しおり

金子ふみよ

第1話

 ボクがカナタに出会ったのは、ある夕方でした。護岸工事が完成したばかりの海岸に、少女がいるにしては遅い時間でした。そのうえ、カナタはキョロキョロと見回す仕草を十何メートルもしてからいきなり立ち止まると、嬉々として見定め、手を伸ばしていきました。

 ボクが声をかけると、自分の名前を知らないから好きに呼んでいいと言うので、カナタと呼ぶことにしました。カナタの不思議な様子を尋ねると、カナタは片手いっぱいに握っていたしおりを見せてくれました。

「しおりをね、差し込むの。それがしるし」

「しるし?」

「そう。息吹が芽吹くしるし」

 ボクにはカナタが言っていることがよくわかりませんでした。カナタはしおりをコンクリートの段の境目の宙にそうっと置きました。すると、しおりは本当にそこに透明な本があるように空中にとどまり、それから徐々に端の方から消えていってしまいました。

 その時、ボクはカナタがさした所が光るのを見ました。ほのかでしたが、冬の空に見える鮮やかだけれどもまぶしくない星のような光でした。

カナタは微笑みながら

「これは大切な仕事なんです。そして、わたしはこの仕事が大好きなの」

その顔がどこか悲しげなように見えて仕方ありませんでした。

もう一度カナタのしおりを見せてもらいました。思わず数えてみると、一〇八枚ありました。前はもっと多かったということでした。

「またよかったら声をかけてください」

 カナタは勢いよく手を振って走って行ってしまいました。

後日、本当に再会しました。カナタはしおりをはさむ場所を探していると言い、ボクも一緒にめぐることもありました。人気のない公園だったり、改修したばかりの由緒のある社だったり、ビルの谷間だったり、ダムや湖畔の周りだったりしました。

しおりをはさんだ後ボクが最初に見た光は、その時によってそよ風や甘い香りなんかでもありました。

 カナタが悲しそうに笑いながら、話してくれました。ボクに会うまでいくつもの国や町や村や山や谷や海や、さまざまな場所を訪れたこと。そこでカナタが見聞きし、感じたこと。しおりをはさむとどうなったかということ。その言葉は幾重にも折り合わされて、まるで衣服のようにボクを包んでいきました。

気になったことがありました。それはしおりをはさんでいくうちに、だんだんカナタが薄くなっていくように見えたことでした。

「みんなにはわかってもらえないかもしれない。百人、千人、一万人の人が通ってその中の一人も気付いてくれないかもしれない。しおりがはさまったところのことよ。けれど、しおりがあれば、いつか誰かが気付いてくれる。そして、わたしは、もっているしおりを全部使うと消えてしまうの」

 ボクは慌ててカナタにしおりはさむのをやめるように言いました。もう十分仕事をしたと説得しました。

「私もしおり。だから、あなたが気付いてくれて本当にうれしかった。世界という本にはさまっていたわたしを。世界にわたしがいることを。だから、わたしはしおりをはさみつづけないといけないの」

 その後、しばらくカナタの姿を見られませんでしたが、もう一度会えました。あの海岸です。カナタはボクの手にしおりを乗せました。

「この最後の一枚はあなたへあげる」

 カナタはやさしい笑顔を見せてくれました。それから、カナタはしおりと同じように徐々にかすんで、とうとう消えてしましました。

 頬を撫でる柔らかな風がありました。ボクの手に触れたカナタのひなたのようなあたたかさがいつまでも残りました。カナタが乗せてくれたしおりは消えてしましましたが、カナタの笑顔はいまでに忘れられません。

 しばらくして、公園のベンチのあたりを掃除するボランティアがニュースになりました。社の側に木々を植える活動が始まりました。ビルの谷間にはケンカがなくなり、湖の水質改善の工事が始まりました。カナタが言っていたとおりでした。気付いた人がいたのです。

 ボクも同じです。今でもあの海岸の段に腰を下ろし、海を眺めることがあります。カナタはボクのしおりとなり、カナタの言葉がボクの夢になりました。

「今度はボクがしおりを作っていこう」

 ボクはこうして書いています。かれこれ二十年近くなります。ずっと書いていくでしょう。これがボクのしおりなのです。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

しおり 金子ふみよ @fmy-knk_03_21

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ