第43話 これは遺書なのかそれともメモなのか

 人生は終わりのある旅だ。

 いつかはわからないが、必ず終わる。

 死が訪れる。

 僕はすぐ目の前にその終点があったのに、気づかなかった。

 僕は遭難した。

 まだ二十六歳だ。

 終わりがあるとわかっていたけれど、それはまだまだ先のことだと思っていた。

 ローカル線の廃線路を歩いていて、トンネルに入った。そのとき大きな地震が起こって、トンネルが崩落した。幸い押しつぶされることはなく、即死はまぬがれたが、前後を壊れたコンクリートと岩石でふさがれた。

 ひとり旅なので、誰も僕がここにいることを知らない。

 水分は水筒に残りわずか。食料はチョコレート一枚だけ。

 これは助からない、と覚悟した。

 生き残るために多少の努力はした。岩石をどかそうとしたが、無理だった。

 こんなところで、人知れず僕の人生は終わるのだ。

 とても暗いが、かすかに明かりがある。

 ホタルか夜光虫みたいな生き物が十匹ぐらいいて、ちらちらと光りながら飛んでいる。

 ちょっと幻想的だ。

 これが僕が今生で見る最後の風景なのだ。

 トンネルの向こうへ行きたかった。

 美しい棚田があると聞いていた。

 トンネルは埋まり、そこへ行くことはもうできない。

 廃線路を長い間歩いていたので、疲れて、のどが渇いている。

 最後の水を飲み、チョコレートを食べた。

 僕は廃墟マニアだった。

 滅びているものに心惹かれていたのだ。

 何度も廃屋や廃村をめざして旅した。

 廃線路のトンネルで死ぬ。

 僕にふさわしい死に場所かな。

 山男が冬山で死ぬように、僕は廃トンネルで死ぬ。

 寒い。

 僕はポケットに手を入れた。

 スマホに触れた。

 もしやと思って見てみたが、圏外だった。

 通信もできない。

 目をつむって、眠った。

 もう起きなくていいと思っていたけど、目が覚めた。

 僕は遺書を書こうと思い立った。

 あなたが読んでいるこれだ。

 スマホのメモ機能を利用して書いている。

 僕には身寄りがない。

 孤児院で育った。

 高校卒業と共にそこを出て、食品工場で働いた。干物を作るのが仕事だった。

 干物なんて大嫌いだ。臭いも見た目も嫌いだ。

 僕はこのトンネルで干物になる。

 少し笑える。いや、笑えないのかな。

 どっちでもいい。

 友だちも恋人もいない。

 僕の死を悲しんでくれるような人はいない。

 だから、この遺書にはあて先はない。

 余震があった。本震並みに大きな揺れで、今度こそ押しつぶされるかと思って怖かった。

 でもこの余震は奇跡で、福音だった。岩石がずれて、棚田のある方向から光が漏れてきた。

 僕はその光に向かっていくことにした。

 もしかしたら干物にならずにすむかもしれない。


 ◇ ◇ ◇


 干物工場で働いていると、終業時にできそこないの干物をもらえることがある。

 旅の翌日から働き、ものすごく腹が減り、社員寮で形の悪い鯵の干物をおかずにご飯を食べている。

 干物なんて大嫌いだが、今日は旨い。

 空腹は最良の調味料だというが、本当だ。

 結局、僕は自力で生還し、棚田を見た。書きかけの遺書は記念のメモになった。

 棚田は田植えをすませたばかりで美しかった。

 しかし死を覚悟したときに見た夜光虫の光の方がより美しかったように思う。

 あれは本当にあった風景なのか、自信がない。

 思い返すと、この世ならざる風景だった。

 ふわりふわりと光が舞っていた。

 幻覚だったのかもしれない。

 棚田のそばに中華料理屋があり、ラーメンを食べた。生を実感する旨さだった。

 干物も悪くない。

 この干物は、社長の娘さんが焼いてくれた。

 奇跡の生還の話をしたら、五歳年下の女の子が興味津々で聞いてくれた。廃墟大好きで、去年軍艦島に行ったのだという。

 奇縁だ。

 女の子と向かい合って寮の食堂で干物を食べている。

 こりもせず、次にどこの廃墟に行くか話している。


 ◇ ◇ ◇


 またしても絶対絶命のピンチに陥った。

 社長の長女と親しくなり、デパートの最上階の天ぷら屋で一緒に食事をしていたとき、火災警報が鳴った。

「五階催事場で火災が発生しました。お客様は係員の誘導に従い、落ち着いて避難してください」と放送が流れた。

 しかし天ぷら屋の店員は係員ではないのか、誘導してくれない。

 五分後、デパートの店員がやってきて、「階下へは降りられません。ヘリコプターで避難しますので、屋上へ上がってください」と誘導された。

 このデパートの屋上はふだんは解放されていない。

 ヘリポートだったのか。

 屋上へ行くと、小型のヘリコプターが待機していた。あとひとりだけ乗れるというので、僕は残り、彼女を乗せた。レディファーストだ。

 火災は激しくなるばかりで、屋上も危険になってきた。煙が激しく、ヘリコプターが着地できない。

 死を覚悟した。

 僕は遺書を書き始めた。

 あなたが読んでいるこの文章だ。

 くそぅ、人生が楽しくなってきたってのに、ここで終わりかよ。

 意識を失うまで書き続けるぞ。

 またあの舞う光が見えた。小さな光がいくつかちらちらとまたたいている。

 やっぱり幻覚だったんだな。

 死にかけると見る風景。あの世の入り口の景色なのかもしれない。

 ヘリコプターが決死の着地を試み、成功した。僕と天ぷら屋の店員とデパートの係員が急いで乗り込んだ。

 僕はまた生き残った。

 社長の娘が僕に飛びついてきた。

 ちょっとしたヒーローの気分で、悪くない。


 ◇ ◇ ◇


 僕は結婚した。

 そして妻とともに生き、年を取って、病気になった。

 医師からは直らない病気だと言われた。

 急なことだが、余命いくばくもないらしい。

 妻にあてて遺書をしたためた。

 照れくさいので、小説の形にした。

 あなたが読んでいるこの物語がそうだ。

 公開しているので、誰でも読める。

 でもあて先はひとりである。

 

 いままでよくしてくれて、ありがとう。

 ぼくはさきにいく、さようなら。

 たのしいことがいっぱいあった、こうかいはない。

 こどもはいなかったけれど、いぬをかったね。

 あのころはよかった、さいこうだった。

 いぬがやんちゃで、こまったね。

 きみがせわをしてくれて、たすかった。

 いぬをみとれて、よかったね。

 しごとはきらいだったけど、ぐちをきいてくれたね。

 きみのおかげで、やめないですんだ。

 きみのごはんが、すきだった。

 いつもおいしかった、ごちそうさま。 

 いままでよくしてくれて、ありがとう。

 ぼくはさきにいく、さようなら。 

 きみはいきられるかぎり、いきてほしい。

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