第8話 愛詩輝の短編「時の硬化」
ボクは愛詩輝。
SF短編集「なめらかな世界と、その敵」を読んで、SFに目覚めた。
「宇宙の巨人」という小説を書いた。
だめな作品だって自覚があって、嫌になって、推敲もしないって書き上げた直後には思った。でもそれじゃいけないよね。読み返した。
やっぱり赤面ものの駄作。
ああ、恥ずかしい。
恥ずかしいというより、悔しい。
ボクには才能がないのかな。
村上春樹様はエッセイで、「風の歌を聴け」を書いたときのことを振り返っている。
ヤクルトスワローズの試合を外野席で見ているときに、小説を書いてみようと思い立つ。
春樹様は当時ジャズ喫茶を経営していて、夜はお酒も出していた。
お店を閉めた後に小説を書き、最初に書いた「風の歌を聴け」で群像新人賞を受賞する。
もちろんそれなりに苦労したみたいだけど、いきなり傑作を書くんだ。
作家になる人って、やっぱり特別な才能を持っていて、最初からすごい小説を書くものなのかな。
僕は小説を完結させることがずっとできなかった。
初めて完結させた「宇宙の巨人」は小学生が書いた作文みたい。
いや、それ以下のごみだ。
・・・あ、ボク落ち込みすぎてる。
春樹様と自分を比較するのはやめよう。
あの人は世界の至宝みたいな人。
ボクは凡人。
しかもまだろくに努力もしていない。
気を取り直そう。
もっと書くしかないよ。
SFは時間をテーマにすることも多い。
時間について考えよう。
・・・わかんない。
「時の硬化」というタイトルだけが浮かんだ。
書き出してみよう。
☆ ☆ ☆
あたしが異変に気づいたのは、人通りの少ない裏通りを歩いていたとき。
考え事をしていたので、人とぶつかってしまった。
怖そうなお兄さん。
「ごめんなさい!」とあたしは速攻であやまった。
「痛いじゃねえか、このくそガキ! 肋骨が折れちまったぞ」
絡まれた。
「女か。上玉じゃねえか。治療代、体で払ってもらおうか」
あたしは逃げた。
運動神経は悪い方だ。逃げ切れるとは思えない。でもなんとか表通りに出られれば、男も無体なことはしないだろう。
そこで異変に気づいてたってわけ。あたしはふつうに走っているだけなのに、男は後方にいて、妙にゆっくりと走っている。歩いているわけじゃない。走っている体勢だ。でもやけに遅いな。
奇妙だったが、そのときはまだ深刻には考えなかった。
とにかく逃げられた。よかったよかった。
☆ ☆ ☆
村上春樹様みたいな書き出しはやっぱり無理。ボクには哲学がないんだなぁ、とつくづく思う。からっぽだ。
自分のことをからっぽって言うのも、だめな気がしてきた。
作家をめざすからには、空虚な自分を変えなくちゃいけないよね。
☆ ☆ ☆
翌日あたしは真昼ごろに目が覚めた。
失業中で、生活は不規則。
当分職を探すつもりはなかった。貯金があった。先日気まぐれで買った宝くじでなんと百万円も当たったのだ。
これでしばらく生きていける。
3時ごろ、あたしはぶらりと街に出た。ラーメンでも食べるつもり。
大好きな大勝利軒に入る。
「みそラーメンください」
「え~、な~ん~で~す~か~。は~や~く~ち~す~ぎ~て~聞~き~取~れ~ま~せ~ん~」店員の声がおかしい。
「み、そ、ら、あ、め、ん、を、く、だ、さ、い」あたしは超ゆっくりと言った。
店員が「は~い~、み~そ~一~丁~」とやけに間延びした声で言った。
異変はまだ続いているらしい。
時間の流れが変。
それからかなり長く待った。
デジタルの腕時計を見た。秒を数える数字の変化が遅い。あたしの体内時計は速く、体外の時間が遅い。
体感時間で1時間も待ったころ、やっとラーメンが届いた。時計を見ると、5分しか過ぎていなかった。
みそラーメンはいつもどおり美味しかった。
隣の人の方が早く食べ始めていたのに、あたしが食べ終えたときに、まだニ、三口しか食べていなかった。
☆ ☆ ☆
ボクはラーメンが大好きなんだ。一人でカウンターに座って平気で食べるよ。
☆ ☆ ☆
あたしの周りの時間の進み方が遅くなっている。
それはどこまで広がりを持っているのかわからない。
天体の動きも遅く感じられる。太陽と月と星の歩みが遅い。宇宙が遅くなっているのか、あたしが速くなっているのか、どちらかだ。
異常現象は加速し、あたしは他人とコミュニケーションを取るのがむずかしくなった。
これでは就職するのは無理だ。困ったな。
あたしは歩いているのに、自動車を追い越してしまう。
ついには新幹線よりあたしの歩行速度の方が速くなってしまった。
あたしはできるだけゆっくりと動き、スーパーマーケットから食べ物を取り、お金をレジに置き、生き抜いた。お金がなくなってからは、盗みをした。誰もあたしの犯行に気づかなかった。
あたしの動きは他人に視認できないほどの速さになっていたのだ。
☆ ☆ ☆
どうなんだ、これ。
面白いのかな。
なんかぐちゃぐちゃ考えながら書いているので、いいのか悪いのかわからない。
たぶん、面白くないんだろうな。
書き続けよう。ここでやめたら、上達できないよね。
なんか、創作って苦しい。
☆ ☆ ☆
気が狂いそうだった。あたしは走った。東京から青森までひとっぱしり。足の裏に力をこめてブレーキをかけようとしたけれど、靴の裏のゴムが摩擦で熱くなって、溶けそうだ。津軽海峡をびゅんと飛んで、函館五稜郭に激突して止まった。
痛くなかった。あたしを構成する分子は外の分子をすり抜けるらしい。五稜郭の城壁は無事だったし、城壁に当たったはずのあたしの体もなんともなかった。服と靴は細切れになっちゃったけど。
ああ、あたしはこの宇宙のふつうの物質とは異なる時空を生きてるんだなぁ。
あたしはとぼとぼと東京に帰った。海はぴょんと飛び越えた。身体能力がすごいことになっていて、簡単だった。
青森の恐山に老人がいた。
「おい」とあたしに声をかけた。
「おじいさん、あたしが見えるの?」
「見えるとも。わしはこの異変に巻き込まれてはおらんのじゃ」
「やっぱり異変なの? 異変が起きているのはあたしたちの体? それとも宇宙?」
「宇宙じゃ。時が硬化しておる」
「時が硬化。時間が止まってるってこと?」
「そうじゃな。宇宙のエネルギーが枯渇したんじゃろう。おそらく時の流れはさらに遅くなることじゃろうて」
あたしは呆然。
「あたしとおじいさんが動けるのはどうして?」
「わからんわい」
「僕にも皆目見当がつかないんです」
黒縁眼鏡をかけた青年が現れた。彼の動きもあたしと同じで、ふつうだった。つまり、宇宙に比べると、相対的に速い。
「この地球上で何百人か、時の硬化現象をまぬがれている人がいるようです。僕はその人たちと連絡を取り、新たなコミュニティを立ち上げようと思っています。お嬢さん、あなたも参加してくれますか?」
「あ、はい。ぜひ入れてください」
ああよかった。あたしはまったくの孤独ではなかったんだ。
☆ ☆ ☆
このあたりがクライマックスなんだけど、盛り上がってないな。
あとは意外な結末か時の硬化現象の原因を解明して終わりなんだけど。
うう、それも思いつかない。
いつもこれで書くのをやめちゃうんだけど、完結だけはさせるよ。
☆ ☆ ☆
ついには太陽が停止した。地上で動いているのは、新コミュニティの住民だけだった。
農業を営むこともできない。畜産も無理。
あたしたちは備蓄食糧を食べながら、時の硬化を解く方法を研究している。
糸口はまだ全然見つかっていない。〈完〉
☆ ☆ ☆
ああ、こんな終わり方はないよね。また失敗作。
SFってむずかしいな。
でも書き終えた。
まだまだこれからだ。
ボクは絶対にあきらめない。
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