第72話 黒い球体

 銀幕の内部は、細かい宝石を散りばめた様な気品さえも感じさせる表面とは違って、どんよりと重たい空気が満ちていて薄暗く、黒いモヤの様なものまで漂っていた。


 そしてとてつもなく広い。まるで濁った夜空を飛んでいる様だ。


 前方に見える15個の淡い緑の光を見失わぬ様、ボクも慎重に飛行する。


 同じ高度で銀幕内を一周した後、一機の機体が突入口付近に待機する。


 そして残りの機体が七機ずつに上下に分かれ、銀幕内の調査が開始された。


 これは事前に打ち合わせしていた行動だ。そしてボクは銀幕上部へと向かうチームに、少し遅れてついて行く。


 ボクは空から落ちてきた訳だから、銀幕に元の世界への繋がりがあるのなら、間違いなく上だ。


 その仮説を裏付ける様に、上昇するにしたがってコックピットに載せているラジカセから聞こえてくる音が、少しずつだけど鮮明になっていく。


 銀幕上部探索チームはクラウスが指揮を取っている。先頭を飛ぶのももちろん彼だ。


 暫く飛行を続けると、七個の光がピタリと止まる。ボクはクラウスに横付けした。


「どうしたのクラウスさん。なんかトラブル?」


「…………なんだ、あれは…………?」


 薄暗く不明瞭な視界の中、クラウスが見上げた先に目を凝らすと何かが確かに浮いていた。


 暗闇に墨汁を垂らした様に、一ヶ所だけがやけに黒く際立って見える。


 突然頭上から、鋭い風圧がボクの横を掠めて抜けた。


 それと同時に後方の部員から悲鳴が上がる。振り向くと、黒い触手の様なものが一機の人翼滑空機スカイ・グライダーに絡み付いていた。


 残りの人翼滑空機スカイ・グライダーは瞬時に散開すると、触手に向かって風の飛礫つぶてを発射する。


 数発の攻撃を受け触手はようやくその手を離し、捕らえていた人翼滑空機スカイ・グライダーを解放した。


「気をつけろ! 何かいるぞ!」


 そう叫びながらクラウスが攻撃を受けた部員の元へと旋回する。その部員に外傷はないものの、ひどく疲れ切った様子だ。


「クラウス様。気をつけてください。……アレに触れると何か……加護の力を吸い取られる様な感じです」


 どの部員も今は頭上を注視して警戒を強めている。黒いシミは段々と大きくなる。


 加護の光がなければ、たった10m先も不明瞭な暗闇の中なのだ。ここまで接近を許して、ようやくそれが何なのかが分かる。


 ボクらの視界は大きな黒い球体で覆われていた。

 

 この銀幕内の直径は300m位だとクラウスが言っていた。それを考慮に入れるとこの黒い球体は5、60mはあるかもしれない。


 怪しげなその黒い球体は、所々に突起物がついていて、それが伸びたり縮んだりと蠕動している。


 その形態や雰囲気から、贔屓目に見てもボクらとお友達になろうって感じは微塵もなさそうだ。


「ギギ……オマエタチ。ナニモノ。マーズサマノジャマ、ユルサナイ」


「……なっ! 言葉を」


 驚きの声を上げた部員に向かって黒い球体の突起物が鋭く伸びた。部員は突然の攻撃に対し、咄嗟に体が動かない。


 まさに間一髪のところでクラウスが放った風の飛礫つぶてが突起物の軌道を変え、部員の捕獲は失敗に終わる。


「全員散開! 決して動きを止めるな! 上下左右に撹乱しながら、攻撃をするんだ!」


「クラウスさん! ボクも手伝うよ!」


「嬢ちゃんは上だ! 上を目指せ! ……俺たちの事は心配するなって。こう見えても俺たちゃ強いんだぜ。……嬢ちゃんの気持ちは嬉しいが、目的を思い出せ。……家族の元に帰るんだろ? それが嬢ちゃんの今やる事と違うのかい? アレの攻略は俺たちの任務だ。俺たちゃ仲間、だろ? だったら少しは信用しろって」


 黒いモヤに阻まれてるけど、薄く光るその顔には、いつもの余裕を浮かべた笑顔があった。


「おいお前たち! 嬢ちゃんの道を作ってやるぞ!」


「「「おう!」」」


 クラウスに続き、数機が黒い球体に左方向から接近する。


 黒い球体はその表面で小さく伸縮を繰り返す突起物を何本も、鋭く伸ばしクラウスたちを襲う。


 クラウスたちは小さく旋回したり、緩急をつける事でその触手をすべて躱した。


「行け! 嬢ちゃん!」


 配属されてまだ日が浅いボクの為に、危険を顧みず、クラウスは先頭を飛び、その身を挺して黒い球体の注意を引きつけてくれる。


 その男気がこの人の最大の魅力であり、普段はだらけている様に見える航空戦闘部員たちを牽引する動力でもあるのだと、ボクは心の底から尊敬する。


 ……ありがとう、クラウスさん! もっともっとたくさん話したかったよ。


 クラウスの気持ちを無駄にしてはいけない。ボクはそう自分に言い聞かせ、噛み締めた唇を解き決断する。


「マクリー! ……行くよ!」


 それを合図に竜翼競艇機スカイ・ボートは黒い球体に向かって急発進すると、ボクは右に向かって舵を切った。


 向かってきた触手はたったの二本だけだ。ボクはそれを何なく躱す。


 それ以外の数十本の触手はクラウスたちに向かっているのだから、これくらい避けられて当然だ。


 振り向くと触手の攻撃はさらに激しさを増し、クラウスたちへと襲いかかる。


 ボクは航空戦闘部みんなの無事を只ひたすら祈りながら、上へ上へと上昇を続けた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る