第119話 世界樹の影

 トキは世界樹の下で生まれ育った。世界樹の麓は広大な墓地で、土葬場だった。トキの父ゼンは世界樹守せかいじゅもりであり、墓の管理人でもあった。墓から霊力と栄養を吸収して、世界樹は生長しつづけていた。その高さは世界最高峰リマを超えていた。

 トキが十四歳のとき、国王テナが死に、息子のリグが跡を継いだ。リグ王は世界樹の影が王宮を覆っているのが気に入らなかった。王の使者がゼンのもとを訪れ、巨斧デロを渡し、世界樹を切り倒すよう命じた。

「バッカじゃないの。世界樹は王朝が生まれる前から世界樹なのよ。切るなんてだめに決まってる」とトキはつぶやいた。

 王の使者は馬上から降りて剣をトキの首に突きつけた。

「聞こえたぞ。王の命に反するものは国家反逆罪で死刑だ」

「世界樹の太さは人間百人の輪に匹敵します。私の一生をかけても切り倒すのはむずかしい」

 ゼンはトキをかばって言った。

「ゼンが切れなければ、トキが切れ。トキが切れなければ、その子供が切れ」

 猿と栗鼠と豹が世界樹の枝からブーイングをした。使者はためらわずに矢を放ち、猿と豹を射殺した。栗鼠には当たらず、洞に逃げた。

 使者はゼンの妻を人質にして王宮に帰還した。使者とゼンの妻の名は記録に残っていない。

 その日からゼンは巨斧をふるって世界樹を切りつづけた。猿と栗鼠と豹たちがブーイングをしたが、妻を愛していたゼンは無視した。

「トキよ、おまえには苦労をかけん。死ぬまでに私が切り倒そう」

 ゼンは筋骨隆々とした巨漢だった。

「無理よ。世界樹は太過ぎる」

 トキはクリッとした目で世界樹を見上げた。彼女は拳を握り、肘を曲げて、腕に力を込めた。その力こぶは小さかった。

 ゼンが晴れの日も雨の日も風の日も嵐の日も平日も休日も祝日も切りつづけても、切り痕は深くならなかった。一年経ってやっと表皮がなくなっただけだった。

 働くゼンの横で、トキは筋トレをはじめた。毎日腕立て伏せを三千回、腹筋を三千回、スクワットを三千回やった。その力こぶはめきめきと太くなり、三年でトキの筋肉は王国の女性最強になった。

 巨斧デロをふるうゼンの腕ももちろん太く、胴体の半分ほどの太さだったと言われている。世界樹の切り痕は少しずつ深くなっていった。しかし高山リマよりも高い巨樹はびくともせずに聳え立っている。猿と栗鼠と豹はブーイングに飽きて、樹の枝でのんびりと暮らしていた。

 世界樹の麓は墓ではなくなっていた。樹の影を嫌う王が墓を移設したのだ。ゼンは斧を巨樹の幹に叩きつけつづけ、トキは筋トレを強化した。毎日腕立て伏せを五千回、腹筋を五千回、スクワットを五千回やるようになった。

 十年が経った。ゼンが力強く斧をふるうと世界樹が震動するようになった。切り痕はしっかりと楔型に刻まれ、刻々と深くなっていった。トキは腕立て伏せを一万回、腹筋を一万回、スクワットを一万回に増やしていた。彼女は二十四歳になった。童顔の美女なのに、世界腕相撲大会で優勝するほどの力持ち。そのギャップが王国民の一部を萌えさせていた。ちなみに準優勝はゼン。トキの腕力は父をも凌駕していたのだ。リグ王は賞品としてトキに巨斧デラを渡した。さして嬉しくもない賞品だった。

「お父さん、わたしも世界樹を切るわ」

 トキは父の横で斧をふるうようになった。彼女がデラを幹に叩きつけると、ドガッと大きな音が響き渡り、樹片が飛び散り、猿と栗鼠と豹は震えあがった。

 ゼンとトキは切り、食べ、寝た。二十年が経って栗鼠が樹から去り、三十年経って猿も去った。豹も一頭また一頭と去っていった。トキは毎日の運動で相変わらずの可愛らしい童顔と健康な肉体を維持していたが、ゼンは老いた。

「私は天国には行けないだろう」と彼は言った。

「そうかもね。わたしも天国には行けそうにない。だって天国は世界樹の上にあるんだから」

 ゼンとトキは天国は世界樹のてっぺんにあるのだと信じていた。そこでは美味しい樹の実がたわわになっていて、墓から霊魂を吸われた人間が復活して永遠のしあわせを享受しているのだ。

「永遠は怖い」とトキはつぶやいた。そして斧をふるった。

 最後の豹が去ったとき、ゼンが死んだ。豹が去り際に喉笛を噛み切ったのだ。トキは斧で獣の胴体をまっぷたつにした。その後も彼女はひとりで樹を切りつづけた。

 無理かと思われた倒樹作業は着実に進行していた。トキは晩婚し、娘ヨミを生んだ。トキの夫の名は記録に残っていない。

 トキは五十七歳で他界した。作業中の落雷による感電死だったと言われている。

 世界樹を切り倒したのはヨミだった。三十四歳のときに達成。

 リグ王はまだ存命していたが、世界樹倒樹の日に死んだ。樹が王宮の上に倒れてきて、壮麗な建物が潰れ、圧死したのだ。享年八十五歳。世界樹を切り倒した王として知られているが、その治世は存外に悪くなかったとされている。リマ教の信者だった。

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