プラトニック
谷内直希
恋人?
大学の帰り道、ちょっぴり勇気を出した私は、密かに好意を寄せている
ああこのまま死んでしまっても……って、そしたら上白くんとお茶に行けないじゃん! 違う違う!
上白くん行きつけのお店を知れるなんて滅多にないチャンスだ。これを逃したら次の機会は来世かも知れない。そう思った私は少し食い気味でその提案に乗っかった。
すると彼は満面に笑みをたたえ、「じゃあ行こっか」なんて言って軽く私の手を引く。
すみません、この方は天使でしょうか。これは夢か幻か、あるいはさっきので既に死んでしまって天国にいるのでしょうか。などと頭をふわふわさせながら歩いていると、上白くんが立ち止まった。私もそのタイミングで現実に戻ると、そこにはカジュアルな感じのおしゃれな喫茶店があった。
上白くんは全面ガラス張りの扉を引いて開けると、「はい、どうぞっ」と私をエスコトートしてくれる。私は溢れ出すにやけを隠しながら店内へと入った。店内には私たちと同じような大学生や、ベンチャー企業の社員感が漂う私服姿の男女が、コーヒーを片手にキーボードを叩いていた。変に気取らない感じで居心地が良さそうだ。お客さんは皆キラキラしていると言うか、自分に自信があるように見えて、確かに上白くんの雰囲気に合うなと思った。
私はちょっぴり背伸び……じゃ足りない気がするからハイヒールを履かないといけないけれど。ああでもよく考えれば、私はハイヒールなんて持っていないから、この前買ったミュールでもいいかしら。一万円ちょっとで購入した少しお高めなミュール。私が普段履いている靴は五千円くらいの物なので、なんと倍の値段だ。足首のあたりについている飾りが可愛くて一目惚れしてしまい、ついついお財布の紐が緩まってしまった。バイトの給料日までまだ一週間以上あるというのに、衝動買いだなんてなんとした愚行……。おっと、またしても話がそれてしまっていた。今日の私はどうやら少しおかしいらしい。テンションが高いのは別にいいのだけれど、それが裏目に出ないように気をつけなくっちゃ。せっかくの上白くんとのお茶なのだから、いいところだけでアピールしていきたい。
上白くんが人数を伝えると、愛想の良さそうな男性の店員さんが席へと案内してくれる。店員さんが上白くんに、「今日はお一人じゃないんですね」と言っていたので、顔を覚えられるほどの常連なのだろうと思った。一人でこんな喫茶店に来るなんて、おしゃれポイントが足りない私には無理そうだ。おしゃれな人はきっと大学のレポートなんかをやったりするんだろう。さすがは私の上白くんです。あっ、私のものになって欲しい上白くんです。
私は上白くんが店員さんに注文している間に(上白くんのおすすめを選んでもらった)、彼がコーヒーを飲みながらパソコンで作業している姿を妄想し、えふふっという変な笑いを零した。今の笑い方を聞かれていないかと一瞬我に返ったけれど、店員さんと会話をしていたので大丈夫そうだった。
「――では注文の確認をさせていただきます。こだわりカフェラテがお二つと、季節のフルーツタルトお二つでよろしいですか?」
「はい、それで大丈夫です」
「ありがとうございます。……ところでそちらの方は上白さんの彼女さんだったりするんですか?」
去り際に店員さんのとんでもない爆弾発言!!
顔の周りの血管は一気に広がり、全身が火照ってくる。私の顔が紅潮しているのだと鏡を見なくても分かる。
ごめんなさい、彼女じゃないんです! もし本当に彼女だったらその質問をされても堂々としていられたけれど、今は恥ずかしがることしか出来ません! 上白くんはなんて答えるんだろう。ああ、あんまり聞きたくないかも……。
「あっ、違いますね」
上白くんは表情一つ変えずにそう答えた。まあ正真正銘その通りで何の間違いもないのだけれど、とりあえず今頭のなかに現れた効果音だけ言っておくと、「がびーん!!」だ。いやうん、分かっていた、分かっていたけれど、実際に口に出されるとやっぱり少し悲しいです。私は上白くんの彼女ではありません。
しかし上白くんは、少し遅れて言葉を付け足した。
「……もし本当にそうだったら俺の大学生活はもっと楽しいんですけどね。基本的に悩みのない俺を悩ませている、唯一の悩みもなくなりますし」
いつものクールな上白くんとは違って、その頬が少し赤く染まっていた。さっきのショックのせいで、私はすぐにその意味を理解できなかった。だけど数秒後には脳がこれまでにない速度で回っていた。この調子で頭が回れば単位を落とすなんてことはあり得ないだろう、なんて思う余裕はなかった。今私の顔はお茶を沸かせるくらいには熱くなっている。回るのがパソコンのファンだったら熱を抑えられるのに、私の場合は回れば回るほど熱くなっていく。もはや熱暴走寸前だ。
えっ、それってそういうこと? そういう意味に受け取っていいの? 本当に?
いつの間にか店員さんは奥に引っ込んでしまっている。どうやら私はこの状況で上白くんと一対一の戦いを強いられているようだ。まさかお茶に誘っただけで、ここまでの展開になるなんて、経験不足の私に想像がつくわけもなかった。しかしここで引いてちゃ女じゃないぜ。私もやる時はやるってもんよ。
「あ、あ、ぁあ、あ、あの……、さ、さ、さっきのってぇぇ」
うん! 声が震えすぎて何を喋っているのか、自分でも理解不能だ。……一度態勢を整えよう。そういえばこの前の心理学の講義でリラックスの仕方を習ったような……って思い出せないっ! そんなこと考えてる余裕はないっ! 私の脳のメモリーは上白くんで埋まっているんだから!
「……そうだよ。俺は君のことが好きなんだ」
上白くんは優しい声で、だけどいつもより真剣な眼差しでそう言った。その言葉は重く私の心に響いた。身体が波打つ。自分の鼓動の音が聞こえる。そして私は同じくらい真剣な眼差しで上白くんに、この抑えきれない気持ちを言葉に乗せてを返した。
「私も、上白くんのことが……好き。本当にずっと好きだった。講義中もずっとずっと上白くんのことばっか見てた。ずっとかっこいいなって思ってた。もっとお話したいなって思ってた。それで、もっと仲良くなれたらいつか――」
「あ、ちょっとストップ! ……その続きは俺に言わせてくれない?」
私の気持ちの大洪水は、上白くんの柔らかい人差し指がせき止めた。その行動に私は目を見開いて驚いてしまう。唇に感じているのは、確かな彼の温かみ。私はその感触を噛み締めながら、静かに彼の言葉を待った。
「俺と、付き合おう」
「…………はい、ぜひ」
ようやく私はこの幸せな空間が恋なのだと知った。密かに想っている間も、私は十分に幸せだと想っていた。だけど本物の前ではその幸せさえ霞んで見えてしまう。
ああ、恋ってなんて恐ろしいものなんだろう。こんなものを知ってしまったら、もう戻れないじゃない。私は絶対に上白くんの隣を離れたくないと思った。
「おまたせしました。こだわりカフェラテと、季節のフルーツタルトです」
さっきの店員さんがやって来て、テーブルの上にカフェラテとフルーツタルトが並べられる。とても美味しそうだけれど、でも今はそれどころではなかった。初めて知ったこの感情を心に刻み込んでおきたかった。この幸せに抱きついていたかった。
そして私はこの店員さんには感謝しなくてはいけない。カフェラテとフルーツタルトを頼んだだけなのに、なぜか上白くんが付いてきたのだから。ミシュランガイドに三つ星で掲載されていてもおかしくないくらいの価値がこの喫茶店にはあった。これからは二人でここに来られることが増えたらいいなと思った。
「ご注文は以上でお揃いでしょうか。どうぞ、ごゆっくり」
店員さんは私たちに軽く一礼してから後ろに下がる。だけど数歩歩いた所で店員さんは振り返った。何か忘れたのかと思ったけれど、どうやら違いそうだった。店員さんは悪戯な笑みを浮かべて、「あれ、そういえばー、なんだっけな」とわざとらしく前置きしてから上白くんに尋ねた。
「そちらの方は上白さんの彼女さんでしたっけ?」
上白くんはぶはっと虚を衝かれたように吹き出した。もしカフェラテを飲んでいる最中だったら危なかった。だけど上白くんはすぐに冷静を取り戻し、いつものクールな表情で言い放った。
「そうですよ。俺の彼女です。見て分かりませんか?」
彼女……彼女……。私が、彼女。「俺」の彼女。
はあ、と感嘆の溜め息が零れた。正真正銘その通りで何の間違いもない。夢でも幻でも、天国でもない。私たちは恋人で、上白くんは私の彼氏で、私は上白くんの彼女なのです。
実際に口に出されると、幸せで押しつぶされそうだった。だから私も仕返しだ。この幸せ、存分に受け止めてよね。私と分け合ってよね。
「上白くんは……私の彼氏です」
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