科捜研の女

木林 森

第1話 スマホ

「スマホに不自然な痕跡?」


 科学捜査研究所―通称『科捜研』―から報告を受けた俺は、反射的に聞き返した。


 昨日、とある私立中学校で殺人事件が起きた。被害者は41歳の英語教師。さぁ、捜査を始めようかといった矢先、容疑者の男が死んだ。


 同じ学校に勤務する62歳の警備員。警察に通報した男だ。取り調べ中に用を足すと席を立ち、トイレの個室で首を吊っている所を俺が発見した。心肺停止の状態で病院に運ばれたが、そのまま死亡が確認された。


 現場にはワープロ書きの遺書も。日常的に生徒を苦しめていた野球部顧問を殺した。ご丁寧にそう書かれていた。


 容疑者を死亡させたという事で、警察はバッシングの雨あられを受けているのが今ってわけだ。


 この殺人事件は被害者・容疑者、共に死亡という形で処理されるはずだった。一夜明けた今日、科捜研のチームリーダーから内線が入った。


「死亡した警備員のスマホから不自然な痕跡が見つかりました」

「スマホに不自然な痕跡?」


「えぇ、なるべく早い時間にラボまで来て下さい」

「不自然な痕跡ねぇ……」


 チラリと室内の壁掛け時計に視線を突き刺す。午後4時を回ったところだ。


「じゃぁ、4時半ごろそちらに」

「お待ちしています」


 スマホに不自然な痕跡か。この事件に関して何かが変わるとは思えないが、気になるものは取り除いておきたい。それが俺の性分だ。


 約束の時間より5分早くラボの入り口をノックした。


「どうぞ」


 科捜研チームリーダー那由多美蘭、44歳。リーダーに就任してちょうど2年になる。この年齢でその地位に登りつめるのだから、相当な実力の持ち主……と言いたいが、彼女の配偶者は阿僧祇治五郎(夫婦別姓だ)。警察組織の最上階に立つ国家公安委員会委員長、この国を治めるお偉い国務大臣の1人だ。


 40代の女性が科捜研のトップ。誰だってその背景には権力的なものが動いていると思うものだ。


 俺は権力争いや派閥などに興味はない。法を犯した悪い奴を捕まえる。それだけだ。


「これは警備員が教師宛てに送信したメッセージ。削除されていたものを復元しました」


 リーダーが俺に見せたノートPCの画面には、そのメッセージが表示されていた。


「この動画も添付されていました」


 あの教師が生徒を蹴り上げている動画。しかも数人の生徒の腹を、トウキックでマジ蹴りしてやがる。世の中、本当にこんな教師がいるんだな。こいつを殺したくなる気持ちは十分理解できる。


 この動画をネットにアップすると脅し、嫌なら学校へ来いという内容のメッセージ。なるほど、あの教師が帰宅後に再び学校へ出向いたのはそういう事か。


 警備員は恐喝した証拠となるメッセージを削除した、ってところか。


「不自然な痕跡ってこのメッセージ?」


 美蘭は首を横に振る。


「これら警備員側のメッセージはおそらく遠隔操作で消去されています」

「遠隔操作? おそらくって、確定事項じゃないのか?」


「遠隔操作としか思えない状況がそろっています。しかし、遠隔操作アプリの痕跡がありません。無いのも不自然、矛盾と言えます。なぜなら……」


 小難しい話が始まった。俺の脳では理解できないコンピュータだのプログラムだの、そんな話だ。


「すまん。よくわからねぇ。結論だけ言ってくれ」

「警備員の死後、彼のスマホを操作した者がいます。それでしかこの矛盾を説明できません」


 予想外の結論だ。警備員が首を吊ったのを発見したのは俺だ。もし彼の死後、そのスマホを操作するとしたら……。


「俺を疑ってる?」

「いいえ。あなたは警察から支給されているスマホもタブレットも、必要最低限でしか使用していませんし、警察のサーバにもほとんどアクセスしていません」


「だから、わかるように言ってくれ」

「あなたは情報デバイス関連に対して、知識も操作もかなり未熟です。人のスマホを操作し、特定のものを探しだして削除、さらにそれがあった場所を指定してフォーマットをかける芸当は出来ないはずです」


 釈然としないものはあるが事実だ。


「とりあえず、俺は疑われてないって事だな?」

「えぇ」


 ならば「あなたは疑っていません」の一言でいいだろう。理系ってヤツは、どうしてこうも説明が無駄に長いんだ?


「単刀直入に言います。私は、警備員が殺人を犯したと思っていません。第3者に殺人犯に仕立てられたと推測します」


 おっと。昨日の状況を見た者なら、誰もが「警備員が英語教師を殺した」と結論づけるだろう。


「警備員が教師を殺した。それを否定するに足る根拠はあるってのか?」

「ありません。ですが今回の件、あなたと同じ部署の山崎さんが何らかの形で関わっている可能性が高いと思っています」


 おいおい。少しは驚かない時間も与えてくれ。俺の後輩が殺人事件に関与しているっていうのか?


「本気で……言ってるんだよな?」

「こういう事は冗談で言えません。あなたの行動履歴は信頼出来ると判断したからこそ個別に、そして内密にお話ししています。山崎さんが、警備員のスマホの中にある『不都合なもの』を消したと、私はほぼ確信しています」


 校舎最上階のトイレで首を吊った警備員を発見したのは俺だ。その後の処理をしたのが山崎。あいつは警備員が死ぬ直前、彼の取り調べもしていた。山崎がもし、教師殺害の件に関わっていたと仮定したら、警備員のスマホにあった不都合な何かを消したというのはスジが通っているような気がする。気がするが……。


 たかだかスマホデータ1つで、そこまで話が膨らむだろうか? 俺にはそう思えない。


「山崎がこの件に関連しているという確たる証拠は?」

「ありません」


 なら、お手上げだ。


「でも、山崎さんがこの事件に関わっている、あるいは関わっていないのどちらかである事をハッキリさせる方法があります」


 このリーダー、10分足らずで何度俺を驚かせば気が済むのだろう。


「山崎さんが今回の事件と無関係だと分かれば、現在進行形の疑念を晴らせます。逆に事件と関係があるとなれば、真相を解明する足がかりとなります」

「……」


「この件は必ず裏があります!」


 なんて気迫だ。だが、凄く嫌な予感がする。そして俺の場合、嫌な予感ほど高確率で的中する。昨日も経験したばかりだしな。


「まさか、俺に違法捜査的な事を求めてる?」

「いいえ。私達が違法な事をする必要は一切ありません」


 引っかかる言い方だな。


「では、俺は何をすればいい?」

「山崎さんに、こう伝えて下さい。『今回の件に関して不審な点があったので、俺が捜査する事になった』と」


「捜査命令は出ていない。俺に嘘をつけと?」

「嘘にはなりません。近い将来、この件に関しては新たな捜査が求められるはずですから」


 凄い自信だが、その言い方だと『今は嘘』って事になるのか?


「で? それを山崎に言った後は?」

「それだけです」


「え? それだけ? 俺がこの件について捜査すると、山崎に伝えるだけ?」

「はい。伝えた後、あなたは捜査する必要もありません。もっとも何を調べるかもわからないと思いますが」


 ちょくちょく小馬鹿にされているが、そこは目をつむろう。


「私の計算通りなら、24時間以内に山崎さんがこの件に関わっているか否かを確実に判断出来るはずです」


「どうやって判断するんだ?」

「それについては、あなたは知らない方がいいと思います。あなたは情報系に弱いので」


 こいつはストレートしか投げられないピッチャーのようだ。時には緩いカーブを投げた方が、人間関係は円滑に行くと思うぞ。


 小さなため息をついた俺は、ラボを後にした。


「那由多美蘭……」


 すげぇ女だ。配偶者が大臣だから科捜研のチームリーダーになった。それが嘘だと確信しているのは、俺だけかもしれないな。

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