第69話 それぞれの想い

 それから一時間くらいが経過した頃だろうか。


 不意に誰かが声をあげた。


 その声に促されて前を見ると、遠くの空を分割するかの様にして、細い白い線が見えた。風竜はその線に向かって真っ直ぐに航路を維持している。


 銀幕が朧げながらも視界に入り、いよいよ右翼に待機していた部員たちの動きが慌ただしくなっていく。


 航空戦闘部の人翼滑空機スカイ・グライダーとボクの竜翼競艇機スカイ・ボートを、大勢の保安部が取り囲む様に配置へと付いた。


 ボクもマクリーを専用座席にすぽんと搭乗させ、ハッチを閉めて外側から錠をかける。コックピットにはラジカセも積んである。


 後はボク自身が乗り込めば、これで準備は完了だ。


 機体の前で最終確認をしていると、背後で砂を踏む音がした。振り返ると『モン・フェリヴィント』でお世話になった人たちが、そこに並んでいた。



「……カズキ。貴方と一緒にマクリー殿と出会ったあの出来事が、これから先、私の人生の中できっと一番の思い出になるでしょう。私は生涯忘れませんよ。……もし万が一、カズキが元の世界に戻れなくて大怪我をして戻ってきても、私がちゃんと治してあげるから心配しないでください。……ああ、これは失言でしたかね」


 ゲートルードが眼鏡を指で上げながら、出会った時と変わらない微笑みを見せる。


 ……いっつも何か余計な事を付け足すけど、この笑顔には本当に癒されたなぁ。




「焦る事はないからの、カズキ。銀幕はここだけではないでの。無理じゃと思ったら、引く事も肝心じゃ」


 心をほぐす優しい笑顔を向けながら、それでもヘルゲはしっかりと忠告をしてくれる。


 ……大人の優しさと、その距離感が好きだった。ボクのおじいちゃんとはタイプが全然違うけど、こんな家族がいたら素敵だろうな。




「アンタがいなくなっちゃうのは寂しいけどねぇ。女同士、服や下着をアンタにあげようと用意してたけど……ああ、アンタにはまだ必要ないかねえ」


 ボクの胸を見ながら、姉御肌のカトリーヌがニヤリとする。


 ……ちょっとカトリーヌさん! そこはこれからたわわに実る予定だよ! 女同士、いろいろ気を使ってくれてありがとう。




「銀幕に突入するまでは、俺たちがカズキを必ず守る。主は何も心配しなくていい」


 アルフォンスが仁王立ちでそう断言する。いつにも増して顔のあちこちに、仁王像の様なコブが盛り上がっている。 


 ……その顔、怖すぎるって! 最初に見た時は心臓が止まるかと思ったけど、優しさが表情に出ないだけで、温かい人だったな。




「……なあ、やっぱり帰らなきゃいけないのか? もうカズキの事を誰も『落人おちうど』なんて呼んじゃいないだろ。皆、カズキの事が好きなんだ。カズキの帰る場所は『モン・フェリヴィント』じゃダメなのか!?」


 ジェスターが双眸に涙を溜めている。気持ちを吐き出し下を向くと、地面にぽたりぽたりと滴が落ちた。


「そうだね……最初は皆にジロジロ見られてさ、何もできなくて、とても不安で、孤独で、ジェスターだってボクの事バカにしてたけど、今は違う。皆温かくて優しくてカッコいい、ボクの大切な大切な仲間たちさ。……だけどね、ボクの事を待っている家族がいるんだ。銀幕の中に元の世界との繋がりがあるのなら、ボクはやっぱり帰る事を選びたい」


 それがこの数日間で、ふわふわ揺れていたボクが導き出した結論だ。


 父さんや母さん、それにおじいちゃんが元の世界で待っている。


モン・フェリヴィントみんな』の気持ちは本当に嬉しいけど、簡単に捨てられる絆ではない。それにボクには、ボートレーサーになる夢だってある。


「……そうか、そうだよな。カズキには俺たちの知らないカズキの世界や、そこに大切な人がいるんだもんな。……ごめんな、さっき言ったことは忘れてくれ。だけどカズキ、これだけは約束してくれ。少しでも危険だと、無理だと思ったら絶対に『モン・フェリヴィントここ』に戻ってくるんだぞ」


 ジェスターは涙を乱暴に拭うと、最後は笑顔を見せてくれた。


 ……ありがとうジェスター。本当に、ありがとう。キミの事は絶対に忘れないよ!




「銀幕の内部には何があるか、想像だに出来ない。カズキ。其方が元の世界に帰ろうが『モン・フェリヴィントここ』に戻ろうが、またはそれ以外の選択をしようが、我々は其方の行動を尊重する。後悔だけは残さぬ様に」


「今までありがと、ヴェルナードさん。この竜翼競艇機スカイ・ボートとマクリーは、ちゃんと『モン・フェリヴィント』に戻すから。心配しないでね」


 ヴェルナードは表情を変えずに小さく頷いた。


 ……ちぇ、最後くらいは笑顔を見せてくれてもいーじゃんか。普段は冷たく見えるその顔の奥に、仲間を大切に想う本当の顔が隠されているのを、ボクは知っているんだからね!



 全員との会話が終わり、ボクは一人ずつ拳と拳を重ねていく。


 もしかしたらこれが最後になるかもしれない。拳を重ねながらボクは、皆の顔をしっかりと心に焼き付けた。


 青い空には不行儀に縦断する銀幕が、随分と大きく見えている。正確な時間は分からないけど、あと2、30分もすれば銀幕へと到達するのだろう。


 それぞれが所定の配置に付き、次第に迫る銀幕を前に緊張感がいや上にも高まっていく。


 そんな張り詰めた空気の中だからなのか。


 伝声管越しの聞き取りにくい、それでいて戦慄を帯びたナターエルの声が、少し離れたボクの耳にもしっかりと届いた。



「———ヴェルナード様……緊急事態です……左舷より空賊が……接近してきます!」

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