スマートフォンから始まる恋

時津彼方

本編

 俺には、彼女がいる。

 スマホを通じてしか、話したことないけど。


 この言葉だけ聞くと、俺の彼女は端末上―――バーチャル空間にしか存在しない、いわば二次元彼女と思う人がいるかもしれない。しかし、俺の彼女は、現実世界に存在する。現に今も前の席で―――。


「すぅ…………」


 眠っている。

 予鈴のチャイムが鳴り、クラスがあわただしくなる。

 そしてその喧騒が落ち着いたとき、俺は彼女の肩をたたく。


「……ん」


 彼女はむくりと体を起こして、教室を出て行った。


「こんなので大丈夫なのかな」


「な。お前ら本当に付き合ってんのか? 何回もした質問だけど」


 幼馴染の柳井やないが、教室の鍵を閉めて、こちらによこす。今日は二人で日直だ。


「一応な。昨日も話したし」


「チャットでだろ?」


「ああ。どうしたらいいんだか」


 俺と彼女の仲は、一か月前に遡る。



*****



 クラスメイトに実行委員会や部活の展示担当が多く、皆終礼には参加せずに各々の持ち場で最終ミーティングを行っているため、文化祭の後片付けが終わるころ、俺達の教室は閑散としていた。

 適当な終礼が行われた後、何にも属していなかった人達は、颯爽と姿を消していった。俺もすぐに帰って疲れをいやそうと、重い腰を上げたところ、リュックサックを後ろから弱く引っ張られた。


「……」


 手の主は、クラスメイトの一人である、十河そごうさんだった。普段から寡黙な彼女が、自分から話しかけている様子を見なかったため、少し驚いた。


「どうかした?」


 俺は子猫を手招きする時のように、彼女に語りかける。


「……」


 彼女は沈黙を続けたまま、カバンの中をごそごそと探り、スマートフォンを取り出した。


「……」


 彼女が見せたスマホの画面には、QRコードが映っていた。

 俺はなんとなく、それをスマホで読み取る。すると、俺のスマホの画面に丸くデフォルメされた白熊が、『友だち登録』のボタンの上でこちらを眺めていた。彼女の方を見ると、慌てて目をそらしたようで、真意はわからなかった。が、俺がこれを断る意味はない。

 俺は画面に指を押し、彼女にそれを見せた。


「……!」


 彼女は目を見開き、少しお辞儀をして俺の横を走っていった。

 俺はよくわからず、彼女が髪を揺らしながら教室を去るのを眺めるしかなかった。


***


 その日の晩、宿題をしている最中に、机の端に置いていたスマホが震えた。それを無視していると、微々たる動きの重ねのためか、机の下に落ちてしまった。拾い上げて画面を開くと、『Sumika』という人物からメッセージが来ていた。


『こんばんは』


『十河澄香すみかです』


『今日は急にあんなことしてごめんね』


 俺はなるほど、と思って画面をタップする。


『別に気にしてないからいいよ』


『改めて、由良ゆら弘毅こうきです』


 俺はウサギがお辞儀をするスタンプを送った。


『えっと』


『君に言いたいことがあって』


『今メッセージを送っています』


『直接話すのは恥ずかしくて』


『こういう卑怯な手段をとってごめんなさい』


 立て続けに送られてくる吹き出しを見、これが本当に寡黙な十河さんが送っているのかと思うと、不思議でならない。

 別に気にしてないからいいよ―――と送ろうとしたが、上に同じ文章が並んでいるのに気づき、慌てて文字を消去した。とはいえ何を送ろうか迷ってしまって頭を悩ませていると、サイレントモードを解除した俺のスマホから、鳥のさえずりが聞こえた。


『ずっと前から好きでした』


「え」


 俺は顔が熱くなるのを感じた。


『こんな私でよければ、彼女にしてもらえませんか』


「いやいやいやいや」


 独り言を抑えられなくなった俺は、既読を付けられないまま、通知バナーを上にフリックした。

 どうしよう。まともに話したことのないクラスメイトから、唐突にスマホ越しで告白された。断る理由はないけど、受け入れていいものか……。


『いいよ』


 悩んだ末、とてもそっけない返事になってしまった。が―――。


『本当に?』


『ありがとう』


『とても嬉しい!』


『これからよろしくね!』


 彼女は、白熊が頭を下げるスタンプを最後に付けた。

 俺はスタンプのレパートリーがなかったため、顔文字で応対した。


 その日は勉強どころか、睡眠どころではなかった。



*****



「まさか付き合ってから全く対面で話したことがないとはな」


「付き合う前からだけど」


「倦怠期ってわけでもないんだろ?」


「そもそもそうじゃない時期があったのかどうか……」


 俺たちのここ一か月間の、スマホを介しての会話量はむしろ増えたぐらいだ。何気ないことも、学校関連のことも。

 でも対面で話したことは全くないし、声すら聞いたことがない。入学式の頃は全くわからなかった以上、本人を認識も意識もできていなかったため、入学許可の返事の声も思い出せない。


「柳井はいいよなぁ」


 柳井のカップルは学年の中でも有名だ。柳井の彼女は別のクラスであるが、その分廊下で話す姿はよく目立つ。文化祭の時も、実行委員のミーティングの後に二人でお疲れ様会をしたそうだ。


「最近は人目が気になって仕方ないよ。それを言うなら、俺はお前の方がうらやましいぞ。誰にもバレてないだろうし」


「そりゃそうだけどな……」


 俺たちが音楽室に着いたのとほぼ同時に、チャイムが鳴った。


***


 今日の音楽の授業は、グループでの発表日だ。毎年この時期はそう決まっていて、生徒界隈では、裏後夜祭と呼ばれていると、柳井が軽音楽部の先輩から聞いたらしい。


「緊張する……」


「大丈夫だって。てか由良くんが緊張する必要ないでしょ。あんなにうまいんだから」


 柳井の彼女―――松野さんが、俺の背中をたたく。音楽と体育の授業は、他クラスと合同になるため、彼女もここにいる。

 俺たちのバンドは、いわゆるダブルデートバンドだ。柳井がギター、松野さんがベースとボーカル、俺がドラムで、十河さんがキーボード担当だ。練習は主に二人が引っ張っていったが、中学まで吹奏楽部でパーカッションをしていた俺の技術は、どうやらこの学校有数らしい。柳井カップルは文化祭を大いに盛り上げたが、俺と十河さんは、今日クラスメイトの前で初披露となる。


「逆に俺たちが消されないように、頑張らなきゃだし」


 柳井が手でわっかを作った。どうやらチューニングが終わったようだ。すると、ポケットに入れていたスマホが鳴る。ドラムの陰に隠れてそれを見る。


『頑張ろう!』


『由良くんなら、きっと大丈夫』


 俺はあえてそれを既読スルーし、彼女の方を見た。彼女と目が合ったタイミングで笑顔を作る。だが、彼女は目をそらしてしまった。


「よし。じゃあお願いします」


 柳井が先生に呼びかけるのを見て、俺はスティックを長めに持つ。


「由良ってドラムなんだ」


「あいつ叩けるの?」


「十河さんはキーボードか」


「ピアノ弾いてそうなイメージはあるな」


 など。観客席の小さい声ですら聞こえる。ただ俺には、久しぶりの舞台に高揚する余裕があった。

 松野さんと目を合わせ、イントロを演奏し始めると、観客がざわつきだした。


 ああ、この高揚感だ。


***


 授業の後半の感想会で、俺たちは囲まれてしまった。


「由良あんなにうまかったのか!」


「ねぇ、うちのバンドのドラマーと交代してくれない?」


「おい、そのドラマーここにいるんだけど?」


「柳井ー。この才能をほったらかしにしていいのか?」


 柳井も困った様子だ。


「俺も文化祭後に知ったからな」


「そうそう。初めて見た時はほんとびっくりしたんだから」


 松野さんがタオルで汗を拭きながら、そう付け加えた。


「十河ちゃん、キーボード上手だったね」


 その声を聞いて、俺はそちらに目を向けた。もしかしたら―――。


「なあ由良。秋だけ軽音来ないか?」


「だめだよ。吹奏楽部だったんなら、定演の助っ人で来てくれない?」


 ターゲットが自分に向いた瞬間、俺はあきらめた。


***


「……あれ、十河さん?」


「!」


 下駄箱を出たところで、十河さんは立っていた、誰かを待っているのだろうか。今日で多分友達も増えたのだろうし。


「誰か待ってるの?」


「……」


 彼女は俺の手をつかんだ。あの時を思い出させる、か弱い力で。


「もしかして、俺待ってたの?」


「……」


「一緒に帰る?」


「!」


 彼女は真っ赤な顔を上げた。


「……ん」


「ん?」


「弘毅くん!」


「わっ!」


 突然彼女が大声を出したため、俺も思わず大きな声を出してしまった。


「あの、その……」


 彼女はどんどん声量が小さくなっていった。俺は聞こうと顔を近づける。


「かっこよかったよ!」


「わわっ!」


 彼女は声量調節をミスったようだ。


「あ、ごめん」


「それ」


「え?」


「その音量。ちょうどいい」


「わ、わかった」


 彼女の声は、とても澄んでいるように感じられた。今日多くの人に話しかけられたからだろうか。


「きれい……」


「え」


 しまった。思わず心の声が漏れてしまった。


「……」


 彼女はまた黙ってしまった。


「十河さん……」


「……か」


 俺はもう一度、彼女の口元に耳を近づけるため、少しかがんだ。すると、彼女はそこに口を持ってきた。


「澄香って、呼んで。弘毅くんの声も、きれいだから」


 俺は顔が赤くなるのをよそに、澄香、とささやいた。


「帰ろ」


 彼女は先ほどより強く、俺の手を握って、校門へ引っ張っていった。


***


「どうして急に話してくれるようになったの?」


 俺は帰り道、素朴かつ核心に迫る質問を投げかけた。


「私にも、自信が付いたから、かな。でも、あんまり喋らないでいたから、まだ難しい」


 たどたどしくも、精一杯話す彼女は、実は俺以上に感想会で注目を集めていた。

 それもそのはず。彼女が軽音推薦でこの学校に入ったことを、初めて明かしたのだ。


「俺の話題もそれで半減だな。なんか悔しい」


 隣で笑う彼女は、間違いなく、現実にいる、俺の彼女だ。

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