第37話 好きなことをやれ

 ボクは深刻に悩んだ。

「小説家志望は腐るほどいるわ。わたしだってその一人。よほど光る才能を持っていないとなれない。輝は少なくとも外見に関しては、女優の素質が抜群にあるよ」と綾乃から言われ、

「人には適性というものがある。あなたは稀有な女優の才能を持っている。おそらく小説家としての才能を遥かに凌駕している・・・」と尾瀬さんに言われた。

 作家になるのはあきらめて、女優をめざした方がいいのかな。

 でも書きたいんだよ。書いてもうまくいかなくて苦しむことばっかりだけど、それでも書きたいんだ。物語を書けって衝動がボクを突き動かすんだよ。

 ボクはベランダのシーンを撮影した日の夜、ノートパソコンを開いた。

 物語を書こう。

 あまり考えることなく、指がキーボードを叩いた。

「女顔の男の子、アリス。

 スカートを穿いていなくても、男の子の服を着ていても、女の子に見える。学ランを着てさえも、男装の女子に見えてしまう。

 街で女の子にまちがわれてナンパされたことは数知れず。気が弱くて、俺は男だ、と言い返すこともできない」

 書き出しがさらりとできた。

 ボクは中性的な女の子だ。美少年にまちがわれたことは数知れない。主人公アリスの像が心の中に浮かんで、書けそうだという手応えを得た。

 アリスはあだ名。本名は有栖川翔太だ。

 ボクは徹夜で書き続けた。

 午前6時に寝落ちして机に突っ伏して眠り、3時間後に起きて、お母さんが作ってくれた朝食を食べ、大学をさぼって執筆を続けた。イメージが膨らみ、一行書くと、次の一行が自然と生まれた。

 半ばまで一気に書けたが、これから話を盛り上げるというところで筆が止まった。いつもここで挫折する。そこからはのたうち回りながら書いた。

 アリスは心の弱さにつけこまれて、アリスの影に体を乗っ取られ、影の国へ連れて行かれる。

 そこでは影が実体で、アリスが影。

 しかし影も心が弱くて、アリスは逆転のチャンスを狙う・・・。

 さらに一晩徹夜し、ボクは疲労困憊しながらも約1万3千文字の短編小説を書き上げた。

 やった。ちゃんと最後まで書いたぞ。ショートショートを除けば、自分史上初の快挙。高揚感があった。

 タイトルは「影の国のアリス」とした。

 実はボクは「不思議の国のアリス」を読んだことがない。その有名なタイトルだけを拝借してしまった。でもこの物語にはこの題名以外には考えられないんだから、仕方がない。

 ベッドに倒れ込んで眠り、昼過ぎに起きた。まだ高揚感が残っていた。空鳥綾乃に連絡した。

〈会いたい。できるだけ早く〉

〈今バイト中。午後9時に例の喫茶店で〉

 綾乃がドリアンパフェを食べた喫茶店だ。彼女は母子家庭で育った苦学生で、学費をファミレスのバイトで稼いでいる。

 ボクは小説の推敲をして時間をつぶすことにした。誤字脱字が多く、無駄な文章が目につき、前後を入れ替えた方がよい文章もかなりあって、相当な時間がかかった。いつの間にか午後7時。まだ完璧に仕上がったとは言えないが、ノートパソコンを鞄に入れた。

 外出の準備をして、お母さんに「大事な用で友だちと会う。遅くなると思う」と伝えて玄関を出た。

 8時50分に喫茶店に着いた。コーヒーを注文して、パソコンを開き、推敲の続きをした。

 綾乃は少し遅れて、9時15分にやってきた。

 この喫茶店は夜はお酒も出す。まだ話す時間は充分にある。

「お腹すいちゃった。何か食べていい?」

「もちろん。ボクも夕飯食べてないから」

 ボクはドライカレー、綾乃はナポリタンを食べた。美味しい。この店はかなり使える。

「急ぎの用があるんだよね?」

「書き上げたばかりの小説がある。綾乃に読んでほしくてたまらない」

 綾乃に「影の国のアリス」を表示したパソコンを渡す。

 彼女は読み始めた。じっくりと目を通し、30分ほどかけて読み終えた。

 ボクは黙って彼女の感想を待った。緊張する。

「なかなか面白かったよ。やるじゃん、輝」

「よかったー。酷評されたらどうしようかと思ってた」

「でもプロのレベルには遠いよ。文章が拙い」

「うん。わかってる」

 それからボクは尾瀬さんに言われたことを伝え、悩みを相談した。

「好きなことをやれ」と綾乃はきっぱりとシンプルに言った。雨上がりの空のように明るい声で。

「演技は楽しい?」

「楽しいよ」

「小説を書くのは?」

「楽しくて苦しい」

「微妙だな。一番好きなことはなんなの?」

「小説を書き上げること! 今朝これを書き上げたときに知った」

「ぷははは」綾乃は彼女らしい笑い方で笑った。

「わたしもねぇ、小説を書くのが好き。今は『女のよる女のためのRー18文学賞』に応募しようと思って書いてる」

「そんな賞があるの?」

「ある。わたしには輝にはない性体験がたくさんあるんだぞぉ。実体験で書くR-18小説よ」

「読みたい」

「読んでほしい。『女のよる女のためのRー18文学賞』は短編文学賞で、実はもう第1稿はできてる。短くまとめるのがむずかしくて、完成が難航してる。『男の子は愛しく、女の子は恋しい』というタイトルのバイセクシュアルの女の子が主人公の小説で、たぶん本来は長編なんだよね」

「女の子の方が恋しいの?」

「うん。今は特にね」

 綾乃はボクと目を合わせる。

 一瞬、綾乃なら愛せる、と思う。

 ボクは藤原さんと綾乃とどちらがより好きなのかわからなくなった。

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