第53話 宇宙人図鑑

 僕はイラストレーターだ。

 美術大学を卒業し、スーパーリアリズムの油絵を描いていたのだが、まったく売れなかった。25歳のときに美大の先輩が出版社に推薦してくれて、植物図鑑のイラストを描いた。僕の絵がお金になったのはそれが初めてで、同時に実物以上に実物らしいなどと評価されて、出世作になった。

 魚貝図鑑、恐竜図鑑などの仕事が舞い込んで、僕は精魂込めて描き続けた。

 28歳のときに面白そうな依頼が来た。宇宙人図鑑のイラストを描く仕事だ。そのとき地球人は34種の宇宙人と交流していた。地球初の宇宙人図鑑の企画で、ぜひやらせてください、と僕は答えた。 

 出版社はすでに34の宇宙人と交渉を済ませていて、僕はアトリエで描けばいいだけだった。カマキリに似た昆虫型宇宙人や水槽の中にいる鰓を持った宇宙人、もふもふかわいい宇宙人などの緻密な油絵を僕は描いていった。楽しくやりがいのある仕事だった。

 ヤバいと思ったのは、13人めの宇宙人と出会ったときのことだ。キロト星人。目元涼やかで美しい鼻梁、湿った色っぽい唇を持っていて、異様に整った顔立ちをしていた。地球人似だけど、どんな地球人よりも綺麗だった。黒髪は長く艶があった。

 そのキロト星人のモデルは身体のラインが浮き出る黒い革の服を着ていた。スタイルは奇抜でありながら色気があった。胸から腹にかけて6つの釣鐘型の乳房がある。それでいて腰は細くくびれている。僕はその姿を見ただけで勃起してしまった。異星人の性別を見た目だけで判断するのは危険だが、これは女性だろうと思った。もしこんな色っぽい男性がいたら、僕は発狂してしまう。

「よろしくねー。きれいにかいてねー」とモデルは言った。地球のことばを話せる宇宙人だった。

「よろしく。がんばるよ」と僕は答えた。

「わたし、パミラ・バニラ」

「僕は静谷岳。きみは女性だよね?」と念のため確かめた。

「おんなよー。あなたはおとこねー。股間たってるー」

 僕は狼狽して手で隠したが、そうするとますます恥ずかしさがつのった。

 パミラはそんな僕を見てにこっと微笑み、服を脱ぎ始めた。

 裸の精密画を描くのが宇宙人図鑑のコンセプトなので、恥ずかしがっている場合ではないのだが、僕は赤面した。カマキリ型宇宙人などとは色気がまったくちがうので仕方がない。しかしパミラはまったく恥じらいなく大胆に服を脱ぎ散らかして、手を腰に当て、6つの乳房をぐっと前に押し出した。ぷるんと揺れる多乳に異次元の色気を感じた。

 脚も長く美しい。太ももはむっちりしていて、ふくらはぎには適度に筋肉がついている。足首はきゅっと細い。完璧な脚だ、と僕は思った。

「ポーズはこれでいいー?」

「いいよ」と答えるしかなかった。もしもっと挑発的なポーズを取られたら、僕は悩殺されてしまうにちがいなかった。

 僕はキャンバスに鉛筆で下描きをしていった。すばらしいモデルを得たので、かつてなく真剣に描いた。やや下から見上げる色気のある構図にしたかったが、図鑑なので、我慢して真正面から描いた。

「わたしのすがたへんー?」

「いや、変じゃないよ」

「ちきゅうのおんなの乳はふたつだときいたー」

「うん。そうだけど」

「シズタニガクは乳ふたつのおんながすきー?」

「6個も悪くない」

「そうねー。股間たってるもんねー。きゃははは」

 パミラはおしゃべりな宇宙人だった。

「キロトせいのおんな、なぜ乳6つかしりたいー?」

「知りたい」

 僕はパミラの身体の絶妙な曲線を正確無比に描き写そうと努めながら、彼女と会話した。

「わたしたちは多産なのー。6つ子もめずらしくない。だからよー」

「6つ子を産むのは大変そうだね」

 パミラは首を傾げた。

「わたしはまだうんだことないけどー、こどもうむ瞬間、すごい快感らしいよー。イクイクイク絶頂ーってかんじだってー。こどもうむの、せいぶつとしてたいせつなことねー。快感があってとうぜんねー。ちきゅうじんちがうのー?」

 絶頂とか言うな、と僕は思った。

「僕はよく知らないけれど、地球の女性の出産は苦しいらしいよ」

「かわいそー。わたしたちのは失神するほど気持ちいいらしいよー。ちきゅうのおんなかわいそー」

 僕はパミラのそのときの姿が見たくてキロト星の産婦人科医になりたいと一瞬希求し、首をぶるぶると振ってその考えを払った。

 絵を描くんだ。これ以上ないほどのスーパーリアリズムの傑作をパミラで描くんだ。集中しろ、と僕は自分に言い聞かせた。

 3日かけて渾身の下描きを終えた。パミラには毎日12時間もつきあってもらった。そのことを悪いと思い、あやまったけれど、彼女はへいきー、と答えてくれた。

 4日めから油絵具で色を塗り始めた。彼女は色白で、肌はきめ細かく、これまた地球人似でありながら、どんな地球の女よりも美しかった。地球人がキロト星人の劣化コピーなのかもしれないと思ったりした。僕はパミラの美肌を描き写すため極限まで集中力を高めようとしたが、彼女がおしゃべりなので、なかなかむずかしかった。

「わたしきれいかー?」

「ああ、綺麗だよ」

「欲情するかー?」

 パミラはよく僕の劣情を刺激するようなことを言った。

「するよ」

 僕は素直に言った。そう答えている方が絵に集中できた。

「ちきゅうじんとキロトせいじんはこどもつくれるのかなー?」

 こいつ、挑発しているのかと思うこともあったが、彼女は天然のようだった。

「ちきゅうのおとこのこどもでもうむの気持ちいいのかなー。わからんなー。きゃははははー」

 こいつはバカだ、と僕は思った。黙っていたら究極の美人なのに、頭はからっぽだ。

 僕はパミラとおしゃべりしながら絵を描き続けた。毎日懸命に絵筆を動かした。

「ガクこいびといるかー?」

「いないよ」

「わたしもいないー。こいびとほしいねー」

 この天然めー、と僕は思った。正直に言うと、僕はパミラに恋人になってほしかった。しかし彼女が僕に恋愛感情を持っていないのは明らかだった。彼女はキロト星の役人がアトリエにやってきたりすると、恥ずかしがって裸を隠すのだ。僕の前で恥じらいを見せたことは一切ないくせに。僕のことを猿か何かだと思っているのかもしれない。くそっ。

 それでも彼女との会話は楽しかった。彼女を描き、彼女と話すのは至福の体験だった。

「じつはわたしはブスでモテないのだー」

 描き出してから14日め、だいぶ絵が完成に近づいたとき、彼女は言った。

「嘘だろ。パミラは最高に綺麗だよ。それに……色っぽい」

「ちきゅうじんの美的センスはおかしいねー。わたしはモデルにえらばれたときおどろいたー。わたしでいいのかーっておもった」

「きみを選んだ地球人の審美眼はしごく真っ当だよ。パミラはこの上なく美しい」

「ほんとかー。ちきゅうとキロトの美の基準はちがうらしい。わたしはちきゅうにすんだらしあわせかもしれないなー」

「住めばいいのに」

「すめないー。このしごとがおわったら、わたしはお金もらってうちにかえるー。うちはびんぼう。このしごと高給。だからちきゅうにきたー」

「僕がきみにお金を払うよ。だから地球に住まないか?」

 パミラはきょとんと僕を見た。

「もしかして、もしかして、ガクはわたしのことすきかー?」

「好きだ」

 パミラの顔がみるみるうちに赤くなった。両腕で6つの乳房を隠した。豊満な乳房が腕でぎゅっとつぶされて変形し、よけいにエロくなった。僕の股間のものが硬くなった。

「仕事を続けよう」と僕は必死に心を鎮めて言った。

 パミラはまた腰に手を当てるポーズを取ったが、幾分か腰が引けていた。頬はまだ紅潮したままだった。かわいい、と僕は思った。くそう、抱きしめたい。

 それから5日間描き続けて、絵は完成した。

 最後の日々、パミラは妙に無口で、元気がなかった。

 描き終えたとき、あまりに集中を続けていたせいで僕は倒れそうだったが、見納めとばかりに彼女の裸体を目に焼き付けた。美しく、いやらしく、かわいかった。もうこんな蠱惑的な女を見ることはないだろう。

「終わったよ」と僕は言った。

「見せて」とパミラは言い、僕の絵を見た。我ながらうまく描けているという自信がある。図鑑用のイラストだが、スーパーリアリズムのアートの域に達しているかもしれない。

「ありがとう、ガク。たしかにわたしきれいかもしれないー」とパミラは言った。少し目が潤んでいた。

 そして彼女は黒い革の服を着た。艶のあるレザーの服は彼女に似合っている。魅惑的なこの姿も見納めだ。

「ごめんねー。かぞくのために、やはりわたしはかえらなくてはならないのー」

「うん。ありがとう、楽しかったよ、パミラ」

「わたしもたのしかったー。かかれるの気持ちよかったー。かえるのかなしいけど、しかたないのー」

 パミラはアトリエから去った。

 彼女とはその日以来会っていないが、僕のアトリエにはパミラ以上にパミラらしい油絵が残っている。

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