第133話 女子竹槍攻撃隊
えいえいおう、えいえいおうと声をあげながら、私たちは竹槍を突く訓練をつづけています。
約2メートルほどの長さの竹槍をひたすら前へ振り出していると、握力と腕力がなくなってきます。とてもつらい。
訓練後、私たちは山腹に掘ったトンネル内で休憩します。
「竹槍で米軍相手になにができるというのでしょうか」と私が弱音を吐くと、かぐやさんに叱られました。
「みきさん、大和撫子たる者、けっしてあきらめてはなりません。なにがなんでも日本を守り抜くという強い意志を持って戦い抜くのです。私はアメリカの兵士のひとりと相討ちしてみせる所存です」
かぐやさんの目は彼女のことばどおり強い意志であふれていました。
美しいかぐやさんとともに戦って死のう、と私は思いました。
「ごめんなさい、かぐやさん。私はもう弱音なんか吐かないわ」
彼女はにっこりと微笑んで、「さあ、ごはんを食べて、休憩しましょう。午後もまた訓練よ」と言いました。
私たちは握り飯をひとつずつ食べました。
小さなおむすびですが、貴重なお米。よく噛んで食べました。疲れたからだに、塩味が沁みるように美味しい。
1945年秋、大日本帝国軍は米軍の大攻勢を受けて山間に退き、本土ゲリラ決戦を敢行していました。
同年8月6日、米軍は広島に原子爆弾を投下しました。
その後、長崎、横浜、新潟、神戸、仙台、東京、山口、札幌、大阪、横須賀、京都、名古屋、高松、佐世保、大宮などにも原爆が投下され、日本は息の根を止められたかに見えました。
でも、無条件降伏などとうてい受け入れられるものではありません。
私たちは日本人総玉砕の覚悟を持って山野に籠もり、本州、九州、四国、北海道に上陸作戦を開始した米軍を迎え撃ったのです。
秩父女学校に通っていた私は、秩父女子竹槍攻撃隊の一員となって、武甲山中に住み、特訓の日々を送っています。米国陸軍が秩父に進行してきたら、山に誘い込み、白兵戦でひと泡吹かせてやろうと思っています。
えいえいおう、えいえいおうのかけ声とともに特訓を行う私たち。
武甲山中腹の疎林が訓練場です。
ぽつり、と秋雨が降り出し、教官となってくださっているもみじ先生が「今日はここまでね。本降りになる前にトンネルに戻りましょう」と言いました。
私たちは竹槍を持って、トンネルに帰ろうとしました。
しかし、さやかさんがうずくまって、動こうとしません。
みんなの先頭に立って歩いていたかぐやさんも、さやかさんの異変に気づきました。
「どうしたの、さやかさん」
彼女はさやかさんにかけ寄って、声をかけました。私も走って、さやかさんの前へ行きました。
「無駄な努力はもう嫌……」とさやかさんが聞き取れないほどの小さな声を出しました。
「無駄な努力なんかじゃありません。がんばって、非人道的な米軍に目にもの見せてやりましょう」
さやかさんは顔をあげ、かぐやさんを睨みました。
「その非人道的なところがアメリカ軍の強さなのよ。原子爆弾を落としつづけて、日本人を大量に殺している。この秩父にだって原爆が投下されるかもしれない。そうなったらもうおしまいよ。武甲山も放射能にまみれて、住めなくなってしまうわ」
雨がざあざあと降り始めて、私たち全員を濡らしていました。
「竹槍なんかで、米軍に対抗することはできないわ……」
さやかさんの頬を濡らしているのが雨なのか涙なのか、私にはわかりませんでした。
突然、かぐやさんが目を赤くしているさやかさんを抱きしめました。
「そうね。でも、私たちにできることはこれしかないの。貴重な銃は正規兵の方々に使っていただくしかない。私たちは竹槍と大和魂で戦うしかないのよ。私にできることは一緒に死んであげることだけしかないけれど、それだけではだめかしら」
さやかさんはかぐやさんに抱かれてとまどっていましたが、やがて力強く抱きしめ返しました。
「ごめんなさい、かぐやさん。わたくしがまちがっていたわ。お国を守る努力を無駄だなんて、もう二度と言わないわ」
55人いる隊員が全員、泣きながらうなずいていました。
こんなふうにかぐやさんを精神的支柱として、秩父女子竹槍攻撃隊はまとまっていたのです。
ある夜のことでした。
私はさやかさんの大きないびきで眠ることができず、やれやれと思っていました。
そのとき、隣で布団にくるまっていたかぐやさんが起き出しました。
最初は厠へ行くのだろうと思いましたが、彼女は竹槍を持ってトンネルを出て行ったのです。
私は首をかしげ、あとをつけました。
かぐやさんはトンネルの出口付近にもうけられている厠を素通りしました。
空には満月が光っていました。
月明かりを頼りに、私はかぐやさんを追いました。
彼女は訓練場に行き、竹槍を高く掲げ持ちました。
こんな夜中になにをしているのだろう。
私はかぐやさんに声をかけようとしましたが、彼女の真剣な面持ちに気づいて、ことばを出すことができませんでした。
木陰からじっとかぐやさんを見つめました。
かぐやさんが竹槍から手を離しました。
しかし、不思議なことに竹槍は地面に落下せず、空中に浮かんでいるのです。
「えいっ」とかぐやさんが気迫を込めて叫ぶと、竹槍はものすごい勢いで宙を飛び、大木に突き刺さりました。
「やったわ、初めて突き刺さったわ」と彼女が歓声をあげました。
私はびっくりして、かぐやさんにかけ寄りました。
「かぐやさん、いまのはなんなの。竹槍を投げたようには見えなかったけれど」
彼女はいつものように力強い目で私を見つめました。
「見てしまったのね、みきさん」
「見たわ。竹槍が空中に浮かび、不思議な飛び方をしたところを。なにが起こったのかわからないわ」
かぐやさんは言いました。
「みんなを怖がらせると思って秘密にしていたのだけど……」
私はごくりとつばを飲みました。
「念動力を使ったのよ。実は私は超能力者なの。ときどき夜に秘密の特訓をしているの」
「かぐやさんが超能力者だったなんて」
私は驚きましたが、怖がるどころか、千人もの力強い味方を得た思いがしました。
「怖がるなんてとんでもないわ。すごい、本当に米軍に目にもの見せられるかもしれないわ」
かぐやさんは首を振りました。
「わたしの念動力はせいぜい竹槍を飛ばすくらいしかできない。機関銃を撃たれては、どうしようもない。みきさんやさやかさんが言うとおり、竹槍なんかでは、米軍を撃退することはできないわ。悔しいけれど……」
私はかぐやさんの弱音を初めて聞きました。
私は首を振り、彼女の手を握って、「奇襲攻撃をかけましょう」と言いました。
「私たちはゲリラなのよ。山中に隠れて、登ってくる米軍兵士を不思議な力で攻撃しましょう。きっと敵にはなにが起こっているのかわからないはずよ」
「そうね。ひとりと言わず、十人と相討ちになってやるわ」
「相討ちになんてならないで、かぐやさん。真珠湾奇襲のように、勝って帰るのよ」
私はかぐやさんに微笑みかけました。
「ありがとう、みきさん」
そのとき、かぐやさんが私を抱きしめてくれました。
なんて素敵なぬくもりなんだろう。
この人とともに戦って死ぬのだ、と私はまた思いました。
翌朝、私は「念動力のことをみんなにも教えましょう」とかぐやさんに提案しました。
「みんなに怖がられるのが嫌なの。気味が悪いと思われるかもしれないし」
「そんなことはないと思う。みんな、頼もしいと感じるにちがいないわ。隠さなければ、念動力の訓練を昼間にできるし、かぐやさんの能力を使った作戦にみんなの協力を得ることもできるわ」
「私の能力を使った作戦?」
「そうよ。たとえば、かぐやさんに敵の注意を引いてもらって、他の隊員は背後から挟み撃ちにするとか、有効な作戦だと思わない?」
かぐやさんがびっくりしたような顔で私を見ました。
「みきさん、あなた、なかなかの策士ね」
「かぐやさんが超能力を使い、私は頭を使う。秩父女子竹槍攻撃隊は精鋭になるのよ」
「わかったわ、みきさん。私の超能力をみんなにも伝えることにするわ」
その日の訓練中に、かぐやさんは念動力で竹槍を飛ばし、大木の幹に突き刺してみせました。
もみじ先生を含めた隊員たちは、あっけに取られていました。
「私は超能力者なのです。いままで隠していてごめんなさい」と言ったかぐやさんの周りに、みんながわっと歓声をあげて集まりました。
「すごいよ、かぐやさん」
「心強いわ」
「この力で米兵をやっつけてください。もちろん私もお手伝いいたします」
さやかさんはとりわけ大きく喜んでいました。
「かぐやさんは人とはちがうと思っていたわ。わたくし、なにがあってもあなたについていくわ」
「ありがとう、さやかさん」
かぐやさんは涙ぐんでいました。
私はさやかさんとかぐやさんの仲が深まったのを喜びましたが、同時にもやもやするものも感じていました。
これが嫉妬なのかな、と私はぼんやりと思っていました。
「1本の竹槍を飛ばすだけでは、敵を撃退することはできないわ。同時に複数の竹槍を飛ばしたり、連続で攻撃したりできないかしら」
私はかぐやさんに多くを要求しました。彼女に策士と言われて、頭を使おう、と私は決意していたのです。そして、彼女の能力をどのように向上させるべきか考え、提案したのでした。
「わかったわ、訓練してみる」とかぐやさんは答えてくれました。
彼女は3本の竹槍を同時に空中に浮かべ、発射する訓練を始めました。
最初はとぼしい威力しかありませんでしたが、日を追って力強くなっていき、訓練開始から20日ほど経過した11月1日には、3本の竹槍が樹木に突き刺さるほどになりました。
「素晴らしいわ、かぐやさん。戦艦大和の3連装主砲みたいだわ」と私はたたえました。
「大袈裟ねえ、みきさんは。大和は46センチ砲、私のはただの竹槍よ」
「いいえ、かぐやさんは私たちの大和なのよ。希望の星なの」
「その大和も沈没したけれど……」
かぐやさんは陰りのある表情で言いました。
「沈没してもなお、大和は私たち日本国民の誇りだわ。あの美しい戦艦のように、私たちも美しく散りましょう」
「そうね。私が意気消沈していてはいけないわね。がんばるわ、みきさん」
かぐやさんは11月に入ってもなお特訓をつづけ、3本の竹槍を連続して発射しつづける能力を得るようになっていきました。
私は武甲山中の竹林で竹を伐り、ナイフで鋭い切っ先を作り、たくさんの竹槍を作りました。隊員のみんなが竹槍製造を手伝ってくれました。かぐやさんの超能力が冴えわたるのを見て、私たち秩父女子竹槍攻撃隊の士気は高揚していました。
11月中旬、もみじ先生が高熱を発して倒れました。
先生は私たちの教官や指揮官として働き、さらには食糧の調達のために奔走してくれていました。その無理がたたり、身動きすることもできないほど衰弱して、トンネルから出られなくなったのです。
「私はもうだめだわ……」ともみじ先生は言いました。新月の夜のことでした。
「そんな弱音を吐かないでください、先生」とかぐやさんが先生を励ましました。
「ありがとう、かぐやさん。でも、私は夫のもとへ行くわ……」
もみじ先生のご主人は神風特攻隊の隊員で、戦死されていました。
「かぐやさん、秩父女子竹槍攻撃隊の隊長になってください。私の後任はあなたしかいないわ」
「はい。つつしんでお受けいたします」
かぐやさんが泣きながらもみじ先生の手を握って答えました。
先生は微かに笑みを浮かべ、お亡くなりになりました。
翌日、私たちは簡易なお葬式を行い、もみじ先生の亡骸を武甲山頂に埋めました。
山頂で、かぐやさんは隊員を整列させました。
「もみじ先生は秩父女子竹槍攻撃隊のために尽くし、命を失われました。私は先生の遺言に従い、隊長となり、この隊のために尽くすことを誓います。みなさん、私に力を貸してください」
「もちろんよ、かぐやさん」とさやかさんが言いました。隊員たちがうなずきます。
「ありがとう、みなさん」
「かぐやさんをささえる副隊長が必要だと思うの。わたくしを副隊長にしてくださらない、かぐや隊長?」
さやかさんが言ったそのことばに、私は衝撃を受けました。
隊長と副隊長はささえあう関係。その地位にさやかさんがなるのは、なんとなく嫌でした。
かぐやさんはさやかさんを見つめて、うなずきました。
「そうね、副隊長は必要だわ」
「わたくし、命をかけておつかえするわ」
「…………」
かぐやさんはしばらく沈思黙考していました。
「副隊長には、みきさんを指名します」と彼女が言ったとき、私の背筋に甘美な痺れが走りました。
「えっ……」
さやかさんの顔が歪みました。呆然とかぐやさんを見て、それから私を睨みつけました。
「みきさん、受けてくれるわね」
「はい!」と私は答えました。感動して、それ以外にことばを発することができませんでした。
それから、私たちはかぐやさんの指導のもと、訓練をつづけました。
私は米軍が武甲山へ進軍してきたときの迎撃作戦を考え、秩父市に面する北側斜面にコの字型の塹壕を掘ることを隊長に提案しました。
「中央に陣取るのはかぐやさんよ。付近に竹槍300本を集積し、米軍を攻撃してもらいます。敵はかぐやさんを討ち取ろうとするでしょう。あらかじめ隊員をふたつに分けておいて、塹壕の右翼、左翼に配置し、かぐやさんに向かっていく敵を包囲する作戦はいかがですか」
うまくいく自信なんてありませんでしたが、副隊長として懸命に考えた作戦でした。
「素晴らしいわ、みきさん。その作戦を採用します」
「かぐやさんは超能力の行使で手いっぱいになるでしょう。右翼隊と左翼隊の指揮官が必要だわ。決死の竹槍突撃の先頭に立つ人よ」
「右翼隊はみきさんに指揮してもらうわ。左翼隊の隊長は……」
かぐやさんはさやかさんを呼び、作戦を説明しました。そして「さやかさんには左翼隊の指揮をしてもらいたいの」と告げました。
さやかさんは無表情でかぐやさんのことばを聞いていました。副隊長の自薦を断られて以来、さやかさんは拗ねたようになり、ほとんどかぐやさんと話さなくなっていました。しかし、さやかさんは秩父の名家の娘で、彼女以外に適任は考えられなかったのです。
「隊長がそう言うなら、引き受けざるを得ないわ……」とさやかさんは答えました。その目はかぐやさんを見てはいませんでした。
「よろしく頼むわね」とかぐやさんは明るく微笑んで言いました。さやかさんの非協力的な態度が気にならないわけはありませんが、人の上に立つ者として、笑って受け入れていたのだと思います。私たちには人的余裕はなく、あらゆる人を活用する必要があったのです。
私たちは懸命に塹壕を掘り、迎撃作戦の訓練をして、敵の到来を待ちました。
かぐやさんが竹槍を飛ばし、右翼隊が突撃するのに合わせて、左翼隊も突進するという訓練を重ねました。私は真剣でした。軍人でもなく、指導者もいない私たちには、その作戦を洗練させる以外の選択肢はなかったのです。米兵をひとりでも多く殺して玉砕するのだ、と私は思っていました。
米軍が秩父へ進軍してきたのは、落葉樹の葉が散りつくした12月中旬のことでした。
「ついに来たわ。みなさん、塹壕へ入ってください。作戦の成功を信じて、力の限り戦いましょう」とかぐやさんが言いました。
私たちは「えいえいおう!」とおたけびをあげ、配置につきました。
私は右翼隊の一番右側に立ちました。左翼隊の一番左にはさやかさんがつく手筈になっていました。
米軍は500人くらいの大軍のようでした。私たち秩父女子竹槍攻撃隊の総勢はわずか54人。とうていかなわないでしょうが、敵はかぐやさんの念動力を知りません。何十人かの敵兵をあの世への道連れにできるはずだと私は信じていました。
敵兵は武甲山のふもとに進んできました。
「アー、アー、テス、テス」という声が聞こえてきました。拡声器を使っているようです。
「日本人ノミナサン、アナタガタガ山ニ籠ッテイルコトハワカッテイマス。秩父ヘ来ル前ニモ、飯能ノ山々デ、我々ハアナタガタト戦イマシタ。飯能女子竹槍攻撃隊ト名乗ル方々トモ戦闘ニナリマシタ。残念ナガラ、飯能ノ女性兵士タチハ全滅シマシタ。アナタガタガ敵対スルカラ、我々モ武器ヲ使ワザルヲ得ナイノデス」
拡声器から、外国人特有のイントネーションで語りかけてくる声が聞こえました。
飯能女子竹槍攻撃隊が全滅したと聞いても、私は怯みませんでした。勇敢なあなたたちにつづくわ、と思ったほどです。
「我々ハ民間人ヲ攻撃シタクハナイノデス。オトナシク降伏シテクダサイ。1時間待チマス。武器ヲ捨テテ下山スレバ、安全ナ収容所ニ移送シテアゲマス。下山シテコナケレバ、敵対ノ意志アリトミナシテ攻撃シマス」
原子爆弾を何発も落としておいて、民間人を攻撃したくないなどちゃんちゃらおかしい、と私は思いました。
お国が危急存亡の危地に立たされているのです。軍人であろうと民間人であろうと戦うしかないではありませんか。それが戦争というものです。
誇り高い秩父女子竹槍攻撃隊の大和撫子たちは、静かに1時間待ちました。誰も無駄口を叩きませんでした。
やがて戦闘のときが来ました。いや、戦闘とは言えないかもしれません。
虐殺のときと言うべきでしょうか。
敵はたくさんの火炎放射器を使って攻撃してきたのです。冬枯れの樹々を焼きながら、米軍は少しずつ登ってきました。
もちろん銃撃もありました。機関銃の銃弾が山腹にばらまかれました。
私はこの期に及んでようやく、自分の作戦の甘さに気づいたのです。米軍の正規兵に竹槍で挑むなど正気の沙汰ではない。かぐやさんの超能力をもってしても、敵兵をせいぜい一桁殺せるかどうかでしょう。
しかし私たちはなおも竹槍を握りしめ、沈黙と秩序を守っていました。
せめてひと太刀あびせてやりたい。私はそんな思考に凝り固まっていました。
米兵が百人ほど、塹壕の前にやってきました。火炎放射器が火を噴き、山を焼き、私は熱気を浴びて額から汗を流しました。
「えいっ」というかけ声が聞こえ、かぐやさんの反撃が始まりました。
竹槍がびゅんと飛び、まったく減速することなく、米兵たちに届きました。
何人かの敵兵が倒れました。
かぐやさんは敵にひと泡吹かせることに成功したのです。
念動力による竹槍発射攻撃はつづきました。
しかし、もうそれ以上敵を倒すことはできませんでした。警戒した敵兵たちは樹々の後ろに隠れ、銃弾の雨をかぐやさんのいるあたりに降らせました。
かぐやさんは竹槍を飛ばしつづけましたが、戦果はあげられません。竹槍の総数は300本。それが尽きたら、もう攻撃はできません。
いまこそ右翼隊が動くときだ。全滅するかもしれないけれど、かぐやさんだけに戦わせているわけにはいかない。
私は塹壕から飛び出し、突撃しようと決意しました。
しかし、そのときに私は信じられないものを見たのです。
左翼で白旗が上がっていました。
白旗は竹槍に結びつけられ、高々と掲げられていました。
その旗を見て、米軍は攻撃を中止しました。
かぐやさんの竹槍攻撃も止まりました。
やがて、秩父女子竹槍攻撃隊員と米兵たちが見守る中、左翼の塹壕から白旗を持ったさやかさんが歩み出てきました。
「降伏します。殺さないでください!」と彼女は大きな声で言いました。
信じられない。
敵前逃亡以上の大罪です。
指揮官の命令もなく、降伏したのです。
「塹壕に戻って、さやかさん! 私たちは降伏なんかしないわ!」と私は叫びました。
「無駄な努力はもうまっぴらよ……」とさやかさんは静かに告げました。
「かぐやさん、降伏しましょう。このまま戦いつづけては、全滅するだけだわ。あなたには戦うだけでなく、わたくしたちの命を守る責任もあるはずよ」
武甲山が静まりかえりました。
かぐやさんが両手を上げ、塹壕から出ました。その顔は超能力を振り絞ったせいで生気がなく、彼女は消耗しきってよろけながら米軍に向かって歩いていきました。
「さやかさんの言うとおりだわ……。火炎放射器と機関銃にはかなわない……。みなさん、生きて日本の子どもを生みましょう。これから、つらく苦しいときを過ごすことになるかもしれない。でも、私たちには女の戦い方がある。辛酸をなめてでも生き延びて、日本人の血を未来に残すのよ……」
私は日本の子どもなど生みたくありませんでした。
かぐやさんとともに死にたかった。
でも、その夢はかなわなかったのです。
1946年冬、大日本帝国はポツダム宣言を受諾し、無条件降伏しました。
玉音放送を私は収容所で聴きました。
同じ降伏するなら、なぜもっと早く降伏しておかなかったのだろう、と私は思いました。
たとえば、広島に原爆を落とされた後、さっさと降伏しておけばよかったのです。
あの時点で、日本に勝ち目はないとわかっていたはずです。
あのとき降伏していれば、日本人の半数ものとてつもない人命が失われることはなかった……。
戦後、SF小説というものが流行しました。
その中に偽史SFがあり、降伏派と徹底抗戦派のせめぎあいの末、1945年8月15日に日本が降伏するという小説がありました。
1970年にそれを読んで、儚い夢物語だ、と私は思いました。
「ねえ、そう思わない、かぐや?」
「そうね、そういう歴史がもしあったとすれば、その世界線に生きている人たちはとてもしあわせだと思うわ。私たちが実際に生きているこの世界でも、あり得たかもしれないその世界でも、二度と戦争をしないことだけをこいねがうわ」
私たちは日本の子どもを生まず、女ふたりで生きていく道を選んでいました。
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