きっと相容れる
紅茶党のフゥミィ
きっと相容れる
ポケットからスマートフォンを取り出す。時間を確認する。よし、間に合う。
ほんの少しだけ歩幅を大きくして歩く。駅はもう目と鼻の先、電車に乗り遅れることはないはずだ。
改札を抜けてホームへ。いつもの場所に向かう。
居た。東口へ向かう階段の横、ホームの少し狭くなった所に彼女は立っていた。
体つきがきゃしゃで、腕に掛けた小さなバッグが重たそうに見える彼女。名前は知らないし、そもそも何をしている人なのかも知らない。駅でよく見かける人、それが彼女だった。
彼女がジッと見つめているのは水色のスマートフォン。時折、そこからぶら下がった小さなクマのぬいぐるみがクルンと一回転するのを目にする。
横に並ぶ度に思う。彼女はなんて儚げなんだろう、と。抱き締めたら折れてしまいそうな彼女。そんな彼女をこっそりと見つめる。
一度だけ声を掛けたことがある。彼女が落としたリップクリームを拾った時のことだ。
「ありがとうございます」
シロップを掛けられて少しずつ溶けていくかき氷のような声だった。
その時以来、目が合うと会釈してくれるようになったのがとても嬉しい。
今日も会釈してくれた。しかもいつもより目が優しい。
ブルドッグのように緩んでいた顔を引き締め、出来る限りカッコイイ顔で会釈を返す。だが、既に彼女は自分の世界に入っている。どこか恥ずかしくなり、喉の調子を整えるように咳払いしてから、彼女が夢中になっているもの、スマートフォンの画面を覗き見た。
文字の羅列、彼女は電子書籍を読んでいた。これが実に悔しい。私が紙の本を愛する派閥だからだ。好きな人には自分と同じものを好きになって欲しい、という気持ちは誰にでもあるだろう。彼女には紙の本が似合う、あのページを捲った時に微かに漂うインクの香りが絶対に似合う、と力説したい!
ここで電車がなかなか来ないことに気付いた。よくよく耳を澄ませば、ホームのざわめきの隙間から駅員のアナウンスが聞こえてくる。どうやら電車が少し遅れているらしい。
仕方無く、私はバッグから本を取り出して読み始めた。知る人ぞ知るSF小説で、「レールガンの方が速い」や「まだ神経系がミディアムだぜ」といった名台詞が目白押しで、読んでいて気持ちが良い。一瞬、視線を感じた気がするが、私の気持ちは近未来へとタイムトラベルしていった。
遅れていた電車が到着した。本はほぼ終わりの方まで読み終えてしまった。続きを読みたい気持ちをグッと堪え、私は電車に乗った。もちろん彼女を先に乗せた。男女平等と言われるこの世の中だが、私はレディファーストの精神を大切にしたいと思う。彼女を貴族の令嬢のように丁重に扱うのだ。
彼女はいつも座らない。座席に空きがあっても絶対に座らない。周りの人が皆座っていても彼女は座らないのかもしれない。
そのポリシーに影響されてか、私も座らなくなった。そのせいか、空いた車両の中で彼女と私の二人だけが立っているということも少なからずあった。
彼女はいつも三つ先の駅で降りる。大きな病院が最寄りにある駅だ。どこか悪いところでもあるのだろうか、と不意に心配になる時がある。また明日もここで会えるとは限らない、だからこそ彼女のことをもっと知りたい、と思ってしまう自分がいる。
降りる時、彼女は右腕に掛けたバッグの口を左手でキュッと掴む。中身を盗まれない為だろうか、中に大切なものが入っているに違いない。そういえば、あのリップクリームはまだ中に入っているのだろうか。買い換えられていたら寂しい。
五つ先の駅で降りた。今日も学生生活が始まる。
あれから数日経った。
今日も私は彼女の横に並んでいる。
彼女のスマートフォン画面を見て驚いた。
「もう神経系がウェルダンだぜ……!?」
思わず読んでしまった。
彼女が跳ねるようにこちらを向くそしてマシンガンのように言葉が紡ぎ出された。
「『もう神経系がウェルダンだぜ』は『まだ神経系がミディアムだぜ』と対比させているんですよね! レールガンのところも好きだけど、私は『俺にシルバー・ストリークは苦過ぎる』のところが好きで――はっ!? す、すみません!!」
この瞬間、彼女への憧れはハッキリと好意へと変わった。ああ、この人好き。
電車の中で色々なことを話し合った。驚いたことに彼女は同じ大学に通う先輩だった。母親が骨折して入院しており、そのお見舞いの為に三駅先で降りていたそうだ。違う学科だから受ける講義も違う。だから登校する時間も帰る時間も違う。偶然、私の登校時間と彼女がお見舞いに行く時間が重なったのだ。ありがとうお義母さん!
何故、件のSF小説をスマートフォンで読んでいたのか訊いたところ、意外な言葉が返ってきて驚いた。
「読んでいる君の顔が凄く楽しそうだったから気になって……」
たまに感じる視線の理由がようやく分かった。嬉しい理由だった。
お見舞いの後に登校するので余計な荷物はカバンに入れたくない、それが、彼女が電子書籍を読む理由だった。よし、この機会に紙の本勢へ引き込もう、と紙の本の良さを惜しげも無く伝える。彼女も私に電子書籍の優れた点を教えてくれる。紙の本を貶さず、電子書籍と紙の本はいつか融和出来る、と語る彼女は眩しかった。
それからというものの、お互いに紙の本、電子書籍を問わずにオススメの本を語り合うという習慣が始まった。
「ほら、電車が来たよ」
彼女に手を引かれ、僕は電車に乗った。
彼女の掌は柔らかくて、優しかった。
きっと相容れる 紅茶党のフゥミィ @KitunegasaKiriri
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