ちょっと意外な結末の短編集
麓清
ムービースターの悲劇
三つ並んだデスクトップモニターの画面をぼんやりと眺めながら、気付けば大きなため息がこぼれていた。
「どうしたの? ため息なんてついて」
対面のデスクに座る鹿島がいう。彼女の声質の良さが、今の気分にひどく不釣り合いだ。
「今日もアクセス数が落ちてる。そのうち八十万切るぞ」
「それは大変ね」
言葉とは裏腹に鹿島からは微塵も危機感が感じられない。
それもそのはずで、動画投稿一本で食っている俺と違い、鹿島は一般企業のお客様相談係で働いている。仮にこの仕事がなくなったとしても、彼女が食うに困ることはない。
俺が開設している動画投稿サイト、「ハルノTV」のチャンネルの動画再生数は、ここ数カ月伸び悩んでいた。ランキングサイトではトップ200に入っているものの、最近では園児がオモチャでままごと遊びをしている動画にすら負けている。
必死に企画を考え、撮影して、編集までこなしている俺にしてみれば、この結果に苛立つのも当然だ。
「なにか新しいことをしないと、マジでヤバい」
「最近は同じような企画の繰り返しだし、タケチンも似たような動画あげてるしね」
その名を耳にして、俺はチッと舌打ちする。
「あいつは俺の動画をマルパクして、それで再生数稼いでやがるんだ。最近じゃ俺の真似して女のナレーションまでつけてやがった」
俺の動画ではナレーションはすべて鹿島が担当している。
彼女は高校の放送部で出会った同級生なのだが、当時から彼女の声質は明らかに他者とは違っていた。
鹿島は声だけで人の脳内物質に働きかける特殊能力の持ち主じゃないかとさえ思う。
実際、鹿島が会社でお客様相談室に配属されている理由は「声がいいから」だという。彼女が受け持つと、たちどころにクレームが収まるらしい。
それに比べて、やつの動画の女は媚びたような甘い声を出しているだけだ。
とはいうものの、その声は(とくにオタク系の)男心をくすぐるらしく、勢いが衰え始めた俺の動画チャンネルとは逆に、やつの動画再生数の伸び率は上がってきていて、日間再生数では逆転される日もあった。
「なあ、鹿島。お前、出演者として動画に出てみないか? 美人だし、人気出ると思うぜ?」
「嫌よ、顔ばれなんて」
にべもなく断られた俺は、不貞腐れたように窓の外に視線をやる。このマンションのすぐ隣には大きな公園があって、今は花見に興じている連中で賑わっている。
「もうすぐ三月も終わるな」
しみじみとそういった途端、鹿島はぽんと手を打って立ち上がった。俺を囲むモニターの城壁の上から、子どもみたいにきらきらとした笑顔が見下ろしている。
「そうだ、エイプリルフールにドッキリ企画なんていいんじゃない?」
「なるほど……ドッキリものは比較的再生数が稼げるし、趣旨としてもピッタリだな。でも、どんな企画をやるんだ?」
聞き返す俺に、鹿島が自信満々にいう。
「ズバリ、通り魔殺人!」
「通り魔殺人って……正気かよ?」
「だーかーらー! エイプリルフールだっていってるじゃん。そういう演出よ、演出。ほら、前に新宿のマジックショップの取材に行ったことあるでしょ? あのとき、何かで使えるかもって、マジックナイフを買ったじゃない。あれを使うのよ」
鹿島がいうマジックナイフは、刃の部分が精巧に作られたギミックで、ロックを外して押し込むと刃がグリップの中に収まるようになっているものだ。押し込まれたナイフはグリップ内の血糊袋を破って、相手側と自分側に飛び出すようになっているから、本当に血が噴き出したかのように見えるという、ドッキリアイテムだ。
「視聴者はエイプリルフールだってわかってて、周囲の反応を楽しめるじゃない。通り魔なんて自分じゃ絶対にできないし、遭遇したくないけれど、でも回りがどんな反応をするのか知りたい。その欲求を満たすの!」
「けど、通報されたら一発アウトだぞ」
「わたしに考えがあるの。これ見て」
鹿島は自分のスマートフォンを操作してその画面を俺に突き出す。そこに表示されていたのはタケチンchの最新動画だ。
「これ、昨日のタケチンの動画なんだけど、最後に予告があるの」
再生した動画から流れてきたのは、タケチンchのあの甘ったるい声の女のナレーションだ。
『次回のタケチンチャンネルはぁ、エイプリルフールスペシャルぅ~! 四月一日午後一時、渋谷スクランブル交差点でぇ、何かが起きるぅ!? お楽しみにぃ~!』
「これ、タケチンが四月一日に渋谷でロケするってことでしょ? なら、タケチン相手にドッキリを仕掛けるのよ、どう?」
「なるほど……悪くない。俺もアイツにはムカついてるんだ。人の企画をパクって再生数を稼ぎ出しているしな。お灸をすえるって意味でもいいかも」
エイプリルフール企画の方向性は決まった。同じユーチューバーのタケチンにゲリラドッキリだ。
俺は物置部屋からマジックナイフをひっぱり出してくると、企画説明用の映像を撮る。そこに鹿島がナレーションをつけて、当日の予告映像が完成する。
タケチンに俺の目論見がバレてしまっては意味がないので、映像のアップは当日、実行直前にすることにして、やつと同じように四月一日にドッキリ企画をやるとだけ予告しておいた。
そして、訪れた四月一日。
帽子を目深にかぶった俺は待ち合わせのふりをしながら周囲を伺っていた。
渋谷の駅前広場では、どこかの政治団体が今の日本は政府によって洗脳されているだかなんだか、拡声器を使って大声を張り上げていた。
十二時五十分。装着していたエアポッズに鹿島から連絡が入る。
「タケチンがハチ公前に到着。あとこっちのサイトの予告映像のアップ完了」
了解、と短く応答して、おれはスクランブル交差点をタケチンの反対側へと移動する。頭上の大型ビジョンに流れるアイドルグループの新曲のミュージックビデオが、政治団体の主張と交じり合ってカオスな感じのBGMになっている。
パーカーのポケットに忍ばせたナイフのロックを外し、刃先を指先で軽く押し込むと、刃はスプリングの効いた手ごたえを返す。準備は万端だ。
向こうのロケスタッフはタケチンとスマホを構える男の二人きり。ナレーションを担当している女らしき人物は見当たらない。
「準備完了よ」
合流した鹿島が耳もとで報告する。
「よし、始めるぞ」
俺は短く深呼吸をして自分自身のスイッチを入れた。鹿島が俺にスマホのカメラを向けて合図を送る。
「さあ、今日のハルノTVは特別編。エイプリルフールスペシャル、ストリートドッキリ企画だ。このドッキリの餌食となるのは、ジャン! あの男!」
鹿島がカメラを交差点の対角にいるタケチンを映す。
「そう、タケチンだ。やつに、このマジックナイフでドッキリを仕掛けるぜ。どんな結末になるかは俺もわからない! みんな最後までしっかり見てくれよ! じゃあ、信号が変わったら、スタートだ!」
自動車信号が青から黄色に変わる。
俺の鼓動が飛び跳ねるように高まっていく。
歩行者信号が青に変わり、解き放たれたみたいにスクランブル交差点に歩行者が溢れる。
真正面にタケチンの姿をとらえながら俺は交差点を突き進む。
あと五メートル。
ポケットに忍ばせていたマジックナイフを手に取る。
あと四メートル。
帽子を跳ね上げ、「タケチン! この野郎ぉ!」と叫ぶ。
やつの視線が俺をとらえ、つられてカメラがこちらを向く。
あと三メートル。
手にしたナイフを振りかざし、俺は駆け出す。
「毎度毎度、俺のパクり動画ばっかり撮ってんじゃねえぞぉ! 死ねや、コラぁ!」
あと二メートル。
タケチンの目が驚愕に見開かれて……
と思いきや、やつはニヤリと笑った。
今度は俺が目ん玉をこぼし落としそうなほど、目を見開いた。
やつの手に拳銃が握られていた。
パン! パン! パン!
乾いた音が三度鳴った。
直後、胸に刺すような痛みが走り、俺は思わず膝をつく。
一瞬、時が止まったのかと錯覚するほどの静寂。
「きゃあぁー!」
どこかで悲鳴が上がり、時がまた動き出す。
見上げると、タケチンは口元にいびつな笑みを浮かべて走り去るところだった。
俺のパーカーの胸元には赤い血糊が三つ、べっとりと付着している。
ひょっとして、あれは……モデルガン……?
呆然とする俺に、カメラを構えていた鹿島がニヤリと笑いながらいった。
「ドッキリぃ、大成功ぉ~!」
それは、いつもの鹿島とは似ても似つかない、甘ったるい女の声だった。
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