第4話 執事カール スケルツァンド
オルガノンの営む事務所。休日だからか他の職員はいなかった。
午前六時。朝日がブラインドから射し込む、埃っぽいところで俺はオルガノンと会っていた。ちなみにエリーゼはまだ寝ているはずだ。
「おはようございます、カルマートさん」
事務所に入ると彼がコーヒーを入れながら待っていた。
「おはようございます、オルガノンさん」
彼は薄汚れたマグカップを二つ持ち、一つを俺に手渡す。
「えっと、早速ですが例の男の目撃者達の証言でしたよね? 用意してあります。ファイルに入っているのでどうぞ」
オルガノンはデスクの上にある黒いファイルを滑らして来た。
読み終えて、纏めると以下の様になる。
●謎の男はフィーネ殺害後も何度も目撃されている。最近では二日前。
●服装は黒いコート。顔を隠していたそう。眼鏡をしていた。
●身長は一九〇センチ程で、このディファー平原にはこんなに背が高い男はいない。
●男は毎晩遅くに現れていた。
「カルマートさん。こいつが真犯人なのではないかと思っています。こいつの足取りを追いましょうよ」
「たしかにこいつは重要な参考人になる。しかし、オルガノンさんは確か第一被疑者のビルマーの弁護士でしたよね?」
「ええまあ」
『なぜそんな事を訊くんだ』と言う訝しみの篭った表情を、俺は読み取った。
「私の予想が当たれば、こいつを捕まえた所で彼を釈放、つまり君の仕事は完了したりしそうもない」
「それは……つまりどうなのですか?」
オルガノンが心配そうにして訊いて来る。
「この謎の男、ここではθと呼びますが、θがフィーネ殺しの真犯人ではなさそうなのです」
「それはどうしてですか? いかにもではありませんか!」
「確かにθは怪しいですが、フィーネを殺してからも屋敷の周りを徘徊するなんておかしいではないですか」
「と言うと?」
「もし貴方が犯人なら、ターゲットを殺したらとっととトンズラしたくなりませんか?」
「ええ」
オルガノンも納得したらしく、顎を右手で摩っている。
「それなのにθは逃げない。恐らく犯人でないからでしょう。しかし、徘徊している時期がフィーネの殺害時期と被る。これはθがこの事件における重要な参考人である証拠です」
「なるほど! ですが彼が名乗り出ていない以上、その重要な参考人の証言は得られませんよ」
「それもそうだ。そうだなぁ、まずはノイギーア家の屋敷に向かいましょう。そこである程度証言を取るんです」
「警察がとっくに……」
「いえ、証言を取りつつ被害者のいた環境を観察する事で、実態を把握するんですよ」
♢
ノイギーア邸は小さな小高い丘の上に立つモダンな館だった。モダンと言えど、二十世紀くらいのモダンである。
蛇の様にくねくねとした道と石垣、花畑等を突き進むとようやくたどり着く。最後に俺たちを迎えたのは三角形の鉄の門だった。
異世界式のモダンはよく分からん……
弁護士がベルを鳴らす鳴らすと、中から齢五十にもなるだろう執事が現れた。
「おや、クー様。こんな時期に何の御用で?」
冤罪とはいえ、被疑者の弁護人を見て、執事は嫌な顔をした。彼は隣に立つ俺に気がつくと、ちょっぴり意外そうな表情を浮かべた。
「そちらの方は?」
「初めまして。私はシーテ街から来ました、ガウス カルマートと申します」
「ガウス、カルマート……カルマート……何処かで聞いた事がありますね」
「私立探偵を営んでおります」
「ああ! あの森の魔王軍元幹部を捕まえたとかで一躍新聞に載ってましたね!」
「そんな事もありましたね。でも、今はそんな事はどうでもいいんです。問題はお嬢さんの事件には、未だに謎が残っている事です。
……協力願えますね?」
「え、ええ。勿論です。さあ、おあがり下さい」
俺はこの時横目に、彼の震える右手を見て取った。
♢
通された客室には上質なカーペットとソファ、暖炉のマントルピースにシャンデリア。まさにヴィクトリア時代のそれ。奥には扉があり、その横には仕事道具らしきファイルが並んだ本棚。そして地球儀があった。
『少々お待ちください』と、執事が紅茶を淹れて持ってくると、ソファにかける俺とオルガノンの前に置いた。
「スカイ共和国産のものです。お茶請けもお出し致しましょうか?」
「いえ、結構です。私から貴方に聞きたい事があるんですよ」
「ご主人様でなくて、ですか?」
「勿論、ルバートさんにも後でお会いしたいと存じますが、まずは貴方だ」
「わかりました。ですが、少々お待ちください。ご主人様に伝えねばなりませんから。家事も途中でして……」
五分程経って、彼は再度奥の扉から入ってきた。
「お待たせいたしました。早速ご用件を承ります」
執事が座ると俺は早速切り出す。
「まずはこのノイギーア家にいる人物について大まかに教えて下さい」
この質問で執事はハッと何かを思い出した。
「失礼致しました。私の自己紹介を忘れておりました。私はカール スケルツァンドと申します。他にも私の妻で、女中でもあるマーサ スケルツァンド。ご主人様のルバート ノイギーア様が住んでおります。奥様は五年前にお亡くなりになりました。一人娘でありましたフィーネお嬢様は……」
カールは涙を浮かべ、それから俯いた。
「辛い事だったと思います」
「ええ、本当に! 私はこの館で二十年程務めさせていただいておりますが、お嬢様の笑顔は未だに眼に焼き付いております!」
執事は顔を真っ赤にして叫んだ。
俺はなるべく彼を落ち着かせながら、続ける。
「実はここのオルガノン君の資料を読んだのですが、スケルツァンドさんはフィーネさんが前日泣いていたのを知っていたとか……」
「いえ。そんな事は存じませんが……」
何故かカールの表情が引き攣った。
俺がおかしいなと思っていると肩を横から突かれた。
「カルマートさん。その証言は女中のマーサの方から来ました物です」
「あ、成る程。では次にフィーネさんの行方不明になった日について聞かせて下さい」
執事は自身のズボンをぎゅっと握りしめて、悔しそうな表情を見せて続けた。
「お嬢様のいなくなった日を忘れはしません。あの日は一月も前でしたね。お嬢様が誘拐されたのです。
お嬢様はいつも休日に、このディファー平原を散歩するのが好きでした。あの日も元気にお出かけになりました。帰宅時間はいつも正午ごろでしたが、かのビルマー様とお出かけになっていると思い、警察に届け出たのは夜になってからでした」
「成る程……。オルガノンさん。ここまでで今まで聞いて来た事と矛盾する点はありましたか?」
「いえ、なかったです」
「そうですか。では次にルバートさんをお呼び下さい」
「かしこまりました」
執事は席を立った。
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