第85話 三顧の礼オトメチック孔明

 はわわわわ、劉備玄徳様が我が家を訪れた。

 わたしは縁側で昼寝をしていたのだけど、目は覚めていた。寝たふりをしながら、玄徳様のお声を聞いていた。

「諸葛亮はいま眠っております。起こして参りましょう」と家人が言う。

「けっこうです。私はここで待たせてもらいます」

 よく通る美声。

 憧れの玄徳様が門の前でわたしが目覚めるのを待っている。

 飛び起きてお話ししたいけれど、簡単に落ちる男だとは思われたくなーい。

 お供の関羽と張飛がわたしのことを何様だと怒ってぷりぷりしているけれど、玄徳様は礼儀正しく立っているようだ。

「諸葛亮殿は伏龍である。礼を尽くさねばならん。怒ってはいかんぞ」

 ひゃーん、やさしい、劉備玄徳様!

 でも、寝たふり、寝たふり。

 今日は会ってあげないよー。

 夕刻になり、「今日は縁がなかったようだ。また来よう」と言って、玄徳様は帰っていった。

 ひーっ、これでよかったのだろうか。

 また来るって言ってたけれど、本当に来てくれるかな。

 心配だよー。

 心配心配心配心配。


 ずっと心配していたけれど、また来てくださった。

 わたしはまた寝たふりをしていた。

 うれしい。再度来てくださった。今日はお会いしようかな。

 でも、わたしのことを本当に必要としているのだったら、三回くらいは訪れてくださるよね。

 今日も焦らしちゃおう。

「起こしましょうか」

「けっこうです。諸葛亮殿の邪魔をしたくない。ここで待ちます」

 わーい、わたしを尊重してくれているよお。

「兄者、この諸葛亮という者、化けの皮がはがれるのを怖れて、会うのを避けているのではないでしょうか」

 ふーんだ、わたしが偉くなったら、関羽なんか玄徳様から引き離して、左遷してやるんだから。(後に関羽は荊州へ赴任する)

「兄貴、おれが諸葛なんとかを叩き起こしてやるよ」

 暴れん坊の張飛なんか、前線の隊長しか務まらないよーだ。

「ふたりとも、礼を欠くようなら、帰っておれ」

 玄徳様は毅然とされている。格好いい。惚れそう。

 関羽と張飛は仕方なく突っ立っている。ざまあ。

 ああ、玄徳様とお話ししたーい。

 でももう少し焦らしたいな。

 寝たふり、寝たふり。

「今日も縁がなかったようだ。また来よう」

 玄徳様はお帰りになった。さびしいよー。

 また来てくださいね。きっとですよ。

 ああ、皇帝の叔父たる劉備玄徳様が、田舎の青二才であるわたしなんかを本当に三回も訪問してくださるのだろうか。

 心配心配心配心配心配心配心配心配。


 でも、三度来てくださった。

 今日はお会いすると決めているけれど、もう少しだけ焦らしたい。

 寝たふり。

「起こしましょうか」

「けっこうです。待ちますから」

 玄徳様のお声は悠然としている。度量の広さがうかがわれる。格好いい。

「兄者、諸葛亮という者にこれ以上時間を割く必要はありますまい。我が陣営には十分に人がおります。拙者が文武を兼ねることができます」

 バーカバーカ、関羽がたいしたことないから、玄徳様が窮状に陥っているんだよお。

「兄貴、めんどくせえから、諸葛なんとかを縛って連行しよう」

 張飛のアホ。おまえは黙ってて。

「ふたりとも黙っておれ。我が軍師を迎えるのだ。三顧の礼など当然のこと」

 きゃいーん、我が軍師だって、三顧の礼だって! もう我慢できない。

 わたしは起きあがった。

「なにやら表が騒がしいようですね」

 努めて静かに家人に問うた。

「劉備玄徳様がおいでになっています」

「お会いしましょう」

 家人が門へ行った。

「諸葛亮がお会いすると申しております。どうぞ中へ」

「痛み入ります」

 玄徳様につづいて、関羽と張飛も門をくぐろうとした。おまえたちはいらない。

「おまえたちはここで待っておれ」と玄徳様は命じられた。

 やったー、玄徳様と気が合う!

 関羽と張飛は不服そうだ。ざまあ。

 わたしは玄徳様と対面した。

 ドキドキするけど、平静を装う。

「初めまして、劉備玄徳と申します」

「諸葛亮孔明です」

「高明な諸葛亮殿とお会いできて光栄です」とおっしゃって、なんの実績もないわたしに頭を下げてくださった。うわあ、慎み深いお方!

「わたしの名など友人が知っている程度。国中に知られている劉備様とは比べるべくもない小人しょうじんです」ツンと澄ましてわたしは言う。「何かご用ですか?」

「天下のことを語り合いたい」

 ひゃあ、格好いい。

「天下のことなど、わたしに語れましょうか」

「聞いてください。戦乱がつづき、民が苦しむこの国を私は救いたい。奸雄の曹操などに国をゆだねたくないのです。私に道を示してください。諸葛亮殿を王佐の才と見込んでお願い申し上げる」

 王佐の才と言ってくださった。

「劉備様は王ではないではありませんか」

 わたしは意地悪を言ってしまう。玄徳様が王の器であると知っているのに。

「いまはそうだが、いずれは王になりたいと思っています。私を補佐していただきたいのです」

 おまかせあれ。でもちょっと焦らしちゃう。

「天下は魏と呉に二分されています。劉備様が王となる余地がありましょうか」

「ああ、ときはすでに去ったのでしょうか」

 玄徳様の憂い顔が美しい。

「劉備様は究極的には何をお望みですか?」

「地に平和を。私が望むのはそれだけです」

「劉備様が王となって平和をもたらすためには、これから多くの血が流れなくてはなりません。その覚悟はおありですか?」

「むろん覚悟しています」

 きりっとしたお顔が超絶格好いい。

 わたしは天下三分の計を伝えた。

 玄徳様のまなこが見開かれた。やっほう、刺さったな。

「晴れやかです。目の前が広がったようだ。諸葛亮殿、我が軍師となってください」

 やったー、引き受けます!

「いや、わたしはここで晴耕雨読していたいのです」

 わたしの口は裏腹だ。

「重ねてお願いする。軍師となり、私を助けてください」

 しようがないなあ。そんなに言うなら、助けてあ、げ、る。

「玄徳様、とお呼びしていいですか?」

「ん? かまいませんが」

「わたしのことは孔明、とお呼びください」

「孔明殿」

「孔明ですう」

「孔明、軍師となってくれ」

「はい、喜んで!」

 わたしは玄徳様に抱きつかんばかりに接近して言った。「近い近い」と言われたけれど、かまうものか。尽くしますからね。

 わたしは玄徳様にぴったりと寄り添って、門を出た。

 関羽と張飛が驚いてわたしを見ている。

「孔明は我が軍師となった。私は水を得た魚だ。天下へ泳ぎ出そう。関羽、張飛、今後は孔明の言葉を我が言葉と思うように」

 玄徳様の義兄弟の顔が苦り切っている。ざまあ。

 わたしは玄徳様の後ろに騎乗し、広い背中に抱きついた。

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