第115話 大雨女

 わたしはただの雨女ではない。大雨女だ。

 子どもの頃はふつうの雨女だった。

 わたしが外出すると、高い確率で雨が降る。天気予報が晴れだったとしても、それを覆して降る。

 幼馴染の紫陽花青あじさいあおくんはわたしとよく一緒に遊んでくれた。公園で、河原で、山の上で、わたしたちはしょっちゅうびしょ濡れになったものだ。

「ごめんね。わたしのせいで、また雨が降っちゃった」

「澪ちゃんのせいじゃないよ。ぼくが雨男なんだ」

 青くんは雨に濡れても笑っている。わたしは申し訳なくて泣きそうになる。彼は雨男じゃない。わたしが雨女なのだ。青くんがいなくてもわたしは雨を呼び寄せる。家族と出かけても、高確率で雨が降る。

 わたしの名前は笠木澪かさぎみお。雨女の澪として名を馳せていた。嫌な馳せ方だ。

 小学校の遠足のとき、運動会のとき、雨が降った。わたしは「笠木のせいだ」とか「あーあ、楽しみにしてたのに。雨女の澪が同じクラスにいるから」とか言われた。激しくいじめられた時期もある。

 そんなときも青くんは「ごめんね、僕が雨男なんだよ」とかばってくれた。彼はかわいらしい顔立ちの男の子で、性格もよくて、人気があった。女の子たちは彼がわたしにやさしいので、不機嫌になったり、嫉妬したりしていたようだ。わたしは校内で水をかけられたり、背後から服の中に氷を入れられたりした。

 高校生の頃、わたしの雨女ぶりは悪化していた。大雨やゲリラ豪雨を招く女になっていた。青くんは同じ高校にいて、変わらずにそばにいてくれた。

「わたしは大雨女だよ。一緒にいると損をするよ」

「ぼくが大雨男なんだよ」

「そんなことない。わたしが悪いんだ」

「もし澪ちゃんが雨女だとしても、きみはなにも悪くない」

 青くんはわたしと一緒に濡れてくれる。傘が役に立たないほどのゲリラ豪雨の中でも笑っている。わたしはあり得ないほどの大雨女で、彼はもっとあり得ないほどやさしい男の子だ。

 わたしは大雨女だが、自然が好きだった。山や川や森や空が好きだ。青くんもアウトドアが好きで、大学生のとき、ふたりで高原へ出かけた。彼は運転免許を取っていて、レンタカーを借りて連れていってくれたのだ。

「どうせ雨になるよ」

「雨の高原もきれいだよ」

 雨の高原はがっかりだよ、とわたしは思う。

 朝に近海で唐突に巨大な台風が発生し、昼には激しい雨と風と雷を高原にもたらした。それはまれに見るほどのスーパーな台風で、樹々の枝が折れ、山道は川になり、ところどころで崖が崩落した。

 わたしは身の危険を感じた。車を運転するのは危険なほどの暴風が吹いている。

「この台風はぼくが呼んだんだ」

「嘘。わたしのせいだよ」

 わたしたちは車の中に避難し、台風が過ぎるのを待った。

「青くんはどうしてそんなにやさしいの」

「ぼくはやさしくなんてない」

「どうしてわたしなんかと一緒にいてくれるの」

「好きだからだよ」

 そのとき、わたしたちが乗っていた車に雷が落ちた。衝撃で車が地面からふっと浮き上がったが、ふたりとも無事だった。

 夕方には雨がやみ、青くんは車を運転して帰路につき、事故もなくレンタカーを返却した。

 わたしの心は夢うつつだった。雷は本当に落ちたのだろうか。あれはわたしの心臓に落ちた幻ではなかったか。

 青くんは実在の人物なのだろうか。

 こんなにわたしに都合のいい人がいていいのだろうか。

 彼は大雨女にとっての唯一の救いだった。

 大人になり、わたしと彼は一緒に暮らすようになった。

 わたしたちが30歳を過ぎた頃、もうわたしは大雨女とは呼ばれなくなった。地球の気候は大きく変動し、スーパー台風が年中吹き荒れるようになって、個人を攻撃してあざ笑っていられるような事態ではなくなったのだ。

「こうなったのは、わたしの責任かも」

「ぼくの責任だよ。ぼくはスーパー台風男だ。きみは気に病まなくていい」

 彼の笑顔は少年の頃と変わらない。

 地球がどんなに荒れ狂っても、わたしは平気だ。

 わたしはわたしたちの赤ちゃんを抱いて、猛烈な台風が過ぎるのを待っていた。

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