竜の背に乗り見る景色は 〜ボートレーサー訓練生が『軍隊』に入隊した結果、異世界の英雄になりました〜
蒼之海
〜第一章〜
プロローグ
同僚の気持ちよさそうな寝顔を軽く一瞥し、いい加減重くなった目蓋をコシコシと擦る。
頬を軽く叩いて気合を入れ直すと、改めて眼前に広がる青々とした空に目を移した。
「今日も変わらず異常なし、ってか」
櫓のように組まれた高さ15mはある監視台の上で、男は眠気覚ましに独りごちた。
ここから眺める空は静謐で、うっかりすると何もかも吸い込まれてしまいそうだと、いつも男は思う。
男が『製造部』からこの『索敵部』に転属となって丸一年が経とうとしていた。
主な任務は監視台からの索敵任務だ。バディを組み二人一組で仮眠や食事を交互に摂りながら、24時間体制で、決められた範囲を監視する。
転属前に所属していた『製造部』とは異なる任務体系に、最初のうちこそ戸惑いはしたものの、今では概ね順調だ。
だが、任務を共に遂行するバディは、最低でも半年間変更はない。
男は足元でしゃがみ込んだまま、何やら寝言を言っているそろそろ見飽きた相棒を爪先で軽くこずくと、この相棒が新婚だったのを、ふと思い出した。
ようく聞いてみると、以前に相棒から何度も聞かされたことのある愛妻の名が、だらしなく開けた口から涎と共に漏れている。
「……へっ。夢の中までもそんなに女房に会いたいのかね」
結婚10年目の男にとって、それは少しだけ羨ましくも思えた。
そういえば俺にもそんな時期があったかな、と過去を思い返してみる。
だけど、脳裏に浮かぶのは娘の事ばかりだ。
今日の任務が終わった後、前々から欲しがっていた手鏡を一緒に買いにいく約束をしている、小さな娘の綻んだ笑顔。
「……一丁前に色気付きやがって」
憎まれ口とは裏腹に、男は娘の成長を頼もしく、そして誇りに思っていた。
最近少しずつ女房に似てきたところが少々不安だけどな。……そんな事もついでに付け足して。
「さあてと、もう一踏ん張りだ」
両腕を上げ硬直した筋肉をほぐしながら再び空を見上げると、一瞬キラリと光る何か見えた。
男は監視台の手すりに身を乗り出すと、慣れた手つきで木製の望遠鏡を操作して三枚のレンズを重ね合わせ、ピントを最大望遠に調整していく。
そして、喉の奥から掠れた声を絞り出した。
「っ……! お、おいおいマジかよ……あれは『
男は先程までとはうって変わった機敏な動きで、備え付けの伝声管の蓋を跳ね上げた。
「こちら第11番監視台! 二時の方向に落下物! 高度はおよそ三千! おそらく『
しばらく置いて隣の受信用伝声管から小さく「了解」と聞こえると、男は素早く次の行動に移す。
『
「おい! いい加減に起きやがれ!」
男は未だ夢の中の相棒の腿あたりを、今度は強めに蹴り上げた。
「……うひゃ! な、なんですか。びっくりさせないでください……もう任務終了の時間ですか?」
「馬鹿野郎! それどころじゃねーよ! 『
「え……えええ! お、『
「ああ、まったくだよ。あと二時間で非番だったのにな。……ここは任せたぞ。『航行部』との連絡をよろしく頼むぞ!」
同僚の返答よりも先に、男は梯子をつたい監視台を降り、望遠鏡で再び空を確認した。
なんとか人の形と分かる『
男は落下地点に向かって走り出した。
吹き付ける風で草原は、波の様に靡いている。
走りながら男の頭には、娘のふてくされた顔が浮かんできた。
(約束破っちまって、きっとむくれやがるんだろうなぁ)
『
その後は、腱鞘炎ができるほどの書類作成地獄。いつもなら「今日も一日良い天気でした」程度の子供の日記と見紛う任務日報が、泣きたくなる位の枚数になる。
半日は時間を費やす望まない作業が、この後に待ち構えているのだ。
そしてそれとは別に男の気持ちに暗い影を落としているのは、落下現場の確認だ。
高度から落下し地面に叩きつけられた『
空を見上げると、『
凄まじい速度で落下する『
しかし衝突音はしなかった。
変わりに激しい光が目蓋に突き刺さる。男はたまらず両腕で顔をガードした。
そして『
(……いや、ねえし! 『
閃光はゆっくりと消滅した。
男は木々から垂れる蔦を払い、枝を潜り、森の奥へと進んでいく。
「お、おい。どうなってんだこりゃ……」
光の発生源と
———人の形を残した『
男は恐る恐る覗き込む。不思議な事に外傷は見当たらない。
赤のテラテラとした素材の上着に同じ素材の紺のズボン。短髪黒髪でまつ毛が長いその顔は、中性的な顔だちをしている。
何故だか分からないが全身がしっとりと濡れていて、黒い兜の様な物が地面に転がっていた。
「ま、まだ
男がそう口にした瞬間、倒れている『
自分の顔を寄せてみる。そして微かに聞こえる呼吸音。
「こ、コイツ……い、生きている……!」
男は驚きのあまり二、三歩後ずさると、草の根に足を取られて尻餅をついた。
地面にへたり込むと、長時間の任務と全力疾走の疲労がどっと押し寄せる。
(……ああ。今日は疲れたなぁ。早く女房に会いてえなぁ)
柄にもなく男は、妻の顔を思い浮かべた。
何だかんだと言ってみても男と言う悲しい生き物は結局、最後に行き着く先は惚れた女の元なのかもしれない。
地面に付いた掌から小刻みに振動が伝わってきた。しばらくすると馬蹄の音も耳に届く。
きっと『保安部』がこちらに向かっているのだろうと、男は悟った。
そうして現実に引き戻された男は、尻餅を着いたまま深い深い溜息を一つ吐いた。
「……こりゃ今日は確実に、家に帰れそうもないな……」
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