変身!

鱗卯木 ヤイチ

第1話

「つ、ついに、完成したぞ……」

 早乙女恭一郎は、今しがた完成した手のひらサイズの機械を、大事そうに両手で握りしめていた。

「博士! 遂に完成したのですね!」

 助手の水樹アンナが恭一郎に駆け寄る。

「あぁ、アンナ君! 遂に完成だよ!」

「これで……、これで日本は、いえ、世界は救われるのですね!」

 アンナは目に浮かんだ涙をそっと拭った。

「あぁ、その通りだ、アンナ君! ……しかし、その白々しい演技は何だね?」

「えへへー、バレましたー? コットンスポンジの涙でしたー!」

 アンナは手に隠し持った化粧用のコットンスポンジを恭一郎に見せながら、悪びれる様子もなくケラケラと笑った。

「コットンスポンジはどうでも良いのだ! ついに長年開発していた変身デバイス、Super Metamorphosis Hypergear、略してSM-H、通称『スマホ』が完成したのだよ、アンナ君!」

「きゃっ、SMエッチだって! もう博士ってば、変態さんなんだからぁー! でもぉ、痛くしないならぁ、アンナちょっとくらいは、イイヨ?」

 アンナが頬をほんのりと赤く染め、上目遣いで恭一郎を見る。

「これが……、これがあれば、あの『極悪帝国』の怪人たちにも対抗が出来る! 世界の危機を救うことが出来るのだ」

「あー、博士無視したー! せっかくこんな可愛いコがイイヨって言ってるのにー、ブーブー! いけず―」

 アンナは頬を膨らませて恭一郎に向かって口を尖らした。

 しかし恭一郎はまったくアンナには構わず先を続けた。

「各地のヒーローは怪人達に苦戦を強いられているのだ! あのジャスティス仮面ですら怪人との戦った帰り道でどこかのおばちゃんに体当たりを食らい、今は温泉療養をしていると言う。しかし、こいつさえあれば……」

 恭一郎はおもむろに『スマホ』の画面上に指を滑らせた。

≪ピピッ! 指紋認証を完了しました。変身アプリを起動してください≫

「おお! なんかカッコいー!」 

 アンナの称賛の声に恭一郎は鼻の穴を大きくする。

 恭一郎は続けざまに画面上の『変身』と描かれたアイコンをタップし、『スマホ』を高々と掲げた。天井を見上げる恭一郎の眼鏡が、照明に反射してきらりと輝く。

「10Gチェンジ! スマホライダぁぁー!!!」

「うっわぁ、名前かっこわるぅ~」

 アンナが残念そうな目を恭一郎に向ける。

≪変身アプリの起動を確認しました。データ転送開始します≫

『説明しよう。恭一郎が『スマホ』の変身アプリを起動すると、速さ100ペタbpsの10G回線を使用して、スマホライダースーツが研究室から恭一郎へと転送されるのだ。変身アプリ起動から変身完了まで、わずか60秒である』

「博士、なに声色変えて、説明してるんですかー? しかも60秒って……」

「アンナ君! お約束と言うやつだよ! お約束! まったくロマンと言うものがわからんのかね、キミは!

 ……仕方なかろう、どれだけ情報量があると思っておるのだ。これでも圧縮に圧縮を重ね、やっとここまでだなぁ……」

 恭一郎とアンナがそんなやりとりをしていると、恭一郎の身体の周りに淡い光が集まってきた。やがて光は完全に恭一郎を包み込み、そして霧散した。

「見参! スマホライダー!!」

 光の消えたその場所には、メタリックな鎧を纏った我らが新ヒーロー、スマホライダーが立っていた。スマホライダーは両手で左上空を指さす様なポーズをきめる。

「結構それらしーですねぇ、博士! ……ポーズはイマイチですが」

「博士ではない! スマホライダーと呼ぶのだ!」

「はいはーい、わかりましたー、博士ー」

 アンナは早くも興味をなくしたのか、自分のスマホを取り出してMyTubeを見始める。

「くっ! 私の助手ながら移り気の早い……。天誅!」

 スマホライダーはアンナの手元に素早く手を伸ばし、スマホを没収する。

「あぁーん! アンナのスマホ返して―!」

「ふっふーん、どうだ。驚いたか? スマホライダーは変身前の2倍の身体能力を有するのだ。力やスピードが倍だぞ? ハッハッハ! 凄いだろー、崇め奉るのだ!」

「えー? たった2倍? 100m走だとどれくらいですか?」

「……9秒くらいかな」

「うわぁ、びみょーですねぇ……。変身前は100m18秒ですか? アンナより遅いじゃないですかぁ。運動不足ですよー。それで怪人と戦えるんですかぁ?」

「う、うるさい! 強い怪人は他のヒーロー達に任せて、私はヒーロー達の手が回らない下っ端怪人をやっつけるのだ! それにこう見えて武器だって色々あるんだぞ! フリックビームとか、ロングタップソードとか……」

 必死でアンナに弁解しているその時、『スマホ』が甲高く鳴り響いた。

≪ビービービービー! 怪人情報! 怪人情報! 神奈川県相模原市に怪人が出現しました! 繰り返します……≫

「博士!」

「うむ! 行くぞ、アンナ君! スマホライダーの出動だ!」



 1時間後、元の姿に戻った恭一郎とアンナは、『スマホ』が示す神奈川県相模原市の、とある場所に来ていた。

「博士ぇ、なんで電車移動なんですかぁ? ヒーローならバイクとか、車とか、もっとカッコいい乗り物があるじゃないですかぁ! もう移動だけでアンナ疲れちゃったぁ……」

「予算が無いんだ、予算が! 全て『スマホ』に費やしたからな! そんな事より、アンナ君、見ろ、あれを!」

 恭一郎が指し示すその先には全身黒タイツに身を包んだ怪しげな人物がいた。その人物は懸命に自動販売機の下を覗き込み、必死で手を伸ばしている。

 周りの通行人はなるべく関わり合いにならない様に、足早にその場を立ち去って行く。

「えぇ? あれが怪人ですかぁ? どう見ても下っ端じゃないですかぁ。何か今にも、イィー! とか言いそうですけどぉ」

「言っただろう、アンナ君! 私は忙しいヒーロー達に代わって下っ端をやっつけると!」

「あれ、本気だったんですね……。とゆーか、あの怪人、自販機下の小銭漁ってるしぃ……。もしかしてアンナ達が来る前からですかぁ? 下っ端も下っ端、生活にも困ってそうなくらいの下っ端じゃないですかぁ」

 憐れむような目でアンナは恭一郎を見る。

 しかし今の恭一郎にはそんな視線は気にもならなかった。なぜなら恭一郎の心は初出動で激しく燃えているのだ。

「くっくっく、待っていろよ、怪人ゼニアサリ! この早乙女恭一郎が……、いや、スマホライダーが成敗してくれる!」

「ゼニアサリ……」

 アンナの呟きを無視して、恭一郎は怪人ゼニアサリの前へと躍り出た。

「そこまでだ! 怪人ゼニアサリ!」

 恭一郎は怪人ゼニアサリに向かって指を差して立ちはだかった。

 怪人ゼニアサリは自販機の下から顔を上げ、恭一郎の方へと振り返る。

「……あの人、ゼニアサリって、自覚あるんだぁ……」

 アンナはひとり突っ込みを入れる。

 周囲の通行人も何かのショーでも始まったのかと、足を止めていた。

「白昼堂々、自動販売機の下に置き去りにされた小銭を漁るとは不届き千万! 占有離脱物横領罪も甚だしい! その悪逆非道なふるまいを天が許しても、この私が許さん!」

「……イィー……」

 怪人ゼニアサリは静かに唸り、自動販売機を背にして立ち上がった。どうやら恭一郎に自動販売機の下の小銭を横からかすめ取られると思ったらしい。

 恭一郎と怪人ゼニアサリは真っ向から向き合う形となった。

 周囲の通行人は遠巻きにスマホで写真を撮ったり、ひそひそと会話をしたりしている。時おり『警察を……』という言葉を耳にし、アンナは他人のふりをしようと心に決めた。

「イィーーーー!!」

 焦れた怪人ゼニアサリは、雄たけびを上げながら一歩を踏み出した。

 恭一郎の顔に不敵な笑みが浮かぶ。

「来たな! 怪人ゼニアサリ! お前の暴虐はここまでだ!」

 恭一郎は白衣の中に手を伸ばし、『スマホ』を鮮やかに取り出した。そして華麗な手つきで『スマホ』の画面上に指を滑らせた。

≪ピピッ! 指紋認証を完了しました。変身アプリを起動してください≫

「おぉー!」

 『スマホ』の電子音に歓声が沸いた。

 恭一郎の顔が密かに綻んだ事をアンナは見逃さなかった。

 怪人ゼニアサリは『スマホ』の声に驚き、一瞬たじろぐ。

「行くぞ! 怪人ゼニアサリ! 10Gチェンジ! スマホライダぁぁー!!!」

 恭一郎は『変身』アプリをタップし、両腕全体で大きく弧を描いた後、『スマホ』を天に掲げた。日光に反射した恭一郎の眼鏡が再び輝く。


≪圏外です。電波の良い所でもう一度実行してください≫


「……あれ?」

 恭一郎は慌ててもう一度『変身』アプリをタップする。


≪圏外です。電波の良い所でもう一度実行してください≫


「お、おかしいな! えい! えい! えい!」


≪圏外です。電波の良い所でもう一度実行してください≫

≪圏外です。電波の良い所でもう一度実行してください≫

≪圏外です。電波の良い所でもう一度実行してください≫


「……」

 いたたまれなくなった通行人達は思わず恭一郎から視線を逸らす。

「く、くっそ―! 10G回線のエリア外だったとは! 相模原市のインフラはいったいどうなっているんだ!」

 恭一郎は相模原市に対して謂れのない八つ当たりをかます。

「か、怪人ゼニアサリ! 今日のところはこれくらいにしてやろう! だが、東京都新宿区辺りで小銭漁りをした時には容赦はせぬぞ! 覚えておくのだな! ……行くぞ、アンナ君!」

 恭一郎はそう言って、白衣を大きくたなびかせてその場を後にする。

「えー、博士やめてよー。アンナも仲間だとおもわれちゃう~。恥ずかしいなぁ、もう~」

 ぶつくさと文句を言いながらも、アンナは恭一郎の後ろを付いていく。

 見世物が終わったと思った通行人はひとり、またひとりとその場から離れて行った。

 その場に一人残された怪人ゼニアサリは、また自動販売機の下を覗き込み、遠く輝くコインに手を伸ばした。


 闘え、恭一郎! 負けるな、スマホライダー!

 10G回線が全国展開されるまで、あと2年!

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変身! 鱗卯木 ヤイチ @batabata2021

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