第29話 「TWO FACES」上田凜子

 学生時代の友人からCDが郵送されてきた。

 この友人はバンド若草物語のキーボード兼編曲担当で、よい耳の持ち主である。

 僕は彼から高校時代にクラフトワークやブライアン・イーノなどの音楽家を教えてもらい、多大なる音楽的影響を受けた。彼の勧める音楽がつまらなかったことは一度もない。

 今、彼は上田凜子というアーティストにはまっているという。東京音楽大学作曲指揮科で学んだ作曲家、ピアニスト。現在、できるだけ新型コロナウイルス対策をしながら、ライブ活動を行っている。そのライブに行かないかと誘われた。

 その場所が僕にとってはやや遠方であり、また、コロナ禍下でライブハウスに行く気にはならなかったため、断った。

 CDを聴く気はないかと重ねて訊かれた。上田凜子の「TWO FACES」というアルバムだ。

 2017年4月1日に発売されたCDで現在入手困難だが、友人はアーティスト本人と交流があるので、なんとか売ってもらえないか訊いてくれるという。

 僕は「聴きたい。手に入るものなら、ぜひほしい」と頼んだ。

 そして今日CDが届いた。

 上田凜子作の7曲が収録されている。CDには解説はついておらず、上田凜子がピアノを弾き、他にコントラバス、ドラムス、バイオリン、ビオラ、チェロの演奏家が参加していることしかわからない。

 アマゾンに内容紹介があり、「ピアノトリオと弦楽器が激しく絡み合うコンテンポラリージャズとクラシック要素が合わさった新しいサウンドの楽曲」とある。

 曲名は全部英語。「Two faces」などがあるが、あまり曲名のことは考えず、とにかく聴いてみることにした。

 僕はジャズにはまったく知識がない。正直に言うと、最近はボーカロイドとアニメソングしか聴いていない。わかりやすいポップスしか聴いていない。上田凜子の曲は最初、音が奔流のように聴こえてきて、いいのか悪いのか、好きなのか嫌いなのか、よくわからなかった。

 しかし慣れてくると、だんだんよくなってきた。

 これは、いいものかもしれない。

 音の奔流に身をまかせていると、酒が飲みたくなってきた。

 この曲に合うのは強い洋酒だ。ウイスキーのオン・ザ・ロックがいい。ちょうどシーバスリーガルがあったので、飲みながら聴いた。

 あまりわかりやすいメロディではないな。これがジャズなのかと思って聴いていると、ときどき耳に心地よいメロディが混ざっていることに気づいた。そればかりではなく、とらえどころのない音も気持ちよくなってきた。

 酔っているからじゃないよ。

 音が気持ちいい。ややわかりやすいクラシックと僕にはわかりにくいジャスの融合。

 わかりにくい部分が飽きにくさにつながる。僕はすかさず2回めを聴いた。

 1曲めの「Dedicated to Flance」が耳に慣れてきて、カッコよく聴こえてきた。これは、本当にいい曲だ。あの友人のお勧めの音楽家にハズレはないんだ、と改めて思う。かつて多彩な曲を聴きまくっていた学生の頃の耳にだんだんと戻っていくようだ。

 2曲めの「Mediocre incidents」も2回めは極めてメロディアスに聴こえた。ウイスキーに合う。上田凜子のライブはコロナ的にもかなりリスクが少ないのではないか。歌を歌うわけではないから、飛沫は飛ばない。観客も静かに耳を傾けて陶酔し、おそらく拍手はしても、叫ぶことはないだろう。

 3曲めの「Heartbeat」はかなりキャッチーな始まり方をする。弦楽器のメロディが美しい。ピアノの伴奏が音に厚みを加えている。

 僕は学生時代、ギターを弾いて作曲をしていた。気持ちのいいコード進行があり、そこに歌詞を乗せれば自然と曲ができた。上田凜子の作曲法はおそらくそんなに単純なものではあるまい。しかし音楽はあまりに難解なものではありえないと思う。どんなに複雑でも、特殊な民族楽器でもない限り、五線譜で表現できるものだ。人の魂をふるわすものには、普遍的な共通点があるはずだ。きっと僕にもこのジャズ&クラシックが理解できる。

 そんなことを考えていると、4曲めの「Nobady knows」が始まった。静かな曲だなと思っていると、そこは上手に裏切られて激しくなり、また静かになる。変化の激しい曲だ。上田凜子の弾くピアノが主役。かと思うとストリングスが主役に交代する。これもカッコいい曲だよ。身を乗り出して聴いた。

 僕は聴きながら飲みながら即興でこの文章を書いている。たぶん明日聴いたら別のことを書くと思う。少し酔ってきたかな。

 5曲めの「The bustling word」もいい。激しいメロディで始まり、少しわかりにくいジャズに変わる。

 バンド若草物語を僕たちは3人でやっていた。4人めの仲間がいて、彼は僕たちの音楽をひたすら聴いていた。そして音楽に飽きたら、4人で麻雀をした。その4人めの友人は今ジャズを聴いているらしい。外国で仕事をしていて、メールのやりとりをするだけなのだが、彼が上田凜子を聴いたらどういう感想を言うだろう。訊ねてみたい。

 6曲めがアルバムのタイトル曲「Two faces」。ピアノソロから始まる。ドラムスが加わる。コントラバスも参加する。ウッドベースかなりいいよ。二つの顔。二面性。上田凜子はなぜこの曲とCDにそのようなタイトルをつけたのか。わからない。いつの間にか他の弦楽器も演奏を始めていて、聴き入り、考えるのをやめた。

 7曲め「Finaly I...」。ラスト曲。バイオリンソロから始まる。そう言えば、僕は中学生のときにバイオリンを習わされていたっけ。好きでやっていたわけではなかった。練習が苦痛だった。2年間習ってやめた。

 大学のときは好き勝手にギターを弾いていた。バンド若草物語を始めた。演奏が好きになったのは、その頃からだ。

 上田凜子はキーボードの世界大会で4位受賞するような名演奏家だ。僕と比較することなんてできるわけがないが、プロの音楽家になるまでには、きっと紆余曲折があったのではないかと想像する。音大に入り、プロになるには、どれほどきびしい練習をこなさなければならなかったのだろう。

 「Finaly I...」のピアノを聴いていると感じる。この人はピアノが好きだ。でも好きなだけで続けてきたわけでもない。つらくて泣いたこともあったにちがいない。その生き様が音楽に深みを与える。

 僕は明日も上田凜子を聴くだろう。そういえば、敬称略と書き忘れていた。みなさん、上田凜子さんを聴いてみてください。

 酔いがほどよく回ってきた。明日も仕事だ。お風呂に入ろう。

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