第5話 “バカなこと”(オスカー視点)

「婚約破棄でよろしいです。と申しました」


 セレーネはそう言って淑女のお辞儀をしたと思ったらそのままドレスを翻して立ち去っていってしまった。


 セレーネは公爵令嬢でこの国の第三王子である俺の婚約者だ。煌めく蜂蜜色の髪も深い海のようなダークブルーの瞳もその顔立ちも美しいと評判の俺の自慢の婚約者。

 いつも黙って俺の話を聞いていて何を言ってもにっこりと微笑んでくれているセレーネが、なぜか死んだ魚のような目をしていた。


 しかも婚約破棄でいいって、どうゆうことだ……?


 俺は訳がわからなくなって、その場に立ち尽くすことしかできなかった。







***







 セレーネと俺は3歳の時に婚約した。くりくりとした大きな瞳が可愛い同い年の女の子だ。


 セレーネは動物好きの心の優しい女の子だった。あの頃はいつもペットを傍らに置きその柔らかな毛並みを撫でていることが多かった。


 セレーネのペットはちょっと苦手だったが、俺といるのにあまりにペットばかり構うからいじわるしたくなって「ぼくも」とついちょっかいをかけたら、にっこりと笑顔を向けてくれた。俺はその笑顔に一目惚れしたんだ。


 俺は幼い頃は運動が苦手だったが、セレーネがそんな俺を気遣って小枝を追いかける走り込みの特訓などをしてくれたおかげでくるくる走ったり木に登ったりできるようになった。発声練習もしてくれたからよく声も出るようになったぞ!腹の底から「わん!」と声を出すと気分がスッキリするんだ!


 物覚えが悪かった俺はよく家庭教師に叱られていた。しかしそんな俺にセレーネは根気強く何度も教えてくれたんだ。時に厳しく、時に優しく……。セレーネが教えてくれたから俺は頑張れたんだ。生まれて初めての達成感は素晴らしいものだった。


 そして、優しい笑顔で「殿下は犬がお好きなのね」と頭を撫でてくれたんだ。同じ動物好きだと思われてるらしい。その笑顔がとてつもなくかわいいと思った。別に犬や猫が特別に好きなわけではなくてセレーネが好きなんだ。と言いたかったけど恥ずかしくて言えなかった。


 セレーネのペットに勝手に触ろうとしたときは危ないからと俺を止めてくれた。いきなり右から左にぶん投げられた時は驚いたけど、なんでもそのペットは人見知りで慣れていないと噛みつかれるらしい。俺がケガをしないように心配してくれるなんて、なんて優しいんだろうと感動した。




 あるとき侍女に俺のことを聞かれて「バカな子ほど可愛いと言いますでしょ?」とセレーネが呟いたのが聞こえた。


 そうか!俺がバカなことをするとセレーネに可愛いと思われるのか!確かに俺は年上の婦女子からいつも「かわいい」とモテていたし、セレーネにも、もっと可愛いと思われたい!


 それから俺は“バカな事”を率先してやることにした。



 ある時、俺がセレーネの気を引きたくて、つい「婚約破棄だ」と宣言すると、セレーネは「馬鹿な事を言ってはいけませんわ」と俺を嗜めた。ぷんすかと頬を膨らますセレーネのなんと可愛いことかと感動する。


 つまり、俺が「婚約破棄」と口にするとセレーネには俺はバカな子にうつるわけだ。

 セレーネは確か「バカな子ほど可愛い」と言っていた。と言うことは……


 俺はセレーネにとって、“可愛い婚約者”なのだ!


 セレーネは俺を愛してくれている。セレーネは“可愛い”俺が好きなんだ!




 それから俺はあらゆる“バカなこと”をした。

 セレーネに会うたびに“バカなこと”をしてはセレーネが反応してくれるのが楽しかった。

 しかしだんだんとセレーネの反応が薄くなるのがわかる。

 昔は怒ったり叱ってくれたり、それこそ呆れたように笑ってくれていたのに、最近はあまり表情に変化がない。


 もしや、今の俺はセレーネにとって“可愛くない”のではないか?と思ったら不安にかられた。



 1番上の兄上に「女性は見た目を誉められると喜ぶものだぞ」と教えてもらったのでさっそくセレーネを誉める事にした。婚約者に甘い言葉を贈るのは男として当たり前のことらしいからな!


 彼女の髪をひと房つまみ上げて、この髪の素晴らしさを伝えようと言葉を考えた。緊張して手汗が酷かったからつい手に力がこもる。


「お前の髪は虫がよってきそうな甘ったるい髪だな!」


 蜂蜜色の髪は太陽の光を反射させてキラキラしている。これでは蝶々も本物の花の蜜と間違えてしまいそうだ!なんだか甘い香りもして魅力的だ!


 俺はセレーネの瞳の色も大好きだった。この大きな美しい瞳に俺の姿がうつるのを見ると高揚感に包まれるんだ。

 だからその瞳いっぱいに俺がうつるように顔を近付けて覗き込んだ。


「お前の瞳はまるで提灯アンコウが泳いでいそうだな!」


 セレーネの瞳の色は深い海のような神秘的な色だから神秘の魚がいるみたいだ!さしずめ君は深海の人魚姫だな!


 ふふ、まるで俺は愛の詩人のようだ。これでセレーネに俺の愛の深さが存分に伝わっただろうかと彼女を見れば、いつもと違い複雑そうな顔をしている。やはり、セレーネが好きなのは“バカなこと”をしている俺であって、こんな“マトモなこと”を言う俺は好きじゃないのか……?!


「お、俺の言葉を喜ばないと婚約破棄だぞ!」と慌てていつものようにすれば、セレーネもまたいつものようにスンとすました表情になり帰っていった。


 ……怒ってないということは、喜んでくれたのだろう。そう思ったら嬉しくてたまらなかった。


 しかし成長するに連れ、セレーネはどんどん綺麗になる。いくら俺が婚約者だとわかっていてもセレーネに近づく男がいるのではと思うと心配だった。


 そんなある時、クラスの男共がこんな話をしていた。


「男と言うのは、女にモテてこそ価値があるそうだぞ」


「うちの叔父は両手では数えきれない程の女と付き合ったそうだ」


「それはすごいな!」


 なるほど、俺が男としての価値を上げればセレーネはもっと俺を好きになってくれるし、そんなすごい俺からセレーネを奪おうとする男もいなくなるな!


 ちょうどその頃、俺にべったりとくっついてくる女がいた。


 ヒルダと言う名の男爵令嬢で、この女は俺を誉め称えては露出の多い服装でやたらと胸を押し付けてくる変な女だった。

 いつもベタベタとくっついてくるので歩きにくいし、この女からは鼻の曲がりそうなきつい臭いがするのであまり近くにいたくなかったが、ヒルダと一緒にいると他の男子生徒がなぜか羨ましそうに声を上げるのでどうやらこれがモテているという事らしいと確証する。


 しばらくしてから見たことの無い女が目の前に現れた。

 マナーも何もないワガママな女だったが、どうやら違う国から来たらしい。どこかで見たことがあったような気がするが思い出せなかった。ハッキリ言ってセレーネ以外の女に興味がないから覚えられないのでしょうがない。


 このワガママな女はやたらと俺にセレーネの事を聞いてきた。だからセレーネの髪や瞳の美しさや、セレーネがどんなに俺に優しいかを語ってやったぞ!俺としたことが熱が入りすぎたのか、さっきまで昼前だったのに語り終えたら辺りがとっぷりと暗くなっていた。


 それからというもの、ヒルダとワガママ女は交互に俺の前に現れてはベッタリと張り付いてきた。

 俺が授業を受けようとすれば「そんなことより楽しいことをしましょう」と人目の無いところに連れていかれなんだかんだと足止めされるし、セレーネに会いに行こうとすれば「一緒に行きたい」と俺の腕を胸で挟んでくるので歩きにくくて結局休み時間中にセレーネのところへたどり着けない。

 ハッキリ言って辟易としていたが、クラスの男子生徒たちが言っていたのが聞こえたんだ。


「オスカー殿下はあんな美女たちにモテてさすがだよな!いつも授業にも出ずにヒルダ嬢と人気の無い場所でをしているらしいぞ!」


「あれだよ!俗に言う“運命の相手”とかって言うやつじゃないか?いいよなぁ、ヒルダ嬢はスタイルもいいし、さぞかし楽しいだろうな!羨ましい!」


「もうひとりもかなりの美女だし、毎日交互にお楽しみかぁ。さすが第三王子だな。しかし……」


「「「バカだよな~!」」」


 それを聞いて閃いた。


 スタイルのいい(らしい)ヒルダに楽しい事を教えてもらった。ヒルダが運命の相手だから婚約破棄だと宣言すれば、セレーネは俺をもっと“バカな子”だと思ってくれるのでは?と。

 もうひとりのワガママ女でもよかったが、名前を忘れてしまったのでとりあえずヒルダにしておこうと思った。


 きっとセレーネは「また、そんなバカな事を……。そんな簡単に婚約破棄はできません」と、“俺と婚約破棄するのは嫌だ”と言ってくれるはずだった……。




 しかしセレーネは婚約破棄を承諾する発言を残し立ち去ってしまった。その夜、俺は父上からしばらく部屋で謹慎しているようにと言い渡されてしまい学園に行けないでいる。


 父上が俺に言ったんだ。


「お前は、なんてバカなことをしたんだ」と。


 俺はセレーネに愛されたかっただけなのに、いつの間にかセレーネに嫌悪されていたのだとようやくわかったのだった。




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