第3話 体が資本
バッと目を開いた私を見て、ベッドの周りに集まったみんなが目を丸くして固まっている。
「お、おはよう。」
そう言ったつもりなのに、ずっと声を出していなかったせいか、ほとんど声にならない。
「奇跡…だ…。」
その時、部屋の隅で声がした。私の主治医の先生だ。
もう私に手の施しようがなくて、諦めて隅に下がっていたんだろう。
先生がそう言うと、「うおぉおーん!!」と恥ずかしげもなく、お父様が泣き始めた。
「良かった…良かった、アンナ!!
私は本当に一人になってしまうかと…!
ありがとう…生きていてくれて…。
アンナ…アンナ…。」
お父様は私の手を取り、もじゃもじゃした髭に擦り付ける。地味に痛い。
反対側の手はソフィアに握られている。
「あぁ、神様ありがとうございます…!
アンナを助けて下さって……!!」
ソフィアの紺碧の瞳からはポロポロと美しい雫が落ち、私の手の甲を濡らしていく。私を想うその涙を見て、私は改めて決意した。私が必ずソフィアを救うんだ…と。
◆ ◇ ◆
後から聞いた話によると、私は十日間も目を覚さなかったらしい。もう駄目だと主治医にも言われ、明日にはもう…と言われた父は、藁にも縋る思いで、ソフィアに死にそうな私を励ましてやって欲しいと急ぎ手紙を出したということだった。
私自身、あの時にソフィアが来なかったら、きっと死んでいたと思う。本来ならば、私はあの時に死ぬ運命だったんだろう。
なぜそう思うのかというのは根拠があった。
攻略対象の一人、騎士団長の息子であるウィルガは私の従兄弟だ。きっと騎士団長である父は私が亡くなって、彼を息子とすべく引き取ったのだろう。彼のステータスは、騎士団長の息子で、公爵家の跡取りだった。
私が難しい顔で考え事をしているのが珍しかったからか、オルヒがまた心配して、どこか痛いのかと尋ねてきた。
「ううん、少し考え事をしているだけ。
ねぇ、オルヒ。ちょっと纏めたいことがあるから、あとでノートを用意しておいてくれる?」
「えぇ…構いませんが…。お嬢様がお手紙以外の書き物をするのは珍しいですね。」
「うん、ちょっと考えを書き出したくてね。
これからのことを。」
「これからのこと、ですか?」
オルヒは不思議そうに私を見る。
オルヒならこの荒唐無稽な話も信じてくれそうな気もするが、逆に頭がおかしくなったとお父様や主治医に報告するそうな気もする。
そういうわけで、私はとりあえず自分の中でこの話を整理することにした。
オルヒに用意してもらったノートに覚えていることを書き出していく。記憶が鮮明なうちに少しでも多くの情報を書き記しておかなければ。
今は十一歳。学園に入学するまであと四年。
その間になんとかソフィアの死を阻止する手立てを考えなくてはならない。絶対にソフィアを死なせるものか、私が必ずソフィアを幸せに導いてみせる!
◆ ◇ ◆
私はソフィアを救うためにも、まずは自分を健康にすることから始めた。
今のままじゃ学園には一緒に通えない。一緒に通えなければ、ソフィアの悪役令嬢的行動を止めることも出来ないからだ。
今までは過保護なお父様やオルカに言われるがまま静養していたが、もう今の私は違う。杏奈の記憶があるのだ!
おばあちゃんはよく「子供は風の子だ。外で遊ぶのが一番良い。」と言っていた。そして、「沢山食べないと大きくなれないぞ。」とも。
私は今までベッドの中で過ごすのを主としていたのを、出来るだけ外に出るようにした。手始めに朝と夕方に屋敷の周りをぐるっと散歩することを自分に義務付けた。
お父様もオルカも無理だと私を止めたが、どうしても歩けなくなった時は騎士に運んでもらうから、と約束し、申し訳ないとは思ったが、毎回騎士を連れて、それを実行した。
最初はかなり辛かったが、慣れてくるとどんどんと歩くのが楽しくなって来た。半年もすると、屋敷の周りを軽く走れるようにまでなった。
それに伴ってか、最初は無理をしてお腹に詰め込んでいた食事も、運動するとお腹が空くようで、食べれる量が増えた。今までそれぞれを一口食べて終わりとしていた食事も時々完食出来る様になってきた。
今までは骨が浮いていた身体もどんどんと肉が付いてきて、顔色も良くなった。
今までとは違い、規則正しい生活リズムを保ち、十分に食事を摂るようになったことで、私は確実に健康になっていった。
そろそろ次のステージに進む時が来た。
私はお父様と向かい合っていた。
「お願いです、お父様!」
「ぜえっったいに駄目だ!」
大抵は私のお願いを聞き入れてくれるお父様も今回ばかりは手強かった。
「お願いです、力が欲しいのです。
最近は体力もついてきましたし。」
私は剣を使えるようになりたかった。
剣を振るうことが出来れば、何かあった時にソフィアを守れる。力をつけておくに越したことはないと考えていた。
「駄目ったら駄目だ!剣を持つということは、アンナが思っている以上に危険なんだ。その綺麗な肌に傷がつくなんて許せん!それに剣を握れば、手にタコもできる。アンナは針でも握って、刺繍をしていろ。」
女は刺繍でもしてろなんて、前世ではそういうの差別なんだぞ!と内心憤りながらも、お父様から目を逸らさずに訴える。
「……私は誇り高きクウェス公爵家の娘です。
手のタコなんて恥ずかしくも何ともありません。寧ろ勲章です!私はお父様のそのゴツゴツした手が大好きです。だって、この国を守るために戦ってきた証ですもの。
まずは木刀で構いません。木刀をしっかり使いこなせるようになったとお父様が判断したら、剣を持たせて下さい。
私もお父様のようになりたいのです。例え騎士にはなれなくとも、大切な人を守る力が欲しいのです。いえ、そんな力もつけられないかもしれません。
でも、お父様が大切にして下さる、この身を守る力が欲しいのです!」
「アンナ…そんな風に思っていたなんて…。」
私はお父様に追い討ちをかける。
「十歳の時に花祭りで私がはぐれて、変な男に絡まれたことをお父様は今でも気にしてらっしゃいますよね?私、思ったんです。私がもっと強くなれば、お父様の心配事を減らせるんじゃないかなって。
私はお父様に安心して欲しいだけなんです。」
潤んだ瞳でお父様を見つめれば、お父様の目にも涙が浮かぶ。
「そんな…俺のためだって言うのか…。」
私は肯定も否定もせず、お父様を見つめて、微笑んだ。
お父様はぐっと唇を噛み締めた後に私に告げた。
「習うことを許そう。」
「やったぁ!!お父様、大好き!!」
お父様はおばあちゃんに比べるとずっとチョロい。
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