第101話 最後の図書館
図書館の書架はがらんとしていた。残っている本の多くがボロボロで、紙は茶色く変色している。古い紙やインクの粒子が空気中に漂い、匂っている。私はこの匂いが好きだが、多くの人は異臭と感じることだろう。
今日、日本で最後に残ったこの図書館は閉鎖され、私は失業する。図書館司書の資格には、もうなんの価値もない。
電子書籍が発明され、図書館は紙の本と電子書籍の両方を扱うようになった。当初、電子はすぐに紙を駆逐すると考えられていたが、意外にも紙の本を愛好する人は多く、相当な期間、紙の本は生き残った。紙には確かな手触りがあり、匂いがあり、目にやさしかった。私は紙の本を偏愛していた。
しかし、脳内デバイスが誕生し、頭の中だけで読書ができるようになって、ついに紙の本の価値は暴落した。脳内デバイスは登場した当初、一部の上流階級だけのものだったが、すぐに価格は低廉化し、小型化され、かつてのスマートフォンのように普及した。
読書には紙も体外デバイスも必要なくなった。紙の本を読むのは、一部の好事家だけの特殊な趣味になってしまった。
かくして、紙の本を所蔵する大きな箱物、図書館を税金で運営する意味は失われた。各地で閉鎖され、かつて日本一の図書館の街宣言を行った私が勤めている自治体でも、最後に残った図書館を閉鎖することになった。
私は仕事を辞める。
役所の別の部署への人事異動を勧められたが、図書館司書の仕事に魂を捧げてきた私には、そんな気力は残っていなかった。いまは抜け殻のようになっている。
日本で最後の図書館の閉鎖はひとつの時代の終焉として大きなニュースになり、盛大な式典が行われて、大勢のマスコミ関係者などが押し寄せた。その式典も終わり、集まった人々は引き潮のように去った。
そして、がらんとした図書館と数人の職員だけが残された。
「廃墟のようだね。いや、この建物は使命を終え、いま廃墟になったんだね」と図書館長が言った。
「記念建造物として残してもらえればいいんですが」
「この建物は来年度に取り壊し、土地は脳内デバイス運営会社に売却されることになっているんだ」
時代の趨勢。万物は流転する。私が愛した図書館は消失し、隆盛を極めるデバイス会社に奪われるのだ。その会社だって、さらなる時代の変化によって、いずれは消え去ることになるのだろう。
「さあ、図書館を閉めて帰ろう」
館長にうながされ、時代遅れの図書館で先達の知恵や古いマニュアルを学びながら懸命に働いていた職員たちは外に出た。私は立ち並ぶ書架を名残惜しく見つめていたが、目を逸らして職員通用口から出た。
館長が鍵をかけた。
「みんな、どうもありがとう。お疲れさまでした」
館長と同僚たちは帰った。
私ひとり立ち去りがたく、図書館を見上げていた。空は普段よりひときわ赤い夕焼けだった。
明日からどうすればいいんだろう……。私はバカだ。辞職することはなかったといまさらながら悔やむが、もうどうにもならない。図書館司書以外になにもできないポンコツ……。
私には高級品になった紙の本を買う財力はない。個人的な読書は脳内デバイスで行っている。
日が完全に暮れ、私はついに帰路についた。電脳が管理するデータライブラリから借りた読みかけの本を脳内デバイスで再生しながら……。
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