スマホ墓場

殻部

第1話

 道にスマホが落ちていた。

 ケースにくるまれてないむき身の黒いボディをさらしているそれは、画面の保護シートが空を白く照り返していた。

 面倒臭いな、と正直思ったが仕方がない。交番はこれから向かう駅前にあるし、時間も余裕がある。

 俺はスマホの端を二本の指で摘まみ上げ、その状態のまま歩き出した。中を確認しようなどと微塵にも思わない。

 悪趣味な人間の中には個人情報を盗もうと考える輩もいるのかもしれないが、俺には受け入れがたい考えだった。他人のスマホなんかできるなら触りたくもないし、見知らぬ人間のプライベートなど興味がないどころか気持ち悪くて仕方がないじゃないか。

 だから本当は捨ておきたかったけれど、それができないほどには小市民なのだった。

 運よく交番にはお巡りさんが在中していたので、あっさりと片付いた。

 交番を出る時、背の低い老人とすれ違った。髪の薄い、灰色の作業着のその老人がからからと交番の戸を閉める音に混じって「スマートホンが」という声が聞こえた気がしたが、振り返りはしなかった。

 その日から、俺のスマホの調子がおかしくなった。

 最初は電話中に妙なノイズが混じることから始まった。そこからしだいに別の人声のようなものが交じるようになり、最終的に番号表示がぶっ壊れた電話が来て、出るとノイズとしゃがれた男の声が聞こえるようになった。何と言っているのかはほとんど聞き取れなかった。

 音声だけけじゃない。メールにも意味不明の短文が届きだした。一番困ったのはSNSだ。時折気づくと妙な文章が打ち込まれている。ツイッターなら誤魔化しがきくが、LINEとなると後で訂正してもなんとも気まずい。さらにアルバムにはいつのまにか謎のスクショが何枚も残っていたりした。

 テキストも画像も、ほとんど意味が取れるものじゃなかったが、その中に頻繁に「コイ」だの「ケセ」だの「コワセ」だのという文字が出てくるのが気になった。

 故障かと思ったが、買い換えたばかりなので誤魔化し誤魔化し使っていたある日。

 近所を散歩していた時、電話が鳴った。ちょうど黒いスマホを拾った場所だった。

 この時もかけてきた相手の表示は壊れていた。出るべきではないと思ったが、反射的に通話ボタンを押してしまった。

「タスケテ!」

 驚くほど明瞭な声が聞こえて、すぐに切れた。さすがに嫌な気分になって、このまま買い替えに行くかと思いかけたその時。グーグルマップが勝手に開いて、操作不能になった。

 あ然として見ると、地図は近所のある一画を表示したまま固まっていた。そして赤いピンが一つだけ立っている。そこは町はずれの山の中だった。行ったことはないが何の施設もなかったはずだ。強いていえば、近くには寺や墓地が点在している。それを見て――。

 なぜかそこに行ってみようと思ったのだった。

 気味は悪かったが、好奇心が勝ったのかもしれない。正直なところ自分でもどういう心持なのかわからないまま、誘われるように足が向いた。

 そうして山に入る石段を登ると、さらに石畳の道が森の中に続いていた。

「もしもし」

 急に声をかけられて跳ねるように振り返った。

「あ――」

 竹ぼうきを手にした、灰色の作業着姿の老人は、間違いなく交番前で行き違った人だった。

「ああ、あの時の」

 老人は何かに気づいて合点した。

「先週スマートホンを拾っていただいた方でしょう? すれ違った時には届けられたことは知りませんでしたが、もしやと思って、スマートホンを確認した後お巡りさんに聞いたんです。その節はどうも」

 老人が深々と会釈したので、俺は慌てて「たまたま拾っただけですから」と言った。謝礼はいらないというか面倒臭いので連絡先とか教えなかったのに、こんな形で会うとはなかなかに気恥ずかしい。と同時に、やはりここに来たのは黒いスマホと関係があることなのかと少し寒気を感じた。

 そんな俺の心に気づいたか気づかなかったか。

「もしかしたら、呼ばれたのかもしれませんね」

 老人は微笑んで言った。

 どういう意味なのか聞こうとすると老人は続けて言った。

「お礼がわりというわけでもありませんが、ご案内いたしましょう。ここは幾分珍しい場所なので。さあどうぞ」

 勝手に話を進めて石畳を進んでいく。戸惑ったが、好奇心が勝ってついていくことにした。

「ここってなんなんです?」

 俺が訊ねると老人は「スマートホンの墓場です」と答えた。

「スマホの墓場?」

 俺は山のように積み重なる廃棄されたスマホを想像した。象の墓場からの連想だが、それはどう考えても廃棄物置場だ。

 やがて瓦屋根が乗っている土塀に行き当たり、老人は木戸を開け俺を先に行かせる。おそるおそるくぐると、目の前の光景に目が丸くなった。

 広さは20メートル四方もない玉砂利を敷き詰めた敷地に、整然と無数のスマホが突き刺さっていた。それはさながら墓地のミニチュアのようだった。

 スマホの墓場とは、スマホ自身の墓場ではなく、スマホを墓石とした墓場なのだった。

 一目瞭然だ――だが。

 意味が分からない。

「これは……」

 意味がわからなすぎてなんと聞いたらいいのかもわからない。しかし、老人は察して語り始めた。

「私、思ったんです。スマートホンって、持ち主そのものだなって。その人がスマートホンを持っている間の思い出、行動の足跡が、写真や通話記録やテキストやアプリに残っているじゃないですか。ならば、故人のスマートホンというのは、デジタル化された遺骨のようなものではないでしょうか」

「な、なるほど」

「遺骨は供養されてお墓に納められます。なのにデジタルの遺骨は捨てられてしまうなんて、寂しい話でしょう。それで、私は作ったんです。このスマホの墓地を」

 確かに。俺は老人の主張自体には同意した。スマホにはその人の生きた証が刻まれている。焼いて残った骨よりも、その人の魂に近いものが宿っているのかもしれない。だが……。

 自分のスマホをなんとなく取り出して眺めてみる。

「あれ? 電波がないですねここ」

「そうなんです。町のそばなのに、何故かここは圏外なんですよ。それもあってここに墓地を作ったんです。電波が届かない方がスマートホンたちも安らかに眠れるかと思いまして」

「なるほど」

 そういう気持ちもわからなくもない。

 だが、しかしだ。

「スマホは遺族の方から?」

 俺はある引っ掛かりを覚えながら訊ねた。

「はい。ほとんどは。しかし遺族の方の中には、スマートホンの価値を理解できず、捨ててしまおうとする方もいます。そんなスマートホンも可能な限り、お救いしてこうして供養させていただいております」

「それって……」

 勝手に墓にしてるってこと? いやそうでなくても……。

「それじゃあ、俺が拾ったスマホも?」

「あれはご遺族から預かっていたものですが、なぜか行方不明になってしまって。たまにあるんですよ。そういう不思議なことが」

「……よくあることなんですか?」

「だいたいはこの近くで見つかるんですが、あんなに離れた所は初めてのことでした。やはりスマートホンには魂が宿っているでしょうかね」

 俺はその言葉で、自分が抱いていた違和感の正体にはっきり気づいた。

 スマホに魂が宿るかは正直信じがたい。だが仮にそうだとして、そんなスマホがここから離れたところに行く理由はほぼ一つだ。

「あのお言葉ですが――」

 唐突に俺のスマホが鳴った。

 老人の「え?」という声が聞こえた。そうだろう、電波状況は変わらず圏外だ。そして画面は完全にムチャクチャな表示になっていた。ということは――。

 進んで出たいわけじゃないが。

「はい」

 応答すると、地の底から響くような暗い声がはっきりと聞こえた。全身に鳥肌が立つ。

 場所のせいかノイズなく明確に発信されたそのメッセージは、俺の予感通りのものだった。そして俺はそれに返す。

「俺に言われても困るよ。言うならそっちの人にして」

 親指で老人の方を指す。

「え?だれ?」

 老人はきょとんとなり、一瞬、全てが制止したかのような無音の間があって。

 墓石となった無数のスマホが一斉に鳴りだした。バッテリーなどとうに切れたはずなのに。

「うわわわ」

 老人は腰を抜かして玉砂利の地面に尻もちをついた。俺もこれにはびびった。

 続けてスマホたちから声が漏れだす。全て違う声だ。

 ケシテケシテケシテケシテケシテケシテケシテ

 でででででーたたたたたたをををををでーーーた

 りれりれりれりれきりれききききききき

 コワシテコワシテコワシテコワシテコワワワコワ

 すまほをすますますますますますますますま

「まあ、そうですよね……」

 完全に肝が冷えていたが「彼ら」の気持ちは痛い程わかった。

「どどどどど」

 たぶん「どういうことだ?」言いたいんだろう。

 狼狽えまくっている老人に、俺がわかりやすく代弁してあげた。

「持ち主にとってはスマホのデータって、けして残してほしいものじゃないと思うんですよ。中には絶対他人に見られたくないものもあるし。俺だったらこうなふうに死んだ後も残ってたら死ぬほど嫌ですね。そういうことなんだと思います」

 秘密の会話、趣味の画像、恥ずかしいやり取り――どんな人間にも人には見せたくないデータが、スマホの中に少なからずあるはずだ。生きてようが死んでようがそんなものが自分の手を離れて残り続けているここは、当人にはある種の地獄の光景だろう。

「どどどどど」

 たぶん「どうすればいい?」と言っているんだろう。

「データ消せばいいだけですよ」

 そう言うと、老人の顔が曇った。

「ど、どうやって? 私スマートホン持ってないから……デジタルとかパソコンとか全然わからんし」

「えええ……」

 あの世からの訴えを浴びながら、俺は脱力した。「スマホはデジタル化された遺骨」とか言っといて……。これじゃロック解除のコードなんか把握もしてないだろうな。

「た、たすけてくれ」

 老人の懇願と死者の訴えを聞きながら、俺は最寄りでハンマーを買えるのはどこだろうと考えていた。

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