空気を買う

オオムラ ハルキ

良い女は寝る時間

 夜、暗い部屋の中で明かりがポッと咲いている。ベットの上、手に持つその電子機器からは光が漏れ出し、彼女の顔を明るく照らしていた。軽いバイブレーションと共に返信が溜まっていく。嫌気がさしてそれをベッドへ投げる。バフっという音がした。


「今日は、楽しかったね。」


「次はどこ行く?」


「ねぇ、今から時間ない?」


「ごめん、週末は無理だから。月曜日はどう?」


 日に日に快感は薄れ、怠惰へと変化した会話はもはや日課だ。これだけの人間が自分を認めてくれているんだ…と思うと同時に、これだけしか自分を愛してはくれないんだ…と悲しくなる。ホストにレンタル彼氏、セックスフレンドにナンパ常習犯の既婚者。みな、嘘ばかり。


 大好きだったヒトは忘れられないヒトに変わった。その胸の痛みを埋める為にしたセックスも、上辺だけの好きという言葉も全部私を虚しい気持ちにさせた。


 思えばあの時、私は恋愛とか人間関係がひどく下手で恋なんてどうでも良いし、なんでも良いと思ってた。だから、憂鬱という気持ちをたわわに実らせたまま快楽だけを求めて夜の街をさまよっていた。空気を買ったのはその時が初めてだった。あのヒトとどこか面影が似ているヒトをアプリで探してチップを弾ませる代わりにあのヒトの愛撫の仕方だとか話し方だとかを真似て私を満たさせた。結局は代わりなんていなくて虚無が手元に残るんだけど。この関係性において愛することにはお金と時間の限界があるということを思い知らされる。


 出会いはこの、光を放つ電子機器が提供してくれている。本命の彼とも私を繋いでくれている。本当は、この電子機器があるからこそ、私は不幸になって関係がねじれて面倒になってどんどん気持ちの波に溺れていってしまうっていうことに気づいてる。愛だの恋だのというものは冷たい文字には表れてくれなくていつもいつも私の存在価値をデリートボタンを長押しするかのようにいとも簡単に消していく。ただ温もりが欲しいだけ。ただ抱きしめて欲しいだけ。それなのになんでこうもうまくはいかないのだろう。捨てられないその箱とともに私の気持ちも無惨にその場に留まったまま。


 愛のためにお金を積んで、自由のために身を売る。空気を買う時はいつもこういうやけになった気持ち。ただ一人に愛してもらいたいの。好きっていってギュッと抱きしめて欲しいだけなの。代わりを何人作っても、どれほど似ていても彼らはあのヒトにはなれない。きっと、ずっと。


 あのヒトはひどい言い方で私を傷つけることもない。かといって優しくしてくれるわけでもない。明らかに主導権はあのヒトの手中にあって、私はその中で転がされている内の一人に過ぎない。まるで、今、ベッドの上に投げ出された電子機器上のやりとりのように実態がない。


 これを繰り返して繰り返して私は私を保っていく。微妙に空いた隙間を代替物で埋めてこの箱に頼って生きていくの。夜も更けてきた。暗闇に咲く光を消して、良い女は寝る時間。

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