第10話 ヘルゲとジェスター

 エドゥアは「後の事は中の者に聞けば分かる」と、その言葉だけを残し足早に立ち去って行く。


 ボクはエドゥアの投げっぱなしな態度に腹立たしさを堪えつつも、開け放たれた扉に手をかけ小屋の中を覗き込んだ。


「———オイ! 早く扉を閉めろよなっ! ブリェルが蒸発しちまうだろ!」


 座りながら作業をしていた少年が、声を荒げて言い放つ。


「ではカズキ、私はこれで失礼します。次の診察は三日後です。カズキの都合に合わせますので任務が終わったら必ず診療小屋に来てくださいね」


 ゲートルードは右手を上げ優しい笑みでそう言うと、踵を返す。その背中を見送るボクに、またしても声変わり前の叫声が浴びせられた。


「オマエ! 耳付いてるのか! 扉を閉めろって言ってるだろ! ブリェルがダメになったらオマエ一人で採りに行ってもらうからなっ!」


 もう! 一体何なのこの子は!? 見るからに年下だとは思うけど、初対面でいきなり怒鳴るとかありえないから! 閉めりゃいいんでしょ閉めれば!


 ボクは怒気を含んだ勢いそのままに、後ろ手で扉をバタンと閉めた。


 その振動で天井からパラパラと細かな埃が舞い落ちてくる。ボクは髪に降り注いだ埃を叩き落としながら、改めて部屋の様子に意識を傾けた。


 扉を閉めた部屋の中は薄暗い。


 十畳くらいのスペースに柱や板や切り出されたまんまの木材たちと、色や材質が異なる大小の岩や石などが散らかっていた。


 そしてそれを避ける様にして小さなテーブルと椅子が二脚、申し訳程度に置かれているのが「ここは物置じゃなく職場なんだぞ」と主張している様で悲しくなってくる。


 部屋の中にはランプなどといった照明類は一切ない。天井付近に取り付けられた小さな明かり取り窓が唯一の光源なのかと思ったけれど、よく見ると壁のあちこちの隙間から光が何筋も漏れていて、それがいい塩梅に部屋に明るさを与えていた。


 ちょ、ちょっと何この最低な環境は……! あのパワハラ上司、ボクをこんな所に配属するなんて……! 


「ささ、嬢ちゃんや。そんな所につっ立っとらんで、こっちにおいで」


「……え? ヘル爺。こ、コイツ男じゃないのか?」


 このお子ちゃまめ。絶対コイツとは仲良くなれない予感がプンプンするよ。


「ほっほっほぅ。ワシくらいになるとな、ちゃーんと分かるもんなんじゃよ、な、嬢ちゃん?」


「う、うん。女だよボクは。初めまして、若月和希です。カズキって呼んでください」


 気さくに話しかけてくれた白髪に眼鏡の老人のカーキ色した作業着の胸には、三日月一つの『1つの月章ファーストムーン』を表す紀章がついている。埃まみれだけど。


 薄暗いけどボクは見逃さなかった。


 上官にはしっかりとした対応を。同じ轍は踏むもんか。


 これからしばらくお世話になる場所なので、できれば良好な関係を築きたい。それに、さっきの様に怒鳴られるのはもうゴメンだ。


「ふぉっほっほ。そんな畏まらんでもいいんじゃよ。ワシはヘルゲ。ここにはワシとこのジェスターの二人しかおらんからの。現にジェスターなんぞ、ワシを班長と思ったことすらないんじゃからの。ふぉっふぁっふぁっふぁ!」


「へん! 何が班長だよ! コイツを入れたって……三人だけじゃないか! 偉そうな事言うなよなっ!」


「おや? ワシがいつ偉そうな事を言ったかのぅ?」


「いつも言ってるじゃないか! 俺のやり方がダメだとか、それじゃ効率が悪いとか! いっつもいっつも!」


「それはお前さんがまだまだひよっこだからじゃよ。偉そうな事言われる以前の問題じゃて。ふぉっふぁっふぁっふぁ!」


 上官にも小生意気な口調の、まだあどけなさも残る短髪茶髪の———ジェスターと呼ばれた少年と、それを軽くあしらう老人ヘルゲを見ていると、さっきまでの軍隊然とした雰囲気に馴染めず怒られた自分がバカに思えてくる。


 何だろうここは一体……? 資材調達班って一体何なのぉぉぉ?


「ささ、おしゃべりはこのくらいにして任務に戻るとするかの。今日のノルマを終わらせんとな」


 まだ何か言い足りなそうなジェスターだったが、ヘルゲが再び作業を始めると軽く舌打ちを漏らしながらも自分も作業を再開する。


 壁から差し込む光が届かない絶妙な場所に陣取っている二人は、目の前の大量に盛られた砂山から砂を掬っては、それをふるいの様な道具を使ってサラサラと砂を下に落としていた。


「それは……何をしているの?」


「東の森近辺の黄土にはブリェルが混じっておるでな。こうやってふるいをかけて寄り分けておるんじゃよ」


「……ぶ、ブリェル?」


「おいオマエ! ブリェルも知らないのかよ!? 『落人おちうど』ってのは何も知らないんだな。ブリェルくらい兵役前の子供でも全員知ってるぞ!」


 ひっさし振りにマジでカチンときましたよ、ええ。このお子ちゃま、人が大人しくしていれば調子に乗りまくって、いい加減にしてよねっ!


「……アンタ、歳いくつなのよ?」


「何だよ……もうじき14歳だ。何か文句でもあるのか?」


 何とまだ13歳! 幼いとは思っていたけれど、これほど若いとは!


「アンタ……ジェスターって言ったっけ? ボクは16歳だ。アンタさっきから聞いてればキイキイキイキイうるさいのよ! ヘルゲさんに対してもそう! アンタ、もう少し年上の人を敬うって事できないの!?」


「う、うるさい! オマエが俺の年上でもなあ、ここでは俺の方が先輩なんだ! 年上だからって威張ってるんじゃねーよ!」


「威張っているのはアンタでしょっ! 人が知らない事をバカにするなんて、自分が頭の悪い証拠よね。それに先輩ってボクに認めて欲しいのなら、先輩らしくここの仕事をボクに教えるくらい自分から動いたらどーだい!? 口先だけで先輩風吹かすなんて、見てらんないくらいカッコ悪いのよ!」


「な、なにをぉ!」


 ジェスターがふるいをバンと床に叩きつけ、ボクをキッと睨み付けた。


 その顔は紅潮し、目の端には今にも涙が浮かび上がりそうだ。


 だけど13歳のお子ちゃまに睨み付けられたって全く怖さを感じない。むしろ滑稽に思えてくる。


 ちょっと言い過ぎたかな。


 いやいや、礼儀知らずなお子ちゃまには、これくらい言ってやって当然だ。


 ボクは無礼な態度には一歩だって引くつもりはない。昔からそうなのだ。これは若月家のめんどくさい血筋がなせる技なのかもしれない。


 ボクとジェスターの睨み合いが続く中、それに終止符を打ってくれたのは予想通りヘルゲだった。


「……ジェスターや。お前さんの負け、じゃよ」


 幼い怒りの矛先が、今度はヘルゲへと向かう。ヘルゲはジェスターの視線を気にする事なくゆっくりと背筋を伸ばしてジェスターに向き合った。


「その嬢ちゃんの言う通り『出来ない』事は揶揄しても、『知らない』事を責めてはいけないのぉ。皆初めは何も知らないのじゃからな。それにジェスターや。任務で人を動かすのは経験でも年齢でもない、自身の行動力じゃよ。己の行動力が引力となって、他人の共感を引き寄せるのじゃ」


 ジェスターは下を向いたまま、唇を噛み締めた。きっとそうして痛覚に意識を寄せないと、堰を切った様に悔し涙がこぼれ落ちるからだろう。


「お前さんは『やろうとしない』だけじゃからのう。決して『出来ない』訳じゃない。そうじゃろう? ジェスター」


 ヘルゲの言葉にはしっかりと優しさが込められていると思った。


 この二人がただの仕事仲間なのか、それだけじゃないのか、会って間もないボクには分からない事だけど、白髪の老人の眼差しには心からジェスターの事を想っている温かさがある。


 顔を上げヘルゲと視線を交えたジェスターも、ボクと同じ事を感じ取ったからだろうか。


 自分の顔をパンと両手で叩いて立ち上がる。そして部屋の奥へ歩いていくと辺りに散らかった道具をガサガサと漁り、ふるいを手に持ち戻ってきた。


「……ほら。これを使えよ。やり方は俺が教えてやるからそこに座りな」


 下を向き、あくまで視線を合わせようとはしないままで差し出されたふるいを受け取り、ボクはジェスターの隣に膝を折る。


「どうもありがとう。これからいろいろ教えてねジェスター」


 不意をついた感謝の言葉にジェスターは、顔を上げ目を大きく見張ってボクを見る。そして顔を緩ませると「おお!」と威勢よく答えてくれた。



 ……ふぃぃー! とりあえずはどうにかこうにか丸く収まったよ。任務初日からトラブルとか、ホント勘弁だから。

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