鳴らないスマホ

江戸川台ルーペ

■□■

 私は頬杖をついている。


 視線の先にはスマホ。

 場所は海が見えるショッピングセンターのフードコートで、私は高校二年生の普通の女の子で、賑わう家族連れやカップルの中、一人こうして連絡を待っている。私は窓際に座っていて、大きな窓からは海と、渋滞している車の列が見える。


 フードコートだし、何か食べなくちゃいけないかと思って、ロッテリアの適当なセットを頼んだ。支払いを済ませたあと、ポケベルみたいな機械を持たされて、しばらく海を眺めていたらそれがピイピイと鳴って、注文した窓口までハンバーガーやポテトが載っているトレイを取りに行かなくてはならなかった。よく出来てるシステムだと思う。効率がいい。


 でも効率とは裏腹に私の空腹はすっかりどっかへ行ってしまって、さりとて美味しくもないハンバーガーとポテトを苦労して食べなければならなかった。そこかしこで、注文した客を呼び出すベルの音が耳について、神経に触った。ピイピイ、ピイピイ。何だろう、ケンタッキーかな。ピイピイ。花月の豚骨ラーメン? ピイピイ。モスバーガー?


 そういう、どうでも良い事が気になり始めるのは、あまり良くない兆候だった。恐らく待ち合わせている彼と、これから別れ話になるだろう。その為に私はここに来たし、食べたくもないハンバーガーを胃に詰め込む事になったのだ。今、私は心が不安定になっていると思った。ピイピイ、ピイピイ。ええい、そこかしこで本当にウザい。


 スマホを持って、いつものアプリを立ち上げようとした。単なる時間つぶしのゲームだ。けれど、そこでふと思った。きっとこれで最後だから、着信が鳴る瞬間のスマホを見てみようじゃないか。彼が私を呼ぶ瞬間を見届けてみるのも悪くない。


 そうした訳で、私は頬杖をついてスマホを見下ろしている。画面に明かりがない液晶はじっと深く黒さをたたえていて、今のところ鳴る気配はない。指紋が気になって、バッグからスマホや眼鏡を綺麗にする個包装のシートを取り出し、丁寧に拭きあげた。前面、背面、側面。ついでに自分がしている眼鏡も外して綺麗にする。私はこの消毒液と薔薇の混ざったような独特な匂いが好きだ。全てがリセットされたような気持ちになる。スマホは鳴らない。液晶はフラットな黒さでじっと私を不思議そうに見上げている。不思議そうに? 多分、不思議そうに。


 この場所を調べるのもスマホを使ったし、駅で改札を出る時もスマホをかざした。ロッテリアの支払いもスマホだった。電車の時間を調べるのもスマホだったし、車内で聴く音楽もスマホから発信された電波をワイヤレスイヤホンで受信したのだった。よく考えてみたら朝、起きる為にアラームを鳴らしたのもスマホだし、これから別れ話をする段取りを彼とつけたのもスマホを介したメッセージのやり取りだった。


 それだけじゃない。


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 ありとあらゆる検索ワードが赤裸々にこのスマホに蓄積されている。私よりも私らしさを知り尽くしているのはスマホなんじゃなかろうか。そう思うと、つい「ご苦労様です」と労いの声でも掛けたくなる。でも、今は一人だし、そういうことはしない。頭がおかしい女だと思われてしまう。


 好きだったなぁ、と彼の事も思い出す。

 彼との写真もたくさん保存されている。スマホ単体ではなく、インターネットのどこかにそれらはまとめてプールされている筈だ。それは私の中の思い出よりも鮮明に、ずっとこの先まで残るに違いない。私が忘れてしまっても、もしかしたら、全然予定はないけど、私が死んでしまった後もずっと。


 正面の窓から、海に日が沈んでいくのが見える。

 私は思わずスマホを取って、カメラを起動させたい衝動に駆られたが、そっとまたテーブルに戻す。多分、この夕日は私だけに、私だけの中に焼き付けなければならない景色なのだ。いつかどこかで、誰に話すともなく蘇る細切れの思い出として、大切に、大切にとっておかなければいけない。


 スマホが震えた。

 いつも大切なことは、目を離した隙を見計らってやってくる。

 私はずっとそれを震わせておく。

 私は不思議なほどの静謐とざわめきの間に座っている。





 ピイピイ、ピイピイ。





 うるせえな、ほんと。







(終)



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鳴らないスマホ 江戸川台ルーペ @cosmo0912

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