夏が恋しい

哲学徒

第1話


 日は天辺に居座り、刺すような光を降り注いでいる。轟々と立ち登る陽炎。蝉は命がけで異性にアピールしている。遠くからカモメの声が微かに聞こえる。


 どっと風が吹いた。熱くて柔らかい。熱風。耳元につむじを巻いてどこかへ行ってしまった。


 麦わら帽子を被っているのに、暑さは全く和らがない。帽子の紐の両端から汗が伝い、結び目で合流し砂浜に染みを作る。髪の生え際からはぬるい汗が噴き出してくる。着替えがあったか思い出す。Tシャツは海に浸けたようになってしまった。


 すっかりぬるくなった缶ビールを取り、放置したウィスキーの水割りだと思って飲む。顔を思い切りしかめる。近くのカニにかけようとしたら、サッと逃げられた。


 一泳ぎしてこよう。水着は無いが、どっちにしろ汗で濡れている。帽子を脱ぎ捨て、軽く準備体操して、波打ち際へ走る。ピシャピシャという音が、ザザザという音になり、ドボンという音になったらザブンと海に飛び込んだ。


 そのまま海と戯れる。潜り、ひっくり返り、海底をキックし、飛び出すように海面から顔を出す。犬かき、クロール、背泳ぎ、立ち泳ぎ、色々な泳ぎを試してみる。


 鼻をつまみ、沈んで、海中で目を開けてみる。海面はオーロラのように光が差し込んでいた。揺蕩う泡を掴むと、手の中で弾けてしまった。


 水中でのボコボコした吐息の音。水かきの激しい音。それらを止めた時に始めて聞こえる、波の音。顔を出すと聞こえる、どうという風の音、大きな波の音、遠くの船の汽笛、蝉の声はほとんど聞こえない。


 全身の力を抜く。海に背を預ける。生温い波。まるで抱きしめられているようだ。


 ふと、涙が頬を伝う。今は太陽だけが私を見ている。涙を流れるままに任せる。全身の水分が涙に変わった。海はただそれを受け止めた。太陽は、ただ見守った。このまま、跡形もなく溶けてしまえればいいのに。


 身体が重い。引き摺るように砂浜を行く。顔が痛い。日焼け止めはあまり効果が無かった。全身がベタつく。砂を落としたい。ヤブ蚊を追い払いながら、海の家のシャワーを浴びようか。それとも、そのままホテルに帰ってシャワーを浴びようか。


 防波堤を登り、もう一度海を振り返る。夕焼けを映したオレンジ色の海は、静かに潮騒を立てている。目を細める。波頭が光っては崩れる。海はやがてオレンジから群青、そして黒に近い青になった。どこからか車の通過音がする。ラフな格好の学生たちが砂浜に降りて花火を始めた。


 そうだ。まずは冷たいビールだな。この辺りにコンビニはあっただろうか。防波堤をゆっくりと降りる。Tシャツはすっかり乾いてしまい、身体に馴染んでいる。夜風が心地よく肌を撫でる。サンダルはジャリジャリという音を立てて、道路に砂を撒き散らした。

 

 


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夏が恋しい 哲学徒 @tetsugakuto

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ