第39話 金色の炭酸飲料と餃子

 ボクは走った。

 走り続けた。

 そして兄さんが働いている横浜家系のラーメン屋さんの前で立ち止まった。 

 はぁはぁはぁ。

 荒い息をしながら、綾乃に愚痴を聞いてもらうのはだめで、兄さんならいいのかと考えた。

 いい。

 綾乃とは対等でいたいけれど、兄さんは年上で妹のボクは下なのだ。最初から対等ではない。愚痴を聞いてもらったっていいじゃないか。

 でも兄さんはシスコンでボクを恋愛的に愛しているが、ボクは家族的に愛しているだけなので、立場的に上なのはこっちなんじゃないのか。兄を使ってつらさを紛らわそうなんて、卑怯な行為だ。しかもここは兄貴の職場。乱入したら迷惑をかける。

 ああっ、もうどうしたらいいんだ。

 このままではボクは壊れる。

 何かしなければ精神がガラスみたいに割れる。

 できるだけ迷惑をかけないようにしよう。そして兄さんの優しい顔を見て、癒されよう。それだけでいい。

 ボクは店に入った。

 すぐに兄はボクに気づいて「いらっしゃい」と笑顔で言った。しかしボクの顔のただならなさに気づいたらしく、眉をひそめた。

 8席あるカウンター席のうち3席が埋まっていた。ボクは4人めで、一番奥の席に座った。

 単にラーメンを食べて帰る気にはなれなかった。

「金色の炭酸飲料と餃子を一人前ください」

「金色の炭酸飲料は・・・」

 兄は誠実にボクを止めようとした。

「金色の炭酸飲料が飲みたいんです。このお店は客の注文を拒否するんですか」

 店長が兄を一瞥した。兄はつらそうな顔をして、ボクの前に栓を抜いた瓶を置いた。ああっ、すでに迷惑をかけてしまっている。

 金色の炭酸飲料をコップに注いで飲んだ。初めて飲んだが、苦い。お父さんやSF研の先輩たちや姉さんがどうして美味そうに飲むのかわからない。

 姉さんと藤原さんのことを考えると気持ちまで苦くなる。

 焼き色がついたこっちは本当に美味しそうな餃子を兄が持ってきてくれた。この店の餃子はでかくて、皮は厚めで餡の味もよいんだ。

 餃子を一つ頬張ってから、金色の炭酸飲料を飲むと、不思議に合うことに気づいた。なるほど、甘いジュースよりこっちの方がいいんだな。コップ一杯を飲み干して、次を注いだ。

 金色の炭酸飲料と餃子。いいじゃないか。

「店員さん、このお店の餃子が美味しいのは知っていたけど、金色の炭酸飲料と一緒に飲むと、格別ですね」

「はぁ、ありがとうございます」

 兄は明らかに困っている。

 ボクはゴクゴクと金色のを飲み、餃子を5個食べてしまった。少し気分が晴れたような気がする。

「餃子を追加します。金色の瓶ももう一つください」

「お客さん、止めた方がいいですよ」

「ボクは飲みたいんです。お金ならありますよ」

 ボクは兄に絡んでいるのだろうか。明らかに困らせているよな。でもいいさ。ボクの苦痛をちょっとだけやわらげるためだ。姉と会長は今ごろチューしているかもしれない。ああくそっ、金色のを飲むくらいいいじゃないか。

 瓶と餃子の追加が来た。ボクは食べて飲んだ。少しクラッとした。ああこれが金色のやつの効果なのか。

「店員さん、少しボクの話を聞いてもらっていいですか。ご迷惑なら聞き流してもらっていいし、返事はいりません」

「いいですよ」

 兄さんはラーメンの丼や餃子の皿を洗っていた。店長は黙ってラーメンを作り続けていた。

「家に帰ったら、姉が男と一緒にいて、リビングでイチャイチャしていたんです。ボクはかなりショックでしたよ。妹に自宅でそういうのを見せつけるのは、姉としていかがなものかと思うんです。いけないことですよね」

「手世が!?」

 軽率に固有名詞を出すな、兄よ。職場でそんなことを急に言われてショックなのはわかるけどさ。

 ボクは金色のをぐいっと飲んだ。

 兄もそれを飲みたそうにしているのに気づいた。

「しかもその男というのが、ボクのサークルの先輩なんですよ。憎からず想っていた人で、ボクは傷つきました」

 その瞬間、兄も相当に傷ついた顔をした。シスコンの愛詩方。許せ、兄さん。いつまでも妹を愛していてはいけない。別の女の子を愛せよ。

 餃子を食べ、金色のを飲み、愚痴を言う。なるほど、これはいい。

 兄さんは他の客のための仕事をし、それからまた洗いものをしながら、ボクの方を向いた。

「姉と男はボクを無視してイチャイチャイチャイチャし続けました。これって犯罪だと思います。愛する姉と愛する男が家の中でスキンシップしているんです。ボクは頭がどうにかなりそうでした。今も苦しいです。これは精神傷害罪です。そうですよね?」

 兄の苦悶の表情も激化している。

「輝、やめてくれ」

 だから、固有名詞を出したらだめだってば。

 金色のを飲む。ボクの口は止まらない。

「まだ好きな人と姉が家にいるかもしれない。ボクは帰れません。姉と男が憎い!」

「お姉さん、声が大きい」と店長さんが言った。「うちは金色の炭酸飲料を出すが、ラーメン屋なんだ。他のお客さんの迷惑になってる。その瓶と餃子が終わったら、帰ってくれ」

 店長さんの声は静かだが、ドスが効いていて、迫力がある。ボクは黙らされた。

 餃子はもう口に入れる気がしなかった。

 金色のを飲んだ。涙が出た。

 兄はつらそうに働いていた。

 ボクはだめなことをした。綾乃に会ってはいけなかったが、職場にいる兄にはもっと会ってはいけなかった。

 兄の精神にテロをしてしまった。

 金色のを飲んだ気分のよさは強烈な自己嫌悪に転化して、ボクを苛んだ。

 兄に代金を払うとき「ごめんなさい」と言った。彼は首を振った。

 とぼとぼと歩いて家に帰った。

「おかえり」となんでもなかったように姉が言った。会長はもういなかった。

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