第36話 二次創作批判者ナナコ

 僕は二次創作漫画を描いている。

 コミケで同人誌を売る。売れ行きはたいてい上々で、三千部が完売する。

 一部五百円で、三千部売れると、売り上げ高は百五十万円。印刷費が二十万円ぐらいだから、純利益は百三十万円だ。

 商業作家よりも効率がいい商売だ。彼らは印税を得る。僕は売り上げ高を得る。出版社も書店も介していないから、中間で誰にも取られることはない。

 同じ大学の同期で、漫画研究会に属しているナナコが僕の漫画のアシスタントをしてくれている。彼女に時給を支払い、コミケ当日の夜に打ち上げでおごる。たいした出費ではない。

「あたしさぁ、二次創作漫画で儲けるのって、犯罪だと思うんだよね」

 僕の漫画の背景を描きながら、彼女が持論を述べ始めた。毎度のことである。僕は何度も彼女にアシスタントをしてもらっているが、徹夜になると、彼女は必ず二次創作漫画を痛烈かつ辛辣に批判し始める。

「キャラクターデザインも設定もすべて原作者から奪ってさぁ、原作では絶対に描けないエッチシーンを描いて、百万円を超えるお金を儲けるって、絶対にだめだよねぇ。エロポエム、もうやめなよこんなの」

 エロポエムというのは、僕のペンネームであり、あだ名でもある。

「僕には原作に対する絶大な愛とリスペクトがあるの。そしてファンが見たくても、原作者様が商業誌では描けないエロを代わって描いているんだ。これは必要な仕事なんだよ」

 僕は苦しい抗弁を試みる。

「でもさぁ、明らかに著作権法違反だよねぇ。犯罪じゃん。通報しようかなぁ」

「それは確かにそうなんだけど、僕たち二次創作作家は原作を盛り上げているんだよ。この作品の世界をより豊かにし、日本の漫画文化を深めているんだ。原作者様はわかっていて見逃してくれているんだよ。中には喜んでくれている先生もいるはずだ」

「喜んでいるわけないじゃん。エロポエムの漫画、ヒロインを凌辱しているよねぇ。原作者が読んだら泣くと思うけど」

「くっ」

 僕は反論できない。

 ナナコは二次創作を描いたことがない。オリジナルの漫画を描いていて、オリジナルしか受け付けない同人誌即売会のコミティアに参加している。売り上げはいつも苦戦していて、百部刷って完売したことがない。印刷費の回収もできなくて、赤字だ。絵は上手だし、なかなか面白い漫画を描くのだが、エロシーンもない同人作家のオリジナル漫画を買ってくれる人は少ない。

 ナナコは恨みがましく僕を見る。

「こんなお手軽な二次創作エロ漫画で何百万円も稼ぐあんたが憎い。年に二回のコミケとその他の同人誌即売会と同人誌書店での委託販売でいったいいくら稼いでいるの? 著作権法違反だけじゃなくて、脱税もしているんじゃないの?」

 僕は税務署への申告をしたことがない。脱税なんだろうなぁ。それを突かれるとさらに痛く、怖い。

 でも著作権法違反の同人誌販売の稼ぎを申告してだいじょうぶなんだろうか。わからない。考えたくない。

「あんたさぁ、明らかにふつうの会社の新入社員の年収より稼いでいるでしょ。コミケで売り子をしているんだから、わかっているのよ。エロポエムが半端なく儲けてるってこと。千円札が瞬く間に積みあがる」

 ナナコはふだんはこんなに僕を攻撃しない。とてもかわいい子で、実は僕の恋人だ。でも徹夜で漫画の手伝いをしていて、気が立ってくると、二次創作と僕の批判を口にする。

「コピー誌とか作ってさぁ、原作大好きなんです、儲けなんてないけど、原作愛を誰かと共有したいんですっていうような二次創作作家はまだ許せるのよ。でもあんたみたいにアニメ化されて人気のある漫画を、愛もないのに二次創作しているやつは許せないのよね」

「いや、愛はあるよ。作家と作品へのリスペクトもある」

「この『あひぃ、触手らめぇ』という台詞からは愛もリスペクトも感じられないわ。原作には触手なんてどこにも出てこないわよ。エロポエム死ね!」

「もういい。今日は帰ってくれ!」

 たまらず、僕はナナコを追い出そうとした。

「終電とっくに出てる。タクシー代出して!」

 ふぅ。僕はため息をついた。

「ナナコの言うとおりかもしれない。愛とリスペクトはあるんだけど、読者には感じてもらえないかもしれない。きみの主張を全面的に認める。でも僕はコミケに受かっているし、この漫画を落とすつもりはないんだ。たぶん、誰からも訴えられることはない。きみが訴えなければね。時給を二割増しにしよう。明日の夜には描きあがっているだろうから、打ち上げで焼き肉をごちそうする。だから目をつぶってくれ」

「和牛のカルビをたらふく食べさせてくれる?」

「和牛のタン塩もつけるよ」

 ナナコは黙って背景描きを再開した。僕より絵が上手だ。辛辣な二次創作批判さえしなければ、彼女は最高のアシスタントなんだけどなぁ。

 僕は強力に眠気を吹き飛ばしてくれる栄養ドリンクを飲んで、大好きな女性キャラクターのエロシーンを描き続けた。


 

あとがき:著作権侵害は、原作者が訴えたときに成立する親告罪だそうです。だから、ナナコはエロポエムの著作権法違反を訴えることはできません。

 日本の同人誌文化はグレーゾーンで花を咲かせています。僕はその文化を豊かなものだと感じていますが、危ういのも事実でしょう。ほとんどの同人作家は原作者をリスペクトし、社会から嫌がられないように配慮していると僕は思っています。

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