第10話 悲伝言
逢魔ケ刻――聖と魔が混じり、この世とあの世の境界が曖昧に溶けていく。
帰路につく山南が集落に差し掛かった時、すでに陽は山の稜線を朱に染め、空は夜の紺と昼の朱がゆっくりと混じりつつあった。
幸いにも東の空に浮かぶ月は明るく、加えてこの雪景色である。帰りの足元に不安はない。
陽が完全に落ちたとしても、伏見の町に戻るまで苦労はないだろう。だが空に雲が無い分、気温の下がりも早い。熱燗の一杯が恋しくなるのも致し方ない事だろう。
村の外れを目立たぬよう通り過ぎようと、歩みを速めた。
だが、奇妙な違和感に、山南は脚を止めた。
何かが妙である。
刻限からいえば、夕餉の頃合いであろう。
先程、凛音をいじめていた悪童らも、家に戻り夕餉でも食べているのだろう。
そこで山南は、違和感の正体に気が付いた。
煙が上がっていないのだ。
この刻限であれば煮炊きの煙のひとつくらいは上がっているはず。
しかし奇妙な事に、それらしき煙のひとつも立ち昇ってはいない。
それどころか、人の声はおろか、物音の一つも聞こえない。
ぞわり――と、山南の首筋を怖気が迸った。
「まさか――」
山南は駆けだした。その顔からはいつもの笑みが消えていた。
それに代わって山南の眼には刃のように鋭い光が宿っている。
すぐ手前にある家の戸口の前で、山南は立ち止まった。
戸が開け放たれたままなのである。
暗がりに、じっと気を巡らせるも、人の気配らしきものは感じられない。
ただ黄昏時の静寂だけが、風と共に吹き抜けていく。
まるで廃屋のようである。
だが日中、香尾と共に立ち寄った時には、間違いなく人が暮らしていたのだ。
意を決し、山南は戸を潜った。
矢張り、そこに人の姿は無かった。
だが、人が日常を暮している気配は残っている。当然のことながら、長い事放置されている状態などではない。
その証拠に、囲炉裏ではまだ炭が燻っていた。
山南はその家を後にすると、向かいの家の戸を明けた。
その瞬間、香ばしい香りと共に、錆びた鉄のような生臭さが鼻腔を叩いた。血の匂いだった。
眉間を微かに歪めると、山南は脚を踏み入れた。
入って直ぐ、土間にうつ伏せるように倒れているのはこの家の女房だろう。
背中をばっさりと、一太刀に斬られている。
赤く燻る囲炉裏の中には、まだ年端もいかぬ赤子が、首の無い姿で投げ込まれていた。
「くっ――」
ぎり――と、山南が歯を噛みしめる。
山南は能面のような顔のまま、更に二・三件の家の様子を見た。
だがいずれも同じような状況であった。どの家の人間も酷い殺され方をしている。
この様子では、村の全てがこの状況なのだろう。
いったい誰が何の為に、このような寒村を襲い、幼い赤子まで皆殺しにせねばならぬのか。
お世辞にも裕福とは言い難い村である。村を全て襲ったとしても、手に入る金品などでは腹の足しにもなるまい。
これは断じて、物取りの仕業ではない。その証拠に、家の中に荒された形跡はない。ただ一方的に殺戮の身を目的として殺したのだ。
淡々とした、怖ろしく冷静で手練れた者の仕業。
それも一人二人の仕業ではない。
「何が起こったというのだ」
呟いたその時――遠くの方で、微かに人の声がした。
山南は反射的に声の方へ走った。
そこには井戸があった。
村の中央部に位置するここは、共用の水場であり社交場であるのだろう。
日々日常であれば女衆が集い、旦那の愚痴でも言い合いながら、笑い声の絶えぬ場なのであろう。
だが山南の眼前に広がるのは無残な姿をした、首の無い童たちの骸だった。
「こ、これは……」
そこに倒れる童らの着物に見覚えがあった。
昼間、凛音をからかい囃したてていた悪童たちであった。
どっぷりとした血溜りの中に、まるで蹴鞠のように丸々とした首が転がっている。
寄ってたかって女童をいたぶるような、男子としてあるまじき姿に少々きつく懲らしめてみたものの、それがこのような姿で再開することになろうとは――何ともやり切れぬ思いが、山南の胸中に重く圧し掛かる。
「――すまない」
なにに謝ったのだろう。
山南の口からでたのは、自分でも分からない詫びの言葉だった。
「――――けっ……て――――」
そんな山南を我に反したのは、微かなうめき声だった。
周囲を見渡す。
動く人の姿はない。
だが、声は確かに聞こえた。
「誰か、誰かいるのか!」
「――――た……すけぇ――――」
残響を残すような声。
それは、井戸からだった。
昼間の悪童らは六人。
井戸の前に転がる骸は四つ。
「まさか」
山南は井戸を覗き込んだ。
既に陽は暮れ、昼間でも暗い井戸の底の様子など見えはしない。
だが眼を凝らせば、微かな気配と朧気な輪郭が見えた。
縄に絡まり水面に沈みかけた童の姿があった。
「待っているんだ。今引き上げる」
山南は綱を手繰ると、桶を引き上げた。
「大丈夫か」
「――あっ、あっひあぁ」
桶と綱に絡まるようにして上がってきた童は、一番最初に雪人形に気が付いた男子だった。
「しっかりするんだ」
綱を離し絡まった桶を外す。
ばっさりと斬られた肩口から白い骨が露出していた。
冷たい水に浸かっていた故に助かったのだろう。
だがそれは、苦しみを先延ばしにしただけだった。
肌は白蝋のように色を失い、瞳の光は虚ろを泳いでいる。
「なにがあった?」
山南は懐から呪符を取り出すと、童の傷を押さえた。
気休めである。
このような人間が長く無い事は知っている。
だが山南が呪符の上から氣を注ぐと、童の唇に微かに血の色が戻った。
「……温っ――たけぇ」
「無理に喋らなくていい」
山南は濡れた童を抱きかかえ、さらに掌から氣を注ぐ。
「……みん、な死んじま――った」
あの後、村に戻ると村人たちは黒ずくめの男らに、皆殺しにされていた。
自分らも襲われ、もう一人は井戸の底で死んでいる。
それだけを、途切れ途切れに答えた。
「黒ずくめ?」
まさか――と、山南の脳裏に昨日、伏見湾で斉藤と見かけた一団が脳裏に浮かんだ。
何故だ。なんの根拠も無い。
だが、その思いは確信に近かった。
連中だとしても何の目的で――
一瞬、山南が思考に埋没しかけた時、童が血を詰まらせた。
「わかった。もう喋らなくていい」
童の命の灯は、燃え尽きる寸前だった。
発する声は意味をなさず、掠れた擦過音と化している。
「もう休むんだ」
気休めにしかならぬ言葉と共に、山南が童の瞼を撫で下ろした。
「り……り、んね……」
その手を童が掴んだ。
「なに?」
「――――りん……ね、が」
「りんね?凛音がどうしたのだ?」
「……けもの、のみこ――――」
既に聞き取ることは困難だった。
だが確かに凛音――そして巫女と言っている。
「凛音たちがどうしたのだ!」
「た、助けた……って――」
「助けるとは――」
「かんにんな――ほんま、かんに――ん――」
その瞬間、童の中に残っていたなにかが事切れた。
山南の腕の中で、童は重く冷たい物へと変じてしまった。
「――すまない」
山南は眼を閉じ、唇を噛みしめた。
そっと、童を雪の上に降ろし、山南は立ち上がった。
「
山南は走り出した。
一刻も早く、玉音と凛音のもとへ戻るために。
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