揶揄うような含みのある女性の声が聞こえてきた。

 二人同時に声の主に視線を向け、同時に目を大きく見開く。


「お母さん!?」

「お袋、どうしてここに!?」


 お互いに顔を見合わせる。

 俺たちの席の隣にいたのは、俺の母親と恐らくは里香の母親であろう女性。

 先ほど揶揄うような声を出したのは里香の母親であるらしい。


「そりゃ気になったからよ。大切な娘が付き合っている人がどんな人なのかね」

「私も同じね。今まで彼女を作る素振りもなかった息子が陥落した少女……」

「わーお、その言い方だとめっちゃ気になるな」


 俺が無表情で合いの手を入れる。

 告白を受けたのも初めてだったし、彼女という存在ができたのも初めてだった。

 女っ気が皆無だった息子に突如できた彼女。

 このような表現をするだけで、正体を暴きたい気持ちになるから不思議だ。


「さて、前置きはこのくらいにして。あなたが娘と付き合っているっていう」

「奥田航と申します。娘さん――里香さんと一ヶ月前からお付き合いしています」


 俺は立ち上がり、緊張しつつ頭を下げる。

 まさか親への挨拶という最もハードなイベントをここでこなすことになるとは。

 いや、父親がいないだけマシなのか?


「へー……航も隅に置けないわねー。こんな可愛い子を捕まえて」

「あ、ありがとうございます」


 隣では俺の母親が里香を見て、何やら頷いている。

 これ、家に帰ったら面倒そうだな。


「航くん。見た感じは大丈夫そうだけど……里香を大切にしてちょうだいね?」

「それはもちろんです。里香さんは俺の最愛の人ですから」


 妖艶な笑みを浮かべる里香の母親にはっきりと宣言する。

 この一ヶ月、里香と過ごしてきて思った。


 すでに俺は里香に絆されていて、里香がいない日々なんて考えられない。

 考えたくもない。

 いつまでもこんな日々が続けばいいとすら思っている。

 そんな俺が里香を大切にすると決意していないわけがない。

 

「あらあら。この様子なら心配ないわね」

「本当に」


 母親二人が苦笑する。

 二人の視線を辿ってみると、里香が顔を真っ赤にしてこちらを睨んでいた。

 頬をちょっと膨らませているのが可愛らしい。


「もう……」

「まあ、なんだ……。今のが偽りざる俺の本音だからな」

「あぅ……」


 里香は手で顔を覆い、机に突っ伏してしまった。

 すると、どこか複雑な表情をした母親二人が立ち上がってレジに向かっていく。


「お幸せに……」

「ちょっと無粋だったわね。まさかここまでとは思いませんでしたわ」


 後に残されたのは立ち上がったままの俺と、机に突っ伏してしまった里香の二人。

 気まずいことこの上ない。

 俺がゆっくりと席に座ると、里香がぽそりと何かを口走った。


「んっ? 何か言ったか?」

「私も……航が最愛の人だよって……そう言ったの……」

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